2021/1/25


週末はずっとうっすら悲しく死にたいような気持ちだった。土日とも天気が悪かったのでそのせいだろうと思い、今日はよく晴れているし、鬱々としている人はとにかく日光を浴びると良いと何かで読んだので、外に出ることにした。洗濯物がたまっていたので、二本あるベランダの物干しに干せそうな量の、すぐ乾きそうなものだけを選んで洗濯機を回し、残りはコインランドリーに持っていくことにした。昼過ぎの暖かい時間に行けば、日光を浴びながら散歩もできてちょうどいいだろうと思った。

クリーニング店で貰った、折り畳みもできる大きなバッグに洗濯物を入れて肩にかけ、もう一つ小さな手提げかばんに本と小銭入れを入れて出掛けた。死にたい気持ちは天気のせいだと思っていたが、明るい日差しの下でもなお薄ら悲しい気分に変わりはなかった。首都高の入り口があるやや広い道路には間隔をあけて歩道橋がいくつもかかっていて、その上から飛び降りてみたらどんなだろうと想像した。高さは大したこともなさそうだから、ただ落ちただけではせいぜい骨折するくらいか。大型トラックがタイミングよく突っ込んでくれば死ねるだろうが、何かにつけて間の悪い自分は乗用車にクラクションを鳴らされて、たまにこの道で速度違反を取り締まっているお巡りさんに怒られて終わりだろうと思った。

そんなことを考えながらコンビニに併設されているコインランドリーに着いた。幸いにも空いていて、いつも使っている、奥から二番目の乾燥機が使えた。100円玉を二枚いれて、ファミリーマートの店内とつながっているイートインスペースの一角に腰を下ろす。持ってきた本を開いて読もうとするも、まくしたてるような帝京平成大学の広告に意識が阻害されて、度々中断を余儀なくされる。少しだけ泣きたいような気がしたが、今泣けば乾燥機の取っ手やこの椅子の背もたれに触れた手で目をこすることになると思うとそれには抵抗があった。死にたいと思っていたくせにコロナ対策はしようとしているのが可笑しいような、うんざりするような気持だった。

はかどらないながらも少しずつ本を読み進めた。昨年末に出た岸本佐知子さんのエッセイ『死ぬまでに行きたい海』。こんな文章があった。


「この世に生きたすべての人の、言語化も記録もされない、本人すら忘れてしまっているような些細な記憶。そういうものが、その人の退場とともに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない。どこかの誰かがさっき食べたフライドポテトが美味しかったことも、道端で見た花をきれいだと思ったことも、全部宇宙のどこかに保存されていてほしい。」


今私が死んでも、死んだ理由は多分誰にも分からないだろうと思った。そもそも理由といえる理由もないようなものだし。残された夫は、死のうと思ったくせに何故コインランドリーまで行ってタオルを乾かしたのかと考えるかもしれない。帝京平成大学の広告がやかましかったことも、たかだか近所のコインランドリーに来るのに実は3回も服を着替えたことも、誰も知らないまま無くなってしまうんだと思った。


20分経って乾燥機をあけた。うすいピンクのバスタオルの、刺繍がされて厚く固くなっている部分の周りだけまだ少し湿っていたけど、そのためにもう10分と100円を使うのはもったいないので取り込むことにした。リビングのヒーターの前で少し広げておけば乾くだろう。

帰り道は西に向かって歩く。陽が少し傾いて、夕方の空気に変わっていた。来るときに見た歩道橋を今度は逆から見ながら歩いた。上側の手すりを、西日が光で縁取っていた。そこから飛び降りるイメージはもうすっかり馬鹿馬鹿しいものになっていて、代わりに夕飯の段取りを思い描きながら帰った。外に干した分の洗濯物もよく乾いているといいなと思った。






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