「これまでの分が損した気になりポイントカードを作らない」のは何故か

2018年のM-1グランプリでかまいたちが披露したポイントカードのネタは「店員さんにポイントカードを作るか尋ねられるが、これまで同じ機会を何度も断っているから今更作りにくい」ことを起点とし、展開していく素晴らしいものでした。
面白さは言うまでもないことですが実際、この気持ちは非常に共感できるものです。

行動心理学が好きな人であれば、「あぁ、これは典型的な一貫性の原理ね。」と合点がいくわけですが、そもそも何故こんな不合理極まりない反応を、私たちは克服しにくいのでしょうか。

今度は進化心理学のフレームワークに沿って考えてみると、「村八分リスク」が、その一つの答えであるかと思います。

狩猟採集社会や農耕民族社会では、せいぜい100名ほどの集落で一生を過ごすという、極めて固着化した社会であったわけです。
サル山を見ても大体同じような規模感でしょう。

この中で生き延びてゆくためには、気前よく他者に分け与えたり、自分に余裕がないときには他者を頼る必要があるわけですが、こうした協定関係を円滑に保つためには、「裏切り者」認定をされないことが重要であるように思います。

「オー・ヘンリー傑作選」の中に「改心」という個人的に好きな短編があります。
主人公である天才金庫破りの男は逃亡先で靴職人としてひと旗揚げ、その地域の名家のお嬢と結婚し、そこからまた洒落たオチがあるのですが、この主人公のような振る舞いはあり得てしまうわけです。

さきほど見てきたように、人間関係の流動性が高い現代社会では、「裏切り者」があるコミュニティで追放され、次の街を、またその次を、と転々とすることが出来てしまうわけですが、一方で長らくわたしたちの遺伝子に刻み込まれている「村八分リスク忌避傾向」は簡単に消えたりしません。

話を戻すと、かつて作ることを拒んだポイントカードを今更作ることは、経済合理性から考えればそうするべきなのですが、一貫しておきたい、一貫していると見做されたい本能がこれを邪魔する向きもあるのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?