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吉田塾日記#9【遠山正道さん】

クリエイティブサロン吉田塾

山梨県富士吉田市、富士山のお膝元でひらかれるクリエイティブサロン吉田塾。毎回、さまざまな業界の第一線で活躍するクリエイターをゲストに迎え、“ここでしか聴けない話”を語ってもらう。れもんらいふ代表、アートディレクターの千原徹也さんが主宰する空間です。第九回のゲストは株式会社スマイルズ代表取締役社長の遠山正道さん。

遠山さんは、これまでに『Soup Stock Tokyo』や『giraffe』など、多数の事業を展開してきました。アート的な発想をビジネスに落とし込んだり、ビジネスの領域をアートに昇華させたり。

わたしは、猫のような人が好き。

遠山さんの話し方が好き。選ぶことばが好き。

穏やかで、朗らかで、時にポエティックな表現で。わかりやすく、楽しく、ゆったりとお話する。深く、太く、長く、響く声。

それは、千原さんの声やことばに感じるものと少し似ていて。二人の対話は、その場所に心地良くファンタジックなグルーヴを生み出します。

詩のようなことばがはずみ、哲学の時間が流れる。

儲かることが成功なのか。
安定とは何か。しあわせとは何か。

「それって、何のためになるんですっけ?」


成功と安定

とある大学で講義で、遠山さんは学生に質問をした。「成功と安定、どっちがいい?」。すると、その場にいた八割が「安定」に手を挙げたという。若い人の安定志向。学生との対話を通して、遠山さんは気付いた。

彼ら(彼女ら)は、「安定」を望んでいるのではない。「成功」に対して嫌悪感を抱いているのだ。

ある種の、マッチョイムズに対するアレルギー。話は、世代によって変化する価値観からはじまりました。

2025年問題。

高齢化社会となり、若者が高齢者を支えていかなければならない世の中が訪れる。就業人口の過半数がミレニアル世代(2000年代で成人または、社会人となる世代)。彼ら(彼女ら)は、デジタルネイティブであり、ソーシャルマインドが既に備わっている。社内はもちろんのこと、消費者(お客さん)の半分以上がミレニアル世代ということ。

そして、遠山さんはスマイルズの年賀状をプロジェクターに映した。

明けまして おめでとうございます
新年なので、今後の大きな時代を
「ピクニック紀」
と呼んでみることにします。
どういうことか。

(生活と協調)
企業も個人も、競う時代ではなくなる。
競う意味や動機が失われ、むしろ弊害ばかりが目立つようになる。
ビジネスより生活に重心が移り、生活が主体となる。
勝敗のあるスポーツとは異なる、協調を生むピクニックに関心が集まる。

(環境という前提)
ピクニックは、オフィスや商店ではなく、野山で行う。
地球環境の意識と実践を持たぬものは、参加の前提すら得られない。

(あらためて人)
ピクニックには、改めて朗らかで豊かで魅力的な人間性が求められる。
技術や方法論や経験は、プロやAIで易く調達できる。
多様性という言葉で安心してはいけない。
選ばれるか、選ぶか、しかない。

(一人ひとりの中で)
ピクニックには、明確な目的やゴールはない。
アートのように、正解はなく各人の中で育み、育まれる。

(一人ひとりから、外へ)
今後のよきピクニックは、宇宙で行われるだろう。
もちろん、地球でも。
あなたの周りでもまだ沢山。

幸福?
それは、今あなたが想い描いたピクニック感のことである。
それらが伝播しあい重なりあって振り返ると、ピクニック紀となる。

今年もますますよろしくお願いいたします。

2023年正月
スマイルズ代表 遠山正道と朗らかな仲間たち

スマイルズの年賀状

競い合う時代ではなく、協調し共生する時代。それがピクニック紀。成功と安定の価値観の違いは、「サバイバルからピクニックへ」という移ろいにヒントがあるのかもしれない。

ピクニック紀をいかに過ごすか。

それは、楽なようで難しい。明確な目的や正解がない中で、自分なりの答えを見つけたり、提示してゆく必要があるから。それは、「一人ひとりがアーティスト」ということなのかもしれません。

デザインは4コマ漫画。
入口があり、4コマ目にオチがある。
当然、“オチがない”というオチもある。

アートは、一枚の絵。
そこに目的やオチはない。

“ただ、あるだけ”

「描きたくて、描いただけなんです」
みたいに言うんだよね。

わたしは、アートの仕事をしています。

遠山正道

ビジネスは、入口があって、目的がある。企業は、株主価値の最大化。要は、利益を生み出すことがゴールとなります。その目的を、どのようなミッションやビジョンで実現するか。

だから、ビジネスの人はアートのことがよくわからない。「ただ、今後はアート的な要素が重要になってゆくだろう」と遠山さんは話します。同時に「アートが好きならば目的を持たずに描いていればいいのかということでもない」とも言いました。

そこには価値がなければ、存在意義を示せない。

それは、それで大変だ。


“いい人”であること

先日、とあるニュースを見た。
GAFAがどういう人を採用しているかという記事。
普通に考えれば、たとえば「中学生の天才」のような人が求められるのではないかと考える。

実は、違う。

彼ら(彼女ら)が採用したいのは「いい人」だ。
世界中とつながっている現在、天才や技術はプロジェクトごとに集めればいい。

それをオーガナイズする存在は「いい人」。

遠山正道

お声がかからないとピクニックには参加できない。技術でお声がかかることがある。「いい人」という理由で誘われることがあるかもしれないが、前提として何か能力がなければお声はかからない。では、どうすればいいのか。

お声がかからないのであれば、自分で立ち上げる。

自ら、旗を振ること。呼ばれもせず、自分で立ち上げることもできない人はそこから洩れていってしまう。

価値観の変化に伴い、お金の使い方や置き方も変わってきた。何を大切にするか。しあわせとは何か。以前までは、「利益の最大化」というわかりやすい指標があった。それが、美意識からずれてゆく時代になってゆくのかもしれない。CO2を排出しながら飛行機で運んだ高級食材よりも、自然豊かな田舎に行けば豊かな大地で採れたおいしい野菜。

ウェルビーイング。

心身ともに健やかな状態、そして、社会的な人間関係における充実感。いい家族がいて、いい仲間がいる。それで十分じゃないか、と。

今までは「ビジネス」と「家族」という二項対立の構造があり、どちらかをやっていれば済んだ。それではしあわせを満たせなくなってゆく。ビジネスも家族のスタイルもこれからどんどん変わってゆく。


対話

遠山:世界がコロナウィルスで蔓延し、「ステイホーム」の世の中になった。家で過ごすようになって少し意識が変わった。「幸福って足元にあるな」みたいなこと。

あるいは、“ビジネス”は自分の人生の一部でしかないと気づいたこと。さらに、“会社”は仕事の中のさらに細かいパーツでしかない。だから、わたしはステイホームの時、リモートの朝礼でみんなに伝えた。

「人生の主役は当然“自分”なのだから、自分の人生は自分で小さく設計しなよ。間違っても、会社に依存しないでね」

あたりまえのことかもしれない。でも、今まで勘違いしていたところもある。仕事や会社のやりとりの接地面積が多過ぎたので、そこをやっていれば給料も支払われるし、やることもやりがいもあるし、「ありがとう」と言われるから済んでいたけれど。おそらく、それは人生の一部でしかない。

家族があり、仲間がいて、仕事以外の領域もたくさんある。わたしはいくつかコミュニティを持つようにしている。代官山ロータリークラブをつくったり、新種のimmigrationsというコミュニティをひらいてみたり。いくつかの社会関係資本があり、時代や自分のバイオリズムの中で調整する。

あるいは、週末に一人で北軽井沢に足を運ぶ。そこでの暮らし方や、その周辺の人とのつながり。そういうことがいくつか掛け算になっていて、自分の生活や幸福が、その人でしか見えない景色や“その人らしさ”になったり、その人が醸す幸福のようなものが見えてくる。

千原:ぼくの場合は、京都で過ごした数年間がピクニック紀に近い感覚かもしれない。みんなそれぞれやりたいことはあるけれど、「成功する」を目的に日々を過ごしていない。友だちとライブハウスに集まり、DJをやる人がいたり、つくったイベントフライヤーを「いいデザインだね」と言ってもらったり、終われば誰かが働いているカフェに行ったり。その連続だった。

遠山:「ピクニック紀」は、成功の対極にあるわけではなく、やりたいことの先にあるのかもしれない。たとえば、千原くんは今映画を撮っているよね。

そこに夢中になっているエネルギーは、先ほど言ったマッチョな“成功”感とは少し違うと思うんだ。自分の「好き」や世界観をみんなと一緒につくり上げてゆく。そういう一つの大きな幸福でしょう。目的に向けて旗印を上げてやっている。それは、エベレスト型のピクニックみたいな感じかもね。

千原:そうかもしれない。明確な目的があるけれど、いわゆる古いイメージの“成功”とは違う。

アイスクリームフィーバー

遠山:千原くんがやりたい「映画」というものに出会えて、自分で組成している。それはピクニックと呼べるんじゃないかな。

これが、会社から言われて…とか、やればやるほど地球環境に害があって…となると「一体、誰のためにやっているんだろう?」と、誰も寄り付かなくなってしまう。


千原さんは、映画制作をデザインすると同時に、アートにしているのかもしれない。彼のデザインやことば、パッションには問題解決だけではない、問題提起がある。つまり、鑑賞者(受け取り手)に考えるきっかけをつくる。それは、社会への問いかけであり、世界との対話。


新種の老人

遠山さんは、去年の四月から「新種の老人」というYouTubeチャンネルをはじめた。「北軽:孤独と不便のある暮らし」と銘打って、週末に一人で北軽井沢に行き、ごはんをつくったり掃除をしたり、日々の営みを映している。

遠山:わたしがYouTubeをはじめた理由は、去年60歳を迎えて「新種の老人」と名乗ったことから。自分の好きなことだけをして、それをYouTubeに流す。

月に2、30万円を稼げるようになったらセルフベーシックインカムの完成。楽しいことだけをやって暮らしていける人のモデルになれる。新種の老人第一期生として、今後30年くらいその地位にいて「いいですね」と言われるポジションでいられる。

一人で撮影して、音楽をつけて、編集する。分業ではなく、一人で完パケ。二人以上の人がいると遠慮が出てきたり、なかなか大変だけれど、一人だと楽ちんで楽しい。地方でも問題ない。東京にはない景色や暮らしが、むしろ羨ましがられたりする。

将来、AIが人間の仕事を代替するようになる頃、人間は何をするのか。暇つぶしか、創作や表現だろう。それが存在意義となる。本当に、みんな何かしらの表現をして生きる時代になるのだろうか。わたしにできる小さなピクニック。

千原:やりたいことをどこまで殺すのか。要は、世の中に抗う形で見てもらうか。その辺が難しいですよね。

遠山:わたしも、タイトルに「モーニングルーティン」とか「二拠点暮らし」などのワードを入れたくないけれど、コンサルタントからはAIのアルゴリズムを考えると「入れた方がいい」と言われる。だから、自分なりのおもしろさをどう発明できるか。

ビジネスマンはマーケットで判断したり、会社のミッションがあったり、誰かが指示をしてくれるのだけど、アーティストはすべて自分の意志に委ねられる。

朝何時に起きるのかも決まっていないし、出社時間さえない。「これをやりなさい」と言ってくれることもなく、自分で考えなくちゃならない。だから、アーティストって大変なんですよね。

サラリーマンは、最高のビジネスモデル。
新卒で入った初月から黒字。
つまり、サラリーマンには赤字はない。

起業した人はみんな、まず赤字からはじまる。
銀行からお金を借りて、
設計事務所にお金を支払い、
店ができて、
営業して、
ようやく売上がたつ。
コストとの兼ね合いで、うまくいけばプラスになる。
当然、うまくいかなければマイナス。
つまり、ずっとマイナスと付き合うわけだ。

サラリーマンには赤字がない。
やることも会社や上司が与えてくれる。
それをやっていれば楽ちん。

アーティストは「何をやるのか」が大事。
そこが価値の大部分。
アーティストの価値の大部分を、
サラリーマンは会社に委ねていることになる。
だから、“手段”からはじまる。

遠山正道

遠山:たとえば、わたしは61歳。今後、仕事において出番は少なくなってくる。わたしは100歳まで仕事をしようと思っているのだけど、そこまでずっとお声がかかり続けるなんていうことはないと思った方が健全だ。

では、どうするのか?
自分で仕掛けるしかない。

分業で指示を受けたことだけをやっていると、自分の発意で立ち上がって何かをつくり、提供してみるという発想の回路が消えてゆく。だから、早い段階から自分が仕掛けることをやってみる。

先ほどのピクニックにしても、呼ばれるだけではなく、自分がピクニックをやるなら、どんなことをすればみんなが集まってくれるか考える。

リスクはある。「誰も来ないと寂しい」。そういう不安もあるけれど、とりあえずやってみる。それを繰り返しながら、自分の価値が何なのかを見つけてゆく。



自分の発意で、プロジェクトを「自分ごと」にしてゆく。お声がかかるのを待つだけでなく、自分で立ち上がって旗を振る。そのために、知恵を養ったり、技術を磨いたり、素直ないい人であることに努めたり。

それが、ピクニック紀を楽しむ生き方なのかもしれない。そう思うと、この吉田塾に登壇するゲストのみなさんは、自然とそれを実践している人ばかりだ。塾長の千原さんを筆頭に。

最後に。

この日、遠山さんが何気なく言ったことばを紹介して終わります。不思議とわたしの頭の中でリフレインされている詩のようなことば。

わたしは、猫のような人が好き。

猫って、人間に尻尾も振らないし、愛想がない。
逆に、こちらが心配しながら大事にする。
何の価値も提供していない。

でも、「この人がいてよかった」と可愛がられる。

わたしは、「猫みたいになれたらな」と思うんですよ。

遠山正道




懇親会は、れもんらいふプロデュースの喫茶檸檬。お酒を飲んで料理を楽しみながら、ゲスト講師や千原さんとも一緒にお話できます。


ぜひ、会場まで足を運んでクリエイティブの楽しさを味わってみてください。



次回の講義は三月二十五日。ゲスト講師は音楽プロデューサー/選曲家の田中知之さんです。

チケットの購入はこちらからどうぞ。会場用とオンライン用、二種類から選べます。


そして、わたしも制作にかかわっている本塾の主宰、千原徹也さんの著書『これはデザインではない』もチェックよろしくお願いします。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。