努力、結果、評価の順番

どーも。りょーたです。

今回はこの前の試合で感じた努力と結果と評価の順番について書いていきます。

僕はこの3つについて各々に考えがあります。そこについてまずは話していきたいと思います。


努力について。

努力ってなんでしょうか?僕は二浪した経験からや今ビジネス界で輝いている人たちを見て考えることがありました。

まず、努力ってなんかジャンプの漫画の中っぽい
なって思いました。ナルトのロックリーとかなんかは努力の化身みたいな感じですね。

でもリアルを見るとあんなに努力しようと思って努力している人には結果が出ません。

現実世界の努力っていうのは、夢中、熱狂、狂気、固執にあると思っています。

努力して、挑むことより夢中になってやったことの方が結果が出やすいと思いませんか?

じゃあ、努力という言葉や事実はどこにいくのか?

それは結果が出た時です。

つまり、僕が言いたいことは努力は結果が出て初めて認められる事実であるということ。

結果が出てない頑張ったことは努力とは言えません。

また、自分で、頑張ってるのに、、、努力しているのに、、、と嘆く奴にはいつまで経っても努力したという称号も結果も得られません。

あるのは「頑張った」という自己評価だけ。


結果について。

僕の思う結果は他人や数字が決めることであり、かつ客観的なもので無ければいけないと思います。

例えば、W杯得点王、リーグ打率トップや日本記録更新など。

試合の勝ち負けもチームとしての結果ですね。

じゃあ、自分を満足させるための結果はどこにいくのか?

それは主観的な評価です。


評価について。

評価は結果とは違い、主観的なもので数字や結果の解釈です。

例えば。前回のテストで20点だった人が次のテストで60点取れたら
「頑張ったね!」ってなりますよね。

それは相対的に点が上がったこと、その人の中では進歩があってすごいとなったことなどの主観的視点で語られています。


努力結果評価の順番について。

以上から、僕はこの3つの順番は、

結果ー評価ー努力の順番で訪れるものだと思っています。

一番綺麗な努力したなって感じるタイミングは、自分の出した結果に対して振り返ってみたら
「努力していたなぁ」と思い返す時です。

だから努力しなきゃ!とか一切思いません。

僕は夢中になったことを気が済むまでやる。その中で頭使ったり、リソースを割いて何か数字を出そうとする。

だから自分の評価はしないし、努力しなきゃという危機感もありません。嫌ならやらない。やってダメならしょうがない。そんな価値観で生きています。

多分二浪で志望校に行けなかった理由はこの考え方だと思いますが、別に変える気もありません。

ただ向いていなかった。それだけです。

少し前までは二浪の経験は自分の中で失敗体験でしたが、最近は別にそんなこともなかったなと思います。

あれだけ嫌々やって、夢中になれなかった受験勉強でも自分は二年懸ければそれなりの結果は出るという評価であり証明です。

少し話はそれましたが、努力してるのになんで結果が出ないんだよ!と嘆く人は結果が出るまでのプロセスがのちに努力だったと気付くわけで、結果が出てない時に頑張ってるのに!と嘆く人は積み上げが足りないか、がんばりのオペレーションミスを疑うといいでしょう。

では、また。おつー!


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