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赤い糸はスパイシーな香り 第13話

 一年後   
 雅也のいない桜の季節を四度見送って、もうすぐ私は二十二回目の誕生日を迎える。「連休には戻る」と言った雅也の帰りが待ち遠しい。
 美咲からは、「もう何年付き合ってんのさ」とか「永すぎた春とかならないんでしょうね」とか言われる始末。そんなジョークに私も「二十二才の別れってのもあるよ」なんて戯けてはみたけれど、内心は穏やかではない。結婚しようとは言ってくれたけれど、雅也は一向に戻ってくる気配すらない。
 新しく入った女子社員に仕事を教えて、私は営業の仕事も兼ねるようになった。ヘルメットを被って現場に出たり、施主との打ち合わせに参加するようにもなった。
 一つ年下の、営業の翔平しょうへいくんと現場に立ち会った帰り、助手席でぼんやりと窓の外を流れる風景を眺めていると、
「安田さんて彼氏とかいないんですか?」
 と、翔平くんは唐突に訊いてきた。一瞬「えっ?」と思ったのだけれど、私は窓の外を眺めたまま答えた。
「遠距離なのよ。東京で仕事してるわ」
「そうなんですか。東京で何を?」
「ITよ。ウェブサイト作ってるって」
「めっちゃカッコよくないですか! ウェブデザイナーってやつでしょ!」
「翔平くんだって設計希望なんでしょ? 十分カッコいいじゃない、設計も」
 そう言うと、「まだ設計の〝せ〟の字もさせてもらえない」と不満そうに彼は言った。一級建築士を取得するまでは、まだまだ時間が掛かりそうだと愚痴っぽく言った。
「そう言えば、ウチの現場じゃないですけど、最近この近くに木造のデカい建物やってますよね? あれもITだって聞いたことありますけど。いよいよ福井にも今どきの会社が増えてきますね」
 私は翔平くんの言葉にハッとして、
「翔平くん! それどこ?」
 と、咄嗟に訊いていた。
「すぐそこですよ。行ってみますか?」
 と、彼は私の方を向いて言い、私は頷いた。
 棟上げが終わって、建物の周りには足場が組まれていて、灰色のシートで覆われた現場が見えてきた。建築確認や法令許可票などの表示板に混じって書かれていた工事名の欄には、『株式会社TACTデザイン 福井サテライト新築工事』とあった。
 
「あ、もしもし。どうして何も言ってくれないのよ!」
 私は、翔平くんが隣にいることも忘れて、スマホの向こうの雅也に叫んでいた。
「何だよ突然。何のこと?」
「以前話してたサテライトオフィスのことよ!」
「ああ、それね。連休に帰った時に話そうと思ってたんだ。ビックリさせようと思って。工事の進捗状況も見たかったしさ」
 私のテンションとか苛立ちとかを無視するように、雅也は穏やかに言った。隣の翔平くんと目が合って、私は落ち着きを取り戻し、反対の手にスマホを持ち替えて言った。
「親にも話さなきゃいけないし、準備だってたくさんあるんだからね」
「わかってるって! ほのちゃんの両親にも連休に挨拶に行くし、そっちの竣工日が決まらないと戻れないんだからさ」
「そりゃそうだけど……。離れてるんだから、ちゃんと知らせてくれないと……」
「ごめんごめん。また連絡するよ。じゃ、切るよ」
「わかった。じゃ……」
 スマホの画面を見つめて、電話のマークが書かれた赤いボタンを押した。
「安田さん、結婚するんですか?」
 翔平くんが小さな声で言った。
「あ、うん。彼がこっちに戻ったらって……。プロポーズされてからもう二年も経っちゃったけどね。会社の人たちにはまだ内緒にしてね」
 私は彼の方を向いて、戯けるように手を合わせて言った。翔平くんは両手でステアリングを握ったまま「そうだったんですね」と言ったあとで、「僕、安田さんのこといいなって思ってたんですよ」と遠くを見ながら笑って言った。私が目をまるくしていると、「冗談ですよ、冗談! さ、会社に戻りましょう」と笑って、車を走らせた。
 
「ねえパパ……」
 プロ野球の中継に釘付けになっている背中に言うと、
「ん? どうした?」
 と、振り向きもせずにパパは答えた。私は、連休に雅也が挨拶に来ると言っていたことを告げた。パパは、一瞬固まるような素振りを見せたあとで、
「日にちが決まったら教えてくれ」
 とだけ言って、またタイガースの試合に釘付けになった。
 私がママと視線を交えると、ママがパパの方に向かって、ゲンコツで空を切るように腕を突き出した。私はその仕草がおかしくて、両手で口を覆ってクスッと微笑んだ。
「あなた! ほのかの大切な話でしょ! ちゃんと聞いてあげてよ」
 ママがヒステリック気味にそう言うと、パパはこちらに向き直り、少し寂しそうな表情で「ちゃんと聞いてる」と呟いた。私にはそんなパパの気持ちも、後押ししてくれるママの気持ちも良くわかるし、言葉の裏側にある想いもひしひしと伝わっている。
 
     ◆
 
   十一月。
 雅也のお母さんの命日を間近に控えて、ようやくというか、ついに私と雅也は結婚式の日を迎えた。ごく近しい親戚や、友人たちだけを集めた披露宴にした。美咲はもちろん、職場の友人たちも大勢来てくれた。その中には、あの日、本気なのか冗談なのかわからない言葉をぶつけてきた翔平くんの姿もあった。
 雅也の会社の斎藤社長は、この日を休業日にして、社員のほとんどの人たちが出席し、東京の事務所からも数名がお祝いに駆けつけてくれた。
 四年半の交際期間のうち、三年半は遠距離だったが、『好き』という気持ちだけで繋ぎ止めておけるものでは決してなかった。それを可能にしたのは、雅也のお母さんの『お父さんのことは好き?』という言葉だったように思う。時々私の耳にこだまするあの言葉が、私と雅也を繋いでいたように思う。
 
 キャンドルサービスの灯りが、少しずつ会場を明るく照らしていく。ママはハンカチで口元を押さえ、パパは雅也に「ほのかのこと頼むぞ」と言いながら、目を真っ赤にしていた。二人に向けた「ありがとう」の言葉は、流れる音楽にかき消されてしまったけれど、きっと伝わっていることだろう。
 すべてのテーブルに火を灯し、もう一度二人の方に目をやると、そこには肩を寄せ合い囁きを繰り返す二人の姿があった。
 
   ✽ ✽ ✽
 
菜津美なつみ、お前よくほのかの結婚許したな」
「仕方ないでしょ、ほのかがそうしたいって言うんだから。そりゃ、あなたから話を聞いた時にはあり得ないと思ったわよ。だって、あなたの元カノの子どもってことでしょ。そんなの考えられないじゃない、普通。でも先方は亡くなってるんだし……。私も苦しんだり悩んだりもしたのよ。あなたには運命的かも知れないけど、私には屈辱的でしかないんだから」
「気を揉ませてすまなかったな」
「あなたが悪いわけじゃないわ。雅也さんのお母さんが存命だったら、それはどうなってたかわからないけど……。ただね、世の中にはそんなこともあるんだなぁって思ったのは事実よ。ドラマとか小説の中の話だと思ったし、まさか自分の身に降りかかるなんて思いもしなかったしね。でも、やっぱり大事なのはほのかの気持ちだし、幸せになってほしいわ」
「ありがとう、菜津美」
「あの娘、とっても綺麗……」
 そう言って菜津美がサトルの方を見ると、サトルはじっとほのかの姿を見つめたまま、テーブルの下の菜津美の手に、そっと自分の手を重ねていた……。


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