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赤い糸はスパイシーな香り 第10話

第3章 『つながりあう心』

 雅也のお母さんの三回忌が終わり、社会人らしい落ち着きを見せるようになった雅也が、
「久しぶりに東京から戻ったんだし、デートしようよ」
 と言ってきた。会うのは三ヵ月振りだったし、私もずっと会いたいと思っていたからもちろん断ることはしない。雅也の帰郷に合わせて三連休も取ってある。高校時代には時間もそうだし、それこそお金にも余裕がなくて、制約の多い中での恋愛だった。社会人になって、そういった制約から開放されて、ようやく人並みの恋愛ができると思っていたら、今度は雅也の東京行き。それでもこまめに連絡を取り合って、私たちの付き合いは三年を超えた。
「それはいいけど。ようやく一段落だね。お母さんも成長した雅也の姿、ちゃんと見てくれてるよ」
「だといいんだけどね。ほのちゃん、明日は仕事?」
 私は首を二度振ってから、
「せっかく雅也が帰ってきたんだもん。明後日までお休みもらったんだ。こんな日のために、日曜日もモデルハウスの受付とかで仕事したから、すんなりお休みくれたよ」
 少し雅也のことを見上げるように言った。
 雅也は、パパの同級生の斎藤さんが社長を務める『TACTデザイン』というIT関連の会社に就職をした。ウェブ制作と一言で言ってもわからないことばかりで、雅也がいろいろ話してはくれるけれど、私にはちんぷんかんぷん。それでも社長さんは「一年半で戦力になるとは正直思わなかった」と言ってくれていた。
 雅也は少し考えるような素振りをしたあとで、
「それじゃ、温泉にでも行こうか?」
 なんて言い出した。遊園地でもショッピングでもなく、温泉と言ったのがいかにも雅也らしいなと、きっとホームページの制作とかで、いろんな情報を手にしているんだろうなと思った。私は、これからの自分たちのことを話す時間も欲しかったし、二人でゆっくりできるならと思い、雅也の提案を受け入れた。
 雅也と付き合うようになって三年。遠距離になってから二年。まだお互いに二十歳だけれど、いつまでも幼なじみのような付き合いを続けていくのはやっぱり不安……。雅也がどんなふうに考えているのか聞きたいと思っていた。
 
 翌日、雅也はレンタカーを用意して私を迎えに来た。パパもママも揃って表まで送りにきて、ママは私に「気をつけなさい」と言い、パパは雅也に私のことを頼むと告げた。まるで娘を嫁に出すような様相で、そんな二人の姿がおかしくて、それでいて私は、自分が両親に愛されているのだということを実感した。
 ゆっくりと車は動き出し、私たちは日本三名泉の一つでもある、岐阜県の下呂温泉へと向かった。
 秋風が少し肌寒く感じる中で、白川郷合掌造り集落を散策しながら五平餅を頬張る雅也に、
「どうして温泉なの?」
 と訊いてみた。
「特に意味はないけど、寒くなってきたし人の集まるテーマパークとかよりは温泉かなぁと思っただけだよ」
「ふ〜ん。私はテーマパークとかでも全然いいんだけど。でもそういう場所は女の子同士の方が楽しいかもね」
 雅也も少しシャイなところがあるから、なかなかに本心が読めないのだけれど、そもそも人の大勢集まるような場所は得意ではないし、雅也にはこういう静かな場所の方がいいのかもなと思いながら、私は雅也の腕にそっと頬を預けていた。
 
 国道を走っていると、高山方面は左だと書かれた案内標識が目に入った。
「あっ、高山だって! 私ね、高山も行ってみたいと思ってたんだ」
 運転する雅也の方を向いてそう言うと、
「明日行こうと思ってるよ。僕も高山はいい所だと思うし行ってみたい。父さんも高山には美味しいお酒がたくさんあるから、土産に一本買ってこいって言ってたしね」
 と、雅也はステアリングを握りながら答えた。
「えっ? お酒屋さんなのに?」
 私が不思議に思って訊くと、
「さすがに地酒はなかなか手に入らないんだよ」
 と教えてくれた。私はお酒のことはよくわからないし、普通にどんなお酒も注文さえすれば手に入るものだと思っていたから意外に感じていた。
「ふーん。お酒の世界もいろいろあるんだね。ところで、仕事の方はどう? 楽しい?」
「そうだね、仕事は楽しいよ。自分の作ったものが形になって、目に見えるものになっていくのはデザイナーとしてはやり甲斐があるね」
「そう。仕事にやり甲斐を感じられるって幸せなことだよ」
 私は以前、パパから運命について聞かされたことがある。人は悪いことが起きると、つい運命のせいにしたがるけど、運命は自分で作っていくものだって。斎藤社長と出会ったこともそうだし、あの時に雅也の話をしていなければ、今でも学生だったかも。そんな巡り合わせというか、縁があって今の仕事ができていることに感謝すべきだと思うし、少しくらいは私に感謝の気持ちを伝えてくれてもいいんじゃないかと思う。
 そんな私の気持ちが通じたのか、雅也はちらちらと私の様子を窺いながら、
「ほのちゃんには助けてもらってばっかりで、本当に感謝しかないよ。ありがとう」
 と、右手をステアリングから離し、指先でこめかみの辺りを掻きながら照れくさそうに言ってくれた。
 
 目の前の景色が少しずつひらけて、下呂の温泉街がガラス越しに見えてきた。大小様々な旅館やホテルが立ち並び、たくさんの人で賑わっているようだ。
 山登りの帰りなのか、大きなザックを背負った人や、少し不釣り合いな服を着て何かを食べながら歩く人たちもいる。まだ早い時間だけれど、どこかの旅館の丹前を着込んだ男女が、仲睦まじく手を繋いで土産物店を覗いている姿も見えた。私はそんな人たちに自分たちの姿を投影していた。
「ねえ、チェックイン済ませたらちょっと散策に出てみない?」
 私は雅也に、二人で温泉街を歩きたいと提案した。
「そうだね。さっきの人みたいに、着替えて出掛けよう」
 雅也はそう言ってステアリングを握り直した。
 
 下呂駅の正面に建つ、一際大きな旅館が今日の宿らしい。正面に車を寄せると、係の人が「いらっしゃいませ」と言いながら寄ってきて、「お疲れでしょう。お車お預りします」
 と言って、館内へと案内してくれた。ロビーは天井が高く、とても広々とした空間で、率直に凄い旅館だなと思った。チェックインの手続きをしている雅也の後姿がずいぶんと大人びて見えて、それゆえ頼もしく感じたのはこの場の雰囲気だけではないだろうと思った。
 仲居さんに連れられて案内された部屋は、二人では持て余すほど広く、いくつもの部屋に分かれていた。高層階の部屋の窓からは下呂の温泉街が一望でき、眼下を流れる飛騨川のゆったりとした流れに、道中の疲れも穏やかに和らいでいく感じさえした。
 ふと背後に気配を感じて振り向くと、雅也がじっと私の方を見ていた。
「凄いね。こんな立派な旅館、無理したんじゃない?」
 私が気遣って訊くと、
「そんなことないよ。ほのちゃんが心配するような金額じゃないって。むしろそうだとしても、ほのちゃんとの時間に費やすお金なら無駄じゃないしね」
 と、どこか誇らしげに雅也は言った。私は疲れていないかと訊いてから、「じゃ、浴衣に着替えて散歩に行こうか」と促した。私が雅也に肌を見せるのは初めてではないし、あまり遠慮することなく着ていたシャツのボタンに手を掛けると、
「ほのちゃんさぁ、少しくらい恥じらったりした方がかわいくない?」
 なんて言われて、ちょっと大胆過ぎたかなと、急に恥ずかしくなった。
「そう? 雅也にだったら見られても平気だし、全部脱ぐわけでもないしね」
「そうだけどさ、かえって僕の方が恥ずかしいよ」
 そんなふうに言う雅也のことが堪らなくかわいく思えて、私は下着姿のまま雅也の首に両手をまわした。
 雅也は驚いたように「ちょっと」と言ったかと思うと、そっと私の腰に手を添えて、
「いつも一緒にいてあげられなくてごめんね」
と、優しくおでこに短いキスをくれた。
 膝下まである丹前を羽織って、雅也の左腕に甘えながら温泉街を歩く。たくさんの土産物店やカフェ、それにこの土地ならではの飲食店が多数軒を並べている。美味しそうな匂いで、それこそあれもこれも食べたいという衝動に駆られてしまいそうになる。
 私は店先に書かれていた『プリン』の文字に惹かれて、その店の暖簾のれんをくぐった。「いらっしゃいませ」と言って現れたのは、ママと同じ年延えで、ふっくらとした小柄の女性だった。
「こんにちは。プリンの文字と甘い匂いにつられて入っちゃいました」
 私が言うと、その人はにっこりと微笑みながら、
「ありがとうございます。このプリンは飛騨牛乳で作って、温泉で温めてあるんです。クリーミーで美味しいですよ」
 とオススメしてくれた。雅也はそんな私たちのやり取りをデジカメで撮っていた。私が「このプリンを二つ下さい」とお願いすると、「皆さん、この先の足湯に浸かって召し上がっていますよ」と教えてくれた。もう聞いているだけで美味しそうだ。私は「ありがとうございます」と言って店を出ると、再び雅也の左腕に腕を絡めて歩き出した。ふと後ろを振り返ると、さっきの女性がにっこりと微笑んで小さく手を振っていた。
 
 お店から程近い足湯に着くと、老夫婦とおぼしき小さな背中が二つあった。仲睦まじく寄り添う二つの背中を見ていて(雅也と二人、あんなふうに歳をとりたいなぁ)と思っていた。雅也もその光景に気付いたのか、「僕たちもあんなふうにゆったりとした人生を送れたらいいね」と言って、私の方を見ていた。私は「そうだね」と答えたのだけれど、もしかしたら遠回しなプロポーズだったのかも……。
「お邪魔してもよろしいですか?」
 私が少し恐縮しながら言うと、おばあさんは、ゆっくりとこちらに視線を上げて、優しい笑みを浮かべてから、
「どうぞ遠慮なさらずに。若い女性が一緒だとこの人も喜ぶでしょう」
 と、おじいさんの方を見て笑っていた。
 足湯にそっと足を踏み入れると、十一月の冷たい空気にさらされたせいか少し熱く感じたのだけれど、すぐに慣れて徐々に身体がほんわかと温まってくる。
 私たちが、買ってきたプリンを口にしながら「美味しいね」などと話していると、
「君たち結婚は?」
 と、おじいさんが話し掛けてきた。
「いえ、まだ。今年成人式だったんですよ。それに僕もまだ一人前とは言えないですし」
 雅也が答えた。
「まあ結婚はタイミングだからな。早けりゃ早いで周りからいろいろ言われるし、遅いとまだかまだかと言われるし。結局外野は騒ぐばっかりだからな。なあ、婆さん」
「そうねぇ。私たちもしょっちゅう喧嘩してましたよ」
「そうなんですか? そんなふうには見えないですけど」
 と、私がありきたりな返答をすると、おばあさんが、
「そりゃもう、明けても暮れても喧嘩ばっかり。でも『喧嘩するほど仲がいい』って言うでしょ? あれね、あながち間違いじゃないのよ。お互いがちゃんと前を向いているから喧嘩になるの。どちらかが相手に背中を向けていたり、背中合わせだったら喧嘩にもならないでしょ? そんなふうになったら夫婦はお終いよ」
 と話してくれた。言われてみればその通りだと思う。この老夫婦は、これまでの長い人生の中で、いろんなものを学び、そしていろんなものを捨ててきたのだろうと感じた。私たちがこの老夫婦に出会ったことも大切なご縁。もちろん雅也と出会えたことも。
 空になったプリンの瓶を二つ、目の高さまで持ち上げて(何かに使えそう)などと思いながら、瓶の向こうの景色を眺めてみる。雅也に「そろそろ行こうか」と言ったあとで、私はおばあさんに一つ質問を投げかけた。
「おばあさん、幸せですか?」
 おばあさんはおじいさんの顔を眺めながら、
「どうでしょうねぇ。幸せなんてものは自分で決めるものじゃないと思うのよ。この人が私と一緒にいて幸せだと思ってくれるなら、私はそれで十分幸せです」
 自信たっぷりに言われてしまい、微笑みで返すことしかできなかった。雅也と二人、ゆっくりと立ち上がり帰り支度をしてから、もう一度声を掛けた。
「いいお話ができました。ありがとうございます」
「いえいえこちらこそ。あなたたちもお幸せにね」
 雅也と手を繋いでその場を後にする。二人の間に流れる時間は、あの老夫婦も同じはずなのに、なぜか私たちに流れる時間の方が早く感じる。
 もう一度老夫婦の方を振り返ると、さっきよりもいっそう寄り添っている二つの背中がそこにはあった。


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