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赤い糸はスパイシーな香り 第9話

 お葬式が終わって、少しずつ気持ちにも余裕が出てきた。私は、あの日雅也のそばにいてあげてよかったと思った。お爺ちゃんやお婆ちゃん、それからお父さんもずいぶんと疲れている様子だったし、何より雅也の落ち込みようは普通じゃなかったから。雅也は、どんなに辛くても自分を殺めるような人ではないのだけれど、お父さんと二人になったあの家のことの方が心配というか、気に掛かった。
『どう? 少しは落ち着いた?』
 私は雅也にメッセージを入れた。すぐに返事が帰ってくることはなく、私自身もそれを期待しているわけではない。ただ、雅也のいない教室は、私には無駄に広い空間でしかなく、声を掛けてくることも、髪を触ってくることもない右隣の席が、心なしか私の胸を締めつける。
 窓の外に目をやると、いつものようにアスファルトの上をせわしなく車が行き交い、通り過ぎる風が木々の葉を揺らしている。私はそんな日常の風景を見ながら、人の命の儚さと、生きているということの奇跡を感じていた。明日という日は誰の身にも等しく訪れるわけではなくて、毎日は奇跡の連続で訪れるということを……。
 
 その夜、ベッドに横になってうたた寝をしていた私は、雅也からの電話で目を覚ました。
「ほのちゃん、いろいろありがとう。本当に助かったよ」
「いいよそんなの。どう? 少しは落ち着いた?」
 ほんの数日で、お母さんのいない生活に慣れたりしないことくらいわかっている。でもそんなふうにしか言えなかった。
「そうだね。やることが多すぎて、悲しんでいる時間もなかったよ。それに父さんも僕も、いつかこうなるって覚悟はできていたしね」
 お母さんが入院した時には、医師から命の期限を伝えられていて、お父さんと二人で落胆していたという。一時期は塞いだ時もあったけれど、それでも私にも気付かせないように明るく振る舞っていたのだろう。そんな雅也の気丈さを今になって思うと、辛かっただろうと胸が痛くなる。
 私は雅也を気遣って、言葉を選びながら、
「そうだったんだ……。辛かったね」
 と、優しく言った。泣いているのだろうか。しばらくの間、雅也の声が聞こえなくなった。きっといろんな思い出が頭の中を駆け巡ったのだろう。
「ほのちゃんは優しいね」
 何かを思い出したように雅也は言った。
「なに言ってるのよ」
「僕、やっぱりほのちゃんを好きになってよかった」
 雅也から言われた『好き』という気持ちは、もう十分すぎるほど私の心に響いている。それでも、「好き」と言われるのはやっぱり嬉しい。
「ありがとう。ヨッシーも、クラスのみんなも雅也のこと心配してたよ。またいつもの雅也で来るのを楽しみにしてるからね」
「うん、週明けから学校も行くよ」
 お母さんが亡くなったという事実は変わらないけれど、これまでと同じように、元気な姿で学校に来てくれると言ってくれたことが嬉しかった。
 家族を、それも自分を産んでくれた母親を亡くした悲しみはどれほどのものだろうかと思うと苦しくなる。それでも雅也のそれとは比べ物にはならないのだけれど……。
 
     ◆
 
 雅也が学校に来るようになって、これまでと同じ日常が戻ってきた。最初の頃は、クラスメイトたちもどこかよそよそしい態度だったけれど、今ではそれもなくなった。
 雅也は就職をせずに、好きなパソコンのスキルを上げるために、専門学校に通うことを決めたらしい。
「ねえ、専門学校の後のことは考えてるの?」
「まだ具体的には何も決めてはいない。学べるものは学んで、とにかく知識を高めていきたいと思ってる」
 そんなふうに考えている雅也のことを、何だか危うい奴だと思った。自分にやりたいことがあって、そのために必要な知識を学びに行くのだと思っていたから、どこか拍子抜けした感じがしたのだ。
「何かこう、将来こんなことがしたいとか具体的なものはないの?」
「全く考えていないわけではないよ。インターネットのウェブサイトとか作ってみたいと思ってるんだ。これからどんどん伸びてくる分野だと思うしね」
 私にはわからない世界だけれど、雅也なりにちゃんと考えていることを知れただけでもよかったかなと思っていた。
 
 電車に揺られながらスマホを見つめていると、パパからの電話でそれは突然ブルブルと震えだし、慌てて手から落としそうになった。私はすぐに電話を切って、折返しパパに『どうしたの? 今、電車の中なんだよ』とメールを送った。
 電車がスルスルとホームに吸い込まれ、ドアが開くのと同時に、またブルブルと震えて電話が掛かってきた。一つため息をついて、
「はいはい、どうしたんですか?」
 と言うと、パパは少し高めのテンションで、
「おう、今ちょっとお客さんが来てるんだ。何か酒のツマミになるようなもの買ってきてくれないか?」
 と一方的に言ってきた。
「はあ? まだ四時だよ。どうして家にいるの? ていうか、こんな時間から飲んでるなんて意味わかんないんだけど」
「まあまあ……。とにかく何か買ってきてくれよ」
 少しイライラしながらも、私はスーパーの自動ドアをくぐった。
 
「ただいまー」
 スーパーの白い袋を持ってリビングに入ると、オヤジが二人、上機嫌で笑っていた。
「ほのか、悪かったな」
 パパはそう言って立ち上がると、お客さんの方を指して、
「パパの中学の同級生の斎藤さんだ」
 と、紹介してくれた。私は軽く会釈をして、「ほのかです」と言うと、斎藤さんはニコニコしながら、
「三年生や言うてたね。就職はどうなん? 決まったん?」
 と、関西弁で訊いてきた。私は床にバッグをおろしてから、
「おかげさまで。ハウスメーカーから内定をもらいました」
 と答えた。すると、それは良かったねと言ってくれたあとで、
「ほのかちゃん、学校に、パソコン触るのがめっちゃ好きで、就職決まってへんヤツとかおらへんか?」
 と訊ねてきた。
「どういうことですか?」
 私が訊くと、斎藤さんはジャケットのポケットからカードケースを取り出し、名刺を一枚手渡してくれた。
「おっちゃんな、東京でIT関連の会社を経営してんねん。誰かええ人おったら紹介してくれへんか?」
 そう言うと、横からパパが、
「そう言えば、雅也くん就職は決まったのか?」
 と訊いてきた。私はお昼に雅也と話したことを思い出していた。斎藤さんの意向もあるだろうけれど、これって雅也の理想にピッタリなんじゃないかと思った。私はパパの問い掛けを遮って、斎藤さんの方を向いて話を振った。
「すみません。私の彼なんですけど、パソコンは好きでよく触っているようなんですが、将来的にはウェブサイトとか作ってみたいと言ってるんです」
「えっ? ほんま?」
「専門学校に進学すると言っています」
 社長さんは目をキラキラさせながら、食い入るように話を始めた。
「そんなん遠回りしすぎやわ。目的が決まってんねんやったら、仕事しながら覚えていった方が早いて。おっちゃん、その彼と話してみたいな」
 社長さんが言い終える前に、私は雅也の携帯を呼び出していた。


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