見出し画像

赤い糸はスパイシーな香り 第7話

 ホームルーム   
 雅也と夏休みはどうするのかなどと話していると、担任のヨッシーが大量のプリントを抱えて教室に入ってきた。白いTシャツに赤い色のジャージ。いつもと変わらない出で立ちだ。ヨッシーは何種類かあるプリントを、それぞれ数枚ずつにわけて最前列の生徒に渡す。生徒たちは当たり前のように後ろの生徒へと回す。すべての生徒に行き渡ったのを確認してからヨッシーは話し出した。
「夏休みに入る前に三者面談があるから、希望の日時を書いて提出するように」
 保護者会とか、今回のような三者面談とかがあるたびに、学校って勝手だなぁと思う。先生たちと同じように、生徒の親だってほとんどの場合ウィークデーは仕事をしている。そんなこと初めからわかっているのに、どうして『週末』という選択肢はないのだろう。ヨッシーは部活動で土曜日も学校に来ているはずなのに。
「雅也のところはやっぱりお母さんが来るんでしょ?」
 あれだけ綺麗なお母さんだったら、どこに出しても恥ずかしくはないし、一緒に歩くことだって、私だったらむしろ大歓迎。
「どうだろうな、母さんも立場上結構忙しそうだし、逆に父さんは配達さえなければ暇だからね」
「ふーん」
 私は、まだ決まってもいないのに、雅也のお母さんに会えないような気がして少しだけ寂しい気持ちになった。
 そもそも『三者面談が好きだ』なんて人はいないだろうけれど、あの独特の雰囲気というのか、自分の親を先生の前にさらけ出す気恥ずかしさが私は嫌いだ。きっと先生は、日頃の私の姿から親のことを想像しているに違いない。ダンディーな父親だったり、それこそ雅也のお母さんみたいに綺麗な母親だったりしたら何も思わないのかもしれないけれど。
 私は、ヨッシーはその時、母親の姿を見てほくそ笑んでみたり、『勝った』などと思ったりするのだろうかなどと考えながら、プリントの文字を眺めていた。
 
 弓道部の練習を見届けた後、いつものようにロビーで雅也が出てくるのを待っていると、この場所にはあまりにも不釣り合いな格好で立っている、おじさんの姿が目に入ってきた。濃紺の地に白い文字でお酒の銘柄が書かれた前掛けを腰に巻いて、両手をジーンズのポケットに差して体を左右に揺らしていた。
 しばらくすると、雅也が手に矢の入ったケースを持ってロビーに出てきた。
「お疲れさま。あの人、さっきからずっとあそこに立ってるんだけど」
 と、雅也に目配せをして言うと、
「父さん!」
 そう言って雅也はその人の方に駆けて行った。しばらく何か話した後で、雅也が手招きして私を呼んだ。私が小走りで雅也のそばに駆け寄ると、
「ほのちゃん、紹介するよ。僕の父さん」
 さっきまで〝変な人〟だと思っていた人が雅也のお父さんだったなんて。
「は、はじめまして。安田ほのかです」
 あまりに突然のことで心の準備さえできていなかった私は、最初からつっかえてぎこちない挨拶になってしまった。
「雅也から、お付き合いしている人がいるって聞いてたよ。かわいいお嬢さんだ」
「あ、いえ、ありがとうございます」
 私は雅也の方をチラリと見て、照れながら答えた。
「ほのちゃん、ごめん。何か急用ができちゃったみたいでさ。近くまで送るから一緒に車に乗ってって」
「でも……」
 私は無理やり後部座席に押し込まれ、車はゆっくりと走り出した。私の後ろでは、時折ビールのケースやお酒の瓶がぶつかり合う音がしていた。
 信号で停車したときに、私はお父さんに向かって話した。
「雅也くん、何も言わないですけど、お母さん大変でしたね」
「そうか、雅也話したのか。仕事の疲れが溜まっていたんだろうな。心配掛けてすまなかったね。もうすっかり元気だよ」
「そうですか。よかった。雅也も言ってくれればいいのに」
「あ、うん……」
 私と雅也のやり取りを、ステアリングを握りながら聞いていたお父さんは、どこか楽し気に微笑んでいた。
 私が「この辺で大丈夫です」と言うと、車はコンビニの駐車場にスルリと吸い込まれ、ゆっくりと白い線の間に停車した。「ありがとうございます」と言ってドアを開けると、お父さんが私の方に体をひねって、
「何か悪かったね。本当にここでいいの?」
 と、声を掛けてくれた。
「はい大丈夫です。もう、すぐ近くなので」
 そう言って車から降りると、私は助手席の雅也に向かって手を振った。
「あとで連絡するから」
 雅也が手を振りながら言うと、車はゆっくりと駐車場を出て行き、私を乗せていた時とは明らかに違うスピードで走り出し、少しずつ小さくなっていく赤いテールランプが薄暗くなった街の向こうに溶けていった。
 
 お風呂から上がってリビングで寛いでいると、テーブルの上に置いたスマホがブルブルと震えた。私がスマホを手に取ると、もう一度ブルッとなってディスプレイには雅也からのメッセージが映し出されていた。
 パンダが頭を下げているスタンプと共に、
『今日はあんなことになってごめんね』
 と書かれていた。私はすぐに、
『いいよそんなの、気にしないで。それより、最初お父さんのこと変な人だと思っちゃったよ(笑)』
 と、お父さんの第一印象を伝えた。
『仕方ないよ、あの格好だもん。あの場所であの格好はどう考えても不自然だし。それよりさ、今度の日曜日にほのちゃん家に行っていい?』
 私は隣のキッチンで片付けをしているママに、
「日曜日に雅也が家に来るって言うんだけど」
 と言うと、
「構わないわよ。ママも仕事休みだし」
 どことなく嬉しそうな口ぶりでママは言った。
『ママはどうぞって言ってるわ』
 ピースサインの絵文字をつけて打ち返すと、
『ヨシ、決まり!』
 雅也から返ってきた文字を見ながら、(ガッツポーズでもしているのかしら?)と思っていた。しばらくぼんやりしていると、
『じゃ、また明日学校でね。おやすみ』
 という文字がディスプレイに浮かび上がってきた。私は『おやすみ』という文字を見つめながら、(なんて優しい気持ちになる言葉なんだろう)と思った。そして、パンダが鼻ちょうちんを作っているスタンプを送った。
 
 日曜日の朝、玄関先で雅也が来るのを待っていると、ママチャリを漕いで、こちらに向かってくる雅也の姿が遠くに見えた。息を切らしながらやって来た雅也は、キィーッという耳障りなブレーキの音をさせながら玄関の前に自転車を停めた。
「どうしたの? コレ」
「じっちゃんの借りてきたんだ」
 雅也が壁際に寄せて停めた自転車を見て、泥よけの下の方に書かれた『前田酒店』の文字に不思議がっていると、
「実質的な経営者は父さんなんだけど、元はじっちゃんが始めたお店だし、昔からのお客さんも多いからそのままにしてるって父さんが言ってた」
 と雅也から教えられた。私はそれを聞いて、雅也の家が酒屋だと知り、だからこの間お父さんがあんな格好で立っていたんだと理解できた。
 雅也が「お邪魔します」と言って靴を脱ぐと、上がり框に膝をついて脱いだ靴を揃えている。リビングから顔を出したママには「おはようございます」と言って軽く会釈をした。これらの動作が、飾られたものではなく普通にできているのは、弓道をしているからなのか、子どもの頃からのしつけなのかはわからないけれど、私自身を見つめ直すきっかけにはなった。
 雅也は私の部屋に入るとすぐに、
「あれ? 竹野内豊の写真増えてない?」
 と、部屋の変化に気が付いた。
「だって好きなんだもん。この髭を生やした写真は特にいいよ」
「あのさ、物を増やすとどんどん部屋が荒れてくるって知ってる? 特に普段動かないものを増やすとね。動くものは片付ければいいけど、動かないものは片付けられないから」
 そう言われてみればそうだなと、雅也の言葉に感心していた。私はそれよりも、どうして家に来たがったのか、そっちの方が気になって仕方がなかった。
「ねえ、今日はどうして私の家に来たいって言ったの?」
「あー、そのことだけどさ。ほのちゃんのお父さんとお母さんにもちゃんと挨拶しておきたいと思ってさ」
 私には雅也の考えていることをうかがい知ることはできなかったが、あまり深く考えずに(そういうところは真面目なんだな)くらいに思っていた。
 
 リビングに下りると、ママは雅也にあれこれ訊いてきた。
「雅也くんは、ほのかのどこが気に入ったの?」
 そんな下世話な質問をするママに、私は雅也のことを遮って、
「ママ! そんなこと訊く? 逆にママはパパのどこが良くて結婚したのよ?」
 私の突然の逆襲にひるんだのか、ママはそそくさと椅子から立ち上がり、
「お茶、飲むでしょ?」
 と、冷蔵庫の扉を開けた。
 
 しばらくすると、散歩に出掛けていたパパが重い足取りで帰ってきた。
「おかえりなさい。お茶でいい?」
 ママがいつもより少し高いトーンで言うと、それとは逆にパパは低く「ああ」とだけ答えてゆっくりと椅子に腰を下ろした。
 雅也は、一つゆっくりと、大きく息を吐きだしてから、
「はじめまして。僕は雅也といいます。三ヵ月ほど前から、ほのかさんとお付き合いをしています。よろしくお願いします」
 と、一言一言丁寧に言った。
「私は父のサトルです。カタカナで書くんだ」
「えっ、カタカナですか! 珍しいですね」
 パパの名前については、私も不思議に思っていた。サトルなんて漢字はいくつもあるのに、どうしてなんだろうって。お爺ちゃんが付けたとか聞いたけど、ハイカラなお爺ちゃんだったんだろうな、きっと。
 それからパパは、雅也のことを説き伏せるように淡々と話し出した。
「まあな、付き合いのことをとやかく言うつもりはない。間違いを起こしてもらっちゃ困るけど、ほのかのことを大切に想ってくれるなら俺はそれでいい」
「ありがとうございます」
「俺にも雅也くんのような時代があったから、君の気持ちも良くわかるしな。ただ俺は今の君みたいにちゃんと挨拶なんてできなかったな」
 立ったままパパの話を聞いていたママは、何か言いたげにしていたけれど、パパはそれを遮って続けた。
「あのな、今のこの時間もすぐに過去になっていくだろ? だから、時間を無駄に生きてほしくない。これは雅也くんだけじゃなくて、ほのかもだぞ! 後悔なんてもんは、俺たちの歳になればいくらでもできるんだ。お前たちは今を生きなさい。俺から言えるのはそれだけだ」
やっぱりパパは優しい。私はパパに愛されていると、パパの話を聞きながら感じていた。
「パパ、ありがとう」
 私は少し涙声になりながら言った。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?