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Smart Eye Camera、ブータンへ行く(4)

「先生は未来に触れることができるからです」
 映画「ブータン 山の教室 ( Lunana: A Yak in the Classroom )」の中で、「どうして先生になるのが夢なのか」と聞かれた子供はこう答える。僕は普段教育について考えることはあまりなく、正直なところ大文字の「教育」という言葉を少し疎ましくすら思っているのだが、このセリフは心の中を貫通した。
 首都ティンプーに住む若い教師が、僻地の村ルナナへの赴任を命じられることから始まるこの映画のことは、もしも興味があればと伊藤さんが教えてくれた。僕が映画を見たのは日本に帰ってからだ。主人公の若い教師は「先生を辞めてオーストラリアへ移住し歌手になるのが夢」という設定で、これは映画の冒頭で示される。夢というかビザの手続きまではルナナ赴任前にほとんど済んでいる。これは現代のブータン社会を描くのだという監督の意図の表れだろう。ブータンにいる間、僕達は毎日のように「若い人はみんなオーストラリアへ行ってしまう」と嘆く声を聞いた。

 2日目の午前中、シンディさんを除く僕達3人は、3つの学校を訪問した。生徒達の目をSECで診察させてもらい、SECの有効性を検討する為だ。新しい医療デバイスに触れてもらうことが、生徒達の刺激のようなものになれば良いなという思惑もあった。僕は特に最初に訪ねた学校でそれを強く感じていた。
 最初に訪れたのは障がいのある人達にコンピュータを教えている学校で、15人の生徒達と先生方に時間を頂いた。教室に入ると、生徒たちが机に座っていて、それぞれの机にはラップトップが開かれている。これまでにお会いした人達は、国際的なやり取りに慣れた大人ばかりだったので、生徒たちを前にして愈々本当の本当にブータンに来たなと思う。
 まず伊藤さんが、僕達が何者でどうしてここにやって来たのかという紹介をし、それからOUI Inc.にバトンを渡して下さった。中山さんが「クズザンポーラ(こんにちは)、カディンチェラ(ありがとう)。えっと、ゾンカ語はこれしか言えないですけれど」と挨拶すると教室にクスクスと笑いが起こる。
 ブータンでは教育が英語で行われていて大抵の人が英語を話す。ゾンカ語という公用語が存在しているが、それは1970年代以降、つまり割と最近定められたもので実際には地域によって20以上の言葉が使われている。ブータンの人々が英語を話すということを知ると「みんなオーストラリアへ行ってしまう」理由の一旦も分かる。つまりオーストラリアはブータンから最も近い、言葉の壁がない先進国なのだ。
「では、最初に目を診て欲しい人いますか?」
 中山さんがSECで一人一人の目を撮影し、各々に撮影した動画を見せながら、何を撮影したのか説明する。さらにその様子を撮影しているのは僕だけではなく、学校の先生方もカメラやスマートフォンを構えていた。中山さんのSECの扱い、引いては生徒達との接し方は流石で、まるで医者のように見えた。恥ずかしがったりする生徒とも和やかに話して、手際良く、しかし一人一人に丁寧に向き合い撮影を進めていく。僕は写真を撮ることも兼ね、生徒達の間をウロウロし、ボソボソと話したりしていた。彼らがどのようなことを、どのような気持ちで学んでいるのか気になっていた。

 コンピュータは魔法の箱だと、21世紀が4分の1過ぎようとする今も毎日思う。かつて僕達の先祖がテクノロジーを始めた時、そこには石と砂と木と水と草と骨と皮しかなかった。知識と技術が繋がれ、人類は本当に遠くまで来た。
 僕はハードウェアの設計やデザインを仕事にしているけれど、これらは偏にコンピュータの助けの上成立している。僕は電子情報工学科の出身で研究室も理論系だったので”形ある物”を作るという専門的な教育は受けていない(デザインの講義は勝手に聞いていた)。子供の頃から遊びで色々作ることはあったけれど、それらは文字通り子供の遊びレベルのものだった。全てを変えてくれたのはコンピュータとデジタルファブリケーションだ。3DCADと3Dプリンター(とミスミ)がなければ僕は今の仕事はできない。子供の頃、デザイナーだった父がバルサを削ってモックを作ったりするのを見ていたけれど、僕にはあのような手作業はできない。だからデジタル化した現代を本当に有り難く思う。もう何十年も触っているのにPCを開くたび毎日少し感動する。

 コンピュータが目の前にあることの素晴らしさを、どこまで彼らが実感しているのか良く分からなかった。完全に僕の勝手な印象だが、今のところエクセルやワードみたいなソフトしか使っていない様だったので、もしかすると詰まらなく思ったりしている人もいるのではないかと思った。
 後から乙武洋匡氏によるブータンの障がい者についての記事を読んで知ったのだが、国の保証がない過酷な状況を生きる彼らにとっては仕事になるかどうかが切実なる優先事項で、面白いかどうかなんて二の次なのかもしれない。
 だから完全なるお節介、それも勘違いの上でのお節介かつ先生方にとっては迷惑かもしれないと躊躇いながら、退室間際の変なタイミングで僕は「コンピュータは魔法の箱で僕の人生も変えてくれました。Smart Eye Cameraの存在も完全にコンピュータの恩恵です。魔法の箱が目の前にあるので皆さん勝手に色々やりましょう」というような話をしてしまった。

 教室を出てから別室で、校長先生のお話を伺う。驚いたことに先生ご自身エンジニアで、昔は何度も秋葉原に行って部品を買ったりしていたということだ。
「まさか秋葉原なんて地名をここで聞くとは思いませんでした」と言っていると「ほらこれも」と机に置かれたサーバ用自作パソコンのような物を見せて下さる。僕なんかよりずっとコンピュータに詳しそうだ。他所からちょっとだけやって来て、さっきはやっぱり余計なことを言ったな思う。でもまあコンピュータが僕の人生において大きな役割を果たしていること、その体験は1つの事実だし、ちょっと訳の分からないことを言うのが外から訪ね来たりし者の役目であるような気もする。
 それからミルクティーを飲み干して、お土産まで頂いて僕達は学校を後にした。

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