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犬ありのお迎え、犬なしのお迎え

夕方から美容室へ行き、カラーと前髪カット。転職の関係で一応かなり暗めにしてもらう。前髪はとにかく鬱陶しいのが嫌なので、1か月持つように短めにしてもらった。美容室は私にとって「行かなければいけない場所」で、毎度緊張するし面倒くさい。美容師さんはいい人だけど、対人接触を極力避けたい私にはあの空間でリラックスしたり気分転換をしたりすることは到底無理なので、年末年始の前に面倒なタスクを終わらせられて一安心という気持ち。

夫は今日も職場の同僚と飲み会。夫は「ご飯行ってくる」といったけど、終わった時間を考えると飲み会だったのではないかと思う。「飲み会」というときもあるから、彼の中では何か区別があるのかもしれない。いずれにせよ夫は職場の人たちと行く飲み会/ご飯ではお酒を飲まないので、飲酒の後ろめたさが関係しているわけではないよう。電車の時間が決まると教えてくれるので、駅まで迎えに行く。

最近は夫の飲み会の日は帰りに駅まで迎えに行くようにしている。私が遊びに行ったときに夫がいつもそうしてくれるのが嬉しいからだ。夫はいつもイヤホンをして何かしら好きな音楽を聴いていて、私が迎えに行かなくても楽しく一人で帰ってくるだろうし、迎えに行ったところで私と同じようには嬉しくないのかもしれない。でも「自分がしてもらって嬉しいことを、相手にもしてあげる」という動機と実践を大事にしているし、それが伝わってくれればいいなと思う。

というのも、先日Twitterで「自己肯定感って、なんていうかそんなに”揺らぎ”のあるようなものだっけ?」というようなツイートを見たのだった。たしかに「自己肯定感」という言葉が、簡単に「下がった」「上がった」などという使われ方をしているのは変かもしれない。「自己肯定感」って、職場で叱られたからといって下がるようなものでもなければ、容姿を褒められたくらいで上がるようなものでもなく、そういうこととは無関係に「自分は価値のある存在だ」と実感できている状態のことなのでは?(もちろん人格否定みたいな叱られ(というかハラスメント)は自己肯定感を下げる立派な要因だと思うけど、そういう話ではなくてね)

で、私は夫の自己肯定感を支える事象のひとつでありたい。私との関係において何か間違ったり衝突したりしたとしても、私が彼を大事に思っていることが彼に伝わっていてほしいし、そのような愛の中にある自分の生を価値あるものだと感じてほしい。…と、思ったけどちがうな。私という存在があろうがなかろうが彼には価値があるのだが、その感覚をたしかなものとして感じられる理由のひとつとして、私がありたい。私が、彼の自己肯定感の一助となりたい。みたいな。

そんな理由で今日も夫を迎えにいく。改札前には同じように誰かを迎えにきたらしい人が2匹の犬を連れていて、犬たちが待ち人に駆け寄る様子を横目に見つつ、こちらも夫と合流。「犬なしでごめんね」というと私の足元をきょろきょろ見ながら「(犬が)足りない…」といわれる。我々もいつか犬ありのお迎えをしたいと夢想しながら連れ立って帰宅。


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