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闘病記③~終わりなき戦いのはじまり~国指定難病CRMOはつらいよ


前回の記事

生検手術

「(がんの確率は)フィフティーフィフティーか……」
手術当日の朝も、前日夜に主治医の先生に言われた言葉がずっと頭から離れませんでした。

手術着に着替え、担架で手術室に運ばれます。

2021年7月、コロナ第5波の真っただ中でしたから、当然、入院中も手術前後も家族の面会すら認められることはなく、看護師さんや麻酔医さんの声掛けがありがたかったです。

検査結果

検査結果を聞いたのは、手術の約1週間後、外来診療に行った時でした。

骨の組織を病理の先生がじっくり見てくださるので、すぐには結果は出ないのですね。

「悪性腫瘍や細菌感染含め、特に悪いものは見つかりませんでした

そう先生に言われたとき、思わず安堵の笑みがこぼれたのを覚えています。

やはり、確率的にあり得ないんだ。W君の言った通りだ。

がんじゃないのなら、なんでもいいや

下の記事の通り、特別にがんという病気を忌み嫌っていた僕は、正直にそう思いました。

がんでも細菌感染でもない、ということが意味するところ

突然ですが、みなさんに質問です。
以下の2つの状態のうち、どっちがより耐え難い状態だと思いますか。

  • 原因不明の激しい痛みに毎日襲われる。治療法もないので、いつ治るのかも分からない。一生続くかもしれない。だが、がんのように命に関わるリスクはほとんどない。

  • がんという、恐ろしいイメージの病と闘う。抗がん剤による吐き気や脱毛、末端神経障害などの副作用もあるが、治療法が明確で、完治への希望を持つことができる。

両方経験した今の自分からすると(もちろん、がんの種類やステージによっては、効果的な治療法がないこともあるので、短絡的な単純化は出来ませんが)、圧倒的に前者の状態の方が不幸でした。

慢性再発性多発性骨髄炎(CRMO)というのは、大層な名前が付いていますが、要は悪性腫瘍や細菌感染などの明確な原因の分からない、「お手上げ状態」の病態を指しているに過ぎないのですね。何かしらの免疫異常だろう、ということくらいしか、現代の医学ではわかっていないのです。

ですので当然、何をしたら治るのか、が全く分からないということになります。

発症から約1年間の身体vs病の拮抗状態

そんな中でも、2つの事実が僕の中での救いになっていました。

  1. 痛み止めがよく効くこと

  2. 大半のCRMO患者は、1年から1年半で症状が治まること。

1の痛み止めに関しては、僕はセレコキシブという名前のお薬を、毎日朝晩1錠ずつ、必ず飲んでしました。

これを飲み忘れようものなら、大変な激痛が襲ってきます。ですので、痛みに前もって必ず痛み止めを飲むのです。

そうすると、10中の10の痛みが出てくるはずだったのが、10中の4か5くらいまで抑えることが出来るのです。

もし、僕が痛み止めが開発される前の江戸時代などに生まれていたら、自死する以外になかったでしょう。10中の10の痛みがずっと続くのなら、それに耐えることなど出来るはずがありません。ですので、痛み止めがある程度効くのは本当に大きな救いでした。

2については、自分の海外論文リサーチや、主治医の先生の話が情報源でした。

最初の痛みの発症が、忘れもしない、2021年2月8日だから、1年間というなら、あと半年くらいは頑張ってみよう

発症から半年くらい経過した生検手術後の僕は、そう思っていました。

「期限付き希望」の恐ろしさ

ところが、期限付きで希望を持つのは、それが叶わなかったとき、反動で大きな絶望を抱くリスクと隣り合わせです。

精神科医であり、アウシュビッツ収容所の生き残りであるV・フランクルは、世界的大ベストセラーであるその著書『夜と霧』の中で、ある印象的なエピソードを紹介しています。

フランクルの収容されていた棟の班長で、元は著名な作曲家で台本家でもあった「F」が、ある時フランクルにこんな話をしたそうです。

自分は夢の中で、あるお告げを聴いた。「戦争が1945年の3月30日に終わり、自分たちは解放される」と(その会話は3月の初旬でした)。

それからFは、3月30日の終戦を希望に、何とか過酷な環境を生き抜くのでした。

ですが、日を重ねても、一向に終戦の気配すら見えず、、

Fは3月29日についに高熱を発し、3月30日にはせん妄状態に陥り、ついに3月31日に死んでしまったそうです。直接の死因は発疹チフスでしたが、自分の抱いていた期限付き希望が裏切られた絶望感が、生きる気力を一気に奪ってしまったのでしょう。

2022年という、希望クラッシャーの日々

僕の場合は、2021年2月の発症でしたから、論文や主治医の先生の話通りなら、2022年中には治るはずでした。その希望を持っていました。

ところが、2022年は、その希望がカレンダーをめくるごとに幻想だと思い知らされる毎日。そして、症状も検査の炎症数値も悪化していくばかり

僕の中で焦りや不安が日に日に大きくなっていくのでした。

(続く)


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