見出し画像

赤い糸はスパイシーな香り 第6話

 美咲と二人で電車に揺られながらスマホの画面を睨んでいると、
「ところでほのか、最近彼とはどうなのよ?」
 美咲が興味津々といった具合に訊いてくる。
「どうって、普通だよ普通。特に変わったことは何もないわ」
「キスくらいはしたんでしょ?」
 私は雅也の部屋で起こった事実を思い出していた。一度目は事故みたいなもの。でも二度目は私が欲しがったキス。私って大胆だなぁと思い返すと途端に恥ずかしくなって、顔が火照ってくるのがわかった。
「う、うん……。でもそれだけだよ」
「それだけ? ほのかってどこか悪いの?」
 美咲は笑いながら言った。美咲の言葉には棘がなく、嫌味もないから気にならないのだけれど、やっぱりそれ以上を期待しているんだなぁと思うと、『他人事ひとごとだと思って』という思いが込み上げてきた。
「どこも悪くないよ! すこぶる健康。雅也って肉食系じゃないから。そこは自然な形でいいかな」
「へぇ~、純愛だね。私はオマタのタトゥーが邪魔しちゃってね。どうして内側なんかに入れたんだろ。外側だったらそんなに気にならなかったのにって思うわ」
「そうだね。正常位だとまる見えだよね」
 私たちは電車の中にいることすら忘れて、あらぬ想像をしながら笑っていた。
 
     ◆
 
「最近、雨ばっかりだね」
 休み時間に隣の席でぼんやりしている雅也に話し掛けると、ゆっくりとこちらを向いて私の目を見たあと、何も言わずにまた正面に向き直り俯いた。
「どうしたの? 何か暗いね」
 もう一度雅也に向かって言うと、
「あ、うん、ごめん……」
 そう言って大きなため息をひとつついてから、ゆっくりと話し出した。
「母さんがさ、入院したんだよ」
「えっ! どうしたの?」
「うん、大したことじゃないんだけどね……。何か心配かけてごめんね」
 私は、それ以上は何も訊かずに「大事にしてあげてね」とだけ言って席を離れた。
 私は、突然お母さんが入院なんて話を聞かされて、どうしていいのかわからなくてパパに電話をかけた。
「パパ、お仕事中にごめんね。雅也のお母さんが入院したんだけど、お見舞いに行った方がいいかな?」
 私は、いつもよりトーンの低い声色で、電話の向こうにいるパパに言った。
「別にお前が行く必要はないよ。お母さん、どこか悪いのか?」
「雅也は大したことはないって言ってたけど」
「それじゃ尚更だな。雅也くんが一緒に来てくれって言うなら別だけどな。病気なのか怪我なのかもわかんないんだし、お前が行くことで雅也くんのお母さんもかえって気を遣うんじゃないのか?」
 パパは的確なアドバイスをくれた。私はパパに、
「そうだね、ありがとう」
 と言って電話を切った。
 
 私は雅也の後について弓道場に向かっている。いつもと違う雰囲気の雅也に掛ける言葉が見つからない。雅也との距離はほんの少しなのに、そこにある空気は張り詰めていて居心地が悪い。
「ねえ、練習って何時までだっけ?」
 この場の空気だけでも何とかしようと声を掛けたのだが、今日の雅也はどうにも歯切れが悪い。
「一応六時までだけど。どうして?」
「雅也……。今日は練習やめて病院行ったら? お母さんのこと気になるんでしょ? そんなんじゃ練習に身が入んないんじゃない?」
 私はいつもとは明らかに違う雅也に、できるだけ優しく声を掛けたつもりだったのに、雅也はいかにも高圧的で不機嫌そうに、
「だから大したことないんだって。何なんだよ、ったく」
 小さく舌打ちをして言った。そこまでだったら許せたのに、その後に小さな声で「めんどくせぇ」と言われたことで私はカチンときて、一方的に且つ攻撃的に言い放ってしまった。
「何よ! 言いたいことがあるんだったらはっきり言えばいいじゃない! へこんでるのは見ればわかるけどさ、だからこそ少しでも力になれればと思って、そばにいてあげようと思ったのに。ひとりになりたいんだったらそう言えばいいじゃない! 気分悪いから帰る!」
 後悔することなんか最初からわかっているのに……。
 
 傘の先から落ちる雨粒に気を使いながら少し早足で歩いていると、スカートのポケットの中でスマホが一瞬ブルッと震えたような気がした。近くのコンビニまで急いで、その軒先でスマホの電源ボタンを押すと、『二件の新着メッセージがあります』とディスプレイに表示されていた。雅也からだった。
『さっきはあんな言い方してゴメン』
『ほのちゃん、いまどこにいるの?』
 私は返信しようと一度書きかけた文字を消して、スマホをポケットに戻して歩き出した。私からの返信を待っているかもしれない雅也に対して、申し訳ない気持ちもあったが、私が自分で発した言葉に折り合いをつけるまでは、安易に返信するのは良くないと思ったのだ。気分的にも感情的な言い方になってしまった。
 私は雅也のために力になれればとか、そばにいてあげたいとか言ったけれど、それは彼の望んでいたことなのだろうか。そもそも最初から雅也は一人でいたかったのではないか。私が勝手に雅也のテリトリーに入り込んで、言いたいこと言って、それで「言い過ぎたからごめんなさい」なんて簡単には片付けられない。ちゃんと気持ちの整理ができてから謝ろうと思った。
 
 家に帰って、ルームウェアに着替えてから美咲にメッセージを打った。
『雅也とケンカしちゃったよ(泣)』
 すぐにスマホがブルッって震える。
『えー! どうした? 大丈夫なのか?』
『電話していい?』
 OKと描かれたスタンプが返ってきた。
 私はすぐさま美咲に電話を掛けた。美咲はすぐに「どうしたんだよ」と訊いてきた。
「ごめんね、急に電話なんかして。ちょっとイラッとして言い過ぎた」
「珍しいな、ほのかが怒るなんて」
「私がいけなかったんだよ。雅也の気持ちに寄り添えなかった……」
 美咲は私の話を真剣に聞いてくれて、時には私が落ちないように言葉をかけてくれた。中学の時の美咲を知っている人たちは、きっと『ヤンキーだから』っていう色眼鏡で美咲のことを見ているんだと思う。でもそんなんじゃない。美咲はいろんな人を見てきたからこそ、人の傷みだけじゃなくて心の痛みまでも理解できるんだと思う。優しい人なんだとも思った。
「美咲、ありがとう。雅也にもちゃんと話して謝るよ」
「うん、そうしな。ちゃんと話せばわかってくれるって! それでダメなら私が兵隊集めてシバいてあげるから」
 そう言って笑ってくれた。
 
 初めての時のように雅也に『てすと』とメッセージを送った。私はてっきり『きらい』と返ってくるものだと思っていたら、雅也のメッセージには『ごめんね』と書かれていた。
 私は思ってもいなかったフレーズに目頭が熱くなって、すぐさま電話の発信ボタンを押した。
「雅也、ごめんね。私、自分のことばっかりで雅也の気持ちとか頭になくて、一方的に自分の気持ち押し付けちゃって……」
「僕がいけなかったんだよ。母さんのことでテンパっちゃって、ほのちゃんの気持ちに気付いてあげられなかった。ごめんね」
「ううん、いいよそんなの。それより、お母さん大丈夫?」
「うん、大したことないよ。ありがとう」
「そう。よかった……」
 この日私たちはケンカになっちゃったけれど、ちゃんと話をして、お互いを思いやることの大切さを学んだ。そしてもうひとつ。やっぱり私は雅也のことが好き。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?