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テレビを辞めてみて気が付いたこと

テレビやテレビ局をディスる話ではありません

そもそも幼少期からテレビっ子でもなく、大人になってからもテレビを観る機会はそれほど多くなかった。お仕事で関わる方が出演されている番組をピンポイントで観ることはあっても、普段はニュースを消音にしてとりあえず流しているだけの状態だった。60インチというちょっと大きなテレビを所有してはいるが、ウイニングイレブンのネット対戦をするためだけに使うモニターとなってしまっていた時期もあった(今はゲームもしなくなった)。よって、流行りのドラマやバラエティ番組のことは一切知らず、「半沢直樹」や「逃げるは恥だが役に立つ」などの大ヒットドラマも全く観たことがない。当然テレビタレントさんにも疎く、人との日常会話についていけないこともよくあった。それでもニュースだけはテレビで観ることはあったが、2020年3月頃からの新型コロナウィルス感染拡大以降、テレビからランダムに降り注がれる感染に関するニュースを受け取ることに嫌悪感を感じるようになった。特にお昼のワイドショー的な情報番組から発信される誇張された情報は、不安定な情勢の中を生きる自分のメンタリティにとってすごく悪影響だと感じていた。ちょうど良い機会だったので、これを機にテレビを完全に辞めてみることにしてみた。テレビを辞めてから約10ヶ月が経ち、様々なことを感じたり気が付くようになった。今回はそんなことについて書いてみようと思う。

情報弱者になるのではないかという不安

正直、テレビ視聴を完全に辞める際に不安を感じることもあった。最も不安だったことは、テレビを観なくなることで世の中の旬な情報が不足し、情報弱者になってしまうのではないかということだった。しかし、そんな心配は一瞬で払拭されてしまった。そもそもテレビの情報番組から垂れ流される情報は、受け取る側である自分の頭脳はど真ん中で受け取る準備をしておらず、ただ表面的に受け取っていることでしかなかったことに気がついた(日常会話のネタ集めくらいのイメージ)。インターネットを使って自分から受け取りに行く情報の方が遥かに頭脳にインプットされている。スマホやタブレットを巧く使えば、自分が信頼できるニュースサイトから最新ニュースをキャッチし、さらにはタイムリーに通知までしてくれるので重要なニュースを見逃すこともない。自分はビジネス視点でニュースに触れて視野を広げたいという狙いのもと、Newspicksの有料会員に登録し、メインツールとして日々のニュースを受け取っている。興味のあるカテゴリーをNewspicksのアプリ上でアカウントに登録すれば、自分仕様にアレンジされたタイムラインとなる。しかし、ニュースとは自身の興味に紐づいたものよりも、知らない世界や分野への知見を広げるためのものであるべきだと思うので、あえてカテゴリー登録などはせず、Newspicksから発信される様々なカテゴリーのニュースに目を通すようにしている。Newspicksは動画コンテンツもとても充実していて、知識を広げ教養を深めるためにはとても便利なツールであると思う。

情報収集は能動的かつシンプルに

テレビ視聴を辞めたことによって、以前よりYouTubeを視聴する時間が圧倒的に増えた。自身にとってはYouTubeも有力な情報収集ツールだと考えているので、有料会員に登録し、様々なジャンルのチャンネルをSubscribeしている。広告なしバックグランド再生ありで快適に情報収集を楽しめている。テレビを辞めた自分のスタンスとは矛盾するかもしれないが、テレビ東京の「テレ東Newsチャンネル」もSubscribeしている。要するに、テレビで流れてくる情報を毛嫌いしているというわけではなく、良くも悪くも情報が溢れすぎている時代の中で、信頼できるメディアから発信されている情報を自身で能動的に選択するという行動が必要だと感じているということである。YouTubeにおける「チャンネル登録」は「情報の選択」というわかりやすい行動だと思う。目の前にある多様なメディアからたくさんの情報を受け取るのではなく、限られたメディアに絞り能動的かつシンプルに情報と出会うことが、自身の見解や思考を整える意味でも有効だということに気がついた。テレビを辞めるという行動をしたことにより、「自分」と「情報」との距離感を意識できるようになったと実感している。ちょっと癖の強いものもあるが、自分は以下のようなチャンネルをSubscribeしている(Subscribeしているチャンネルの動画であっても、サムネイルやタイトルを見て必要なさそうな情報だなと感じるものは視聴しないことも多々ある)。

生活リズムがテレビの時間軸ではなくなった

実はこれがテレビを辞めたことによる一番顕著な変化だったと感じている。幼少期から自宅リビングにはテレビがあり、学校から帰ってきた夕方頃にはアニメが放送されていて、18時からは報道番組、19時からはバラエティ番組、21時からはドラマ、23時からはまた報道番組やバラエティ番組が放送されていた。家庭内での娯楽が限られていた時代だったこともあると思うが、生活の中になんとなく決まったテレビの時間軸が存在し、この軸を基準にして食事したり入浴したり就寝する時間が決められていたような気さえする。どれだけ共感されるか分からないが、生活の中からテレビの時間軸が消えたことで自分の時間を自分で100%コントロールできるようになったような気がしている。なんとなく21時からのドラマを観て、23時からの報道番組を観てから寝るのが当たり前みたいな感覚からすると、21時就寝なんてあり得ないと思う。しかし、今では仕事がなければ21時に就寝することもよくある。無駄な夜更かしが減ったおかげでしっかり睡眠でき、身体のコンディションも最高である。おかげさまで、日中の時間の使い方も充実している。(睡眠について書いた記事はこちら↓)

大晦日の紅白とRIZINに感動した

冒頭にも表明した通り、この記事はテレビやテレビ局をディスっているわけではない。ただ、テレビというメディアとの向き合い方を変えたことによって気がついたことについて書いてみた記事である。ある意味、コロナとテレビによって気付かされた学びの話である。「テレビなんてぼんやり観てれば良いじゃん」という意見もあるかと思うが、こんな不安定な世の中にいて、「明日死ぬかも」と思って生きている自分にはそんな無駄な時間の使い方ができない。テレビを観るなら観るで、願わくば毎回感動してみたいと思っている。

散々テレビのことを悪いように言ってしまった後に大変恐縮なのだが...。年末くらいはテレビを観てみようということで、大晦日は自宅で紅白歌合戦と格闘技のRIZINの放送を観させていただいた。単純に国民的歌番組の存在感とその意義に感動したし、これまで全く通ってこなかった格闘技のスピード感溢れる試合内容にも感動した(YouTuberのシバターがきっかけで初めてRIZINを観た 笑)。

テレビにはテレビにしかない良さがあり、素早く欲しい情報にアクセスできるインターネットもデマや誹謗中傷に溢れる一面もあり一長一短である。SNS上の赤の他人やAIに促されて出会った情報に一喜一憂するのではなく、人間として様々なツール使いこなし、シンプルに有益な情報と出会っていかなければいけないなと、改めて感じた2020→2021への年末年始だった。

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