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赤い糸はスパイシーな香り 第4話

第2章 『忍び寄る運命』

 夕飯を終えてリビングで寛いでいると、パパが煙草をふかしながら、
「ほのか、今度の土曜日はなにか予定あるのか?」
 と訊いてきた。(面倒くさいなあ)と私が聞こえないフリをしていると、もう一度同じことを訊いてきた。さすがに二度もスルーするのはパパもかわいそうだと思って、
「特に予定はないけど、何?」
 と、テレビを見ながら答える。
「約束してた携帯買いに行くか?」
 約束は守るパパだけど、まさか本当に携帯を買ってくれるなんて思ってもいなかったから、嬉しさよりも驚きの方が上回ってしまった。
「えっ、本当? 予定はないけど、たとえあったとしてもキャンセルするよ」
 身を乗り出してそう言うと、パパは笑いながら、逆に嬉しそうな顔をしていた。
 私はパパのことが好きだ。小さい時からいろんな場所に連れて行ってくれたし、一緒に遊んでくれたりもした。それに比べてママは仕事人間で、週末はほとんど仕事に出掛けていたように思う。だからといってママのことを嫌いというわけではない。
 十八歳にもなれば体は十分に大人だし、同じ女性として、動物的にというか本能的にママのことをライバル視しているのかも知れないと最近は思う。特に雅也と付き合うようになり、より異性を意識するようになってからは。
 
 土曜日   
 パパが運転する車の後部座席に座って窓の外を流れる景色をぼんやりと見ていると、ルームミラー越しにパパがチラリと私を見て話し掛けてきた。
「携帯電話ってクラスでどのくらいの子が使ってるんだ?」
「半分くらいかな。圧倒的に女の子の方が多いけどね」
 私は適当にそう答えた。実際はもっと少ないだろうけれど、「それならまた今度だな」とか言われるのも嫌だと思って、とっさに嘘をついたのだ。
 私を乗せた車はどんどん街から離れていき、窓の外にはのどかな田園風景が広がっている。私は窓の外を眺めながら、ルームミラーの中のパパに言った。
「どこに向かってるの?」
「どこって携帯電話を買いに行くんだろ?」
「どんどん街から離れているんじゃない?」
 私の心配をよそに、パパはチラチラとミラーに映る私に向かって言った。
「パパの会社の取引先だよ。携帯電話を扱っている会社で、社長さんが頼むって言うからさ」
「ふ〜ん」
 私はまた視線を窓の外に移して、流れていく景色をぼんやりと見ていた。
 パパに連れてこられた会社は、街中で見掛ける電気工事用のトラックが何台もある車庫のようなところで、見た目には携帯電話を販売しているようには見えなかった。
 パパはさっそく社長さんに挨拶をしている。頭をペコペコと下げ、普段家族には見せることのない姿を見せつけられた。私は見てはいけないものを見てしまったような気がして、ちょっと胸が痛い。
 パパから社長さんを紹介され、
「安田ほのかです。今日はよろしくお願いします」
 私はありきたりな挨拶をして、軽く会釈をした。
「お父さんからいろいろ聞いているよ。本当にかわいいお嬢さんだ。これからお父さんも心配だろうね」
 本当にそんなふうに思っているのか怪しいものだと思いながらも、私はニコッと笑顔を返した。
 
 私がカタログのページを捲ってあれこれ見比べていると、事務のお姉さんが近付いてきて、機種の説明をしてくれたり、勧めたりもしてくれた。
「ねえ、高校生だよね? これなんかいいんじゃない?」
 新しく発売されたばかりの〝スマートフォン〟とかいう機種を紹介してくれた。これまでのボタン操作ではなくて、タッチパネルディスプレイのいかにも高価そうな機種だった。
「お父さんに買ってもらうんでしょ? 遠慮なんかしちゃだめだよ」
 笑みを浮かべて私の相手をしてくれる。「彼氏はいるの?」とか、興味津々に訊いてくる。私が「います」と答えると、それならと言ってスマートフォンを猛プッシュしてきた。
「それじゃ、絶対にスマートフォンにした方がいいよ。パソコンを持ち歩くようなものだから、できることが携帯とでは比べ物にならないわよ。これからの時代は全ての電話がこっちにシフトしてくると言っても過言ではないわ」
 結局私はお姉さんに押し切られる形で、スマートフォンを手に入れることになった。
 お姉さんは私に、今回の用件以外にもいろんなことを訊いてきた。特に将来のことについてはあれこれと。
「大学に進学するの? それとも就職?」
「進学するつもりはないかな。やっぱり就職することになると思います」
 パパは相変わらず社長さんと何やら話し込んでいる様子だったけれど、私たちの話に聞き耳をたてているのではないかと思って、あまり露骨な話はできないなと思っていた。
「こういう会社もいいわよ。おじさんばっかりだから浮気とかしたくてもその気になるような相手がいないしね。何より結婚してもずっと勤められるのがいいわ」
 お姉さんの話には説得力があった。やっぱり生きていくためには仕事はしなきゃいけないし、パパやママのことを見ていると、専業主婦って無理があると思うし。
「貴重なお話をありがとうございます。お仕事のことなんて考えたこともないですけど大事ですよね」
「そうね、私も適当にこの会社選んだけど、もう十年よ。結果的には正解だったと思うけどね」
 私もお姉さんの考え方は正しいと思う。二十八歳で家庭があって子どもがいて、それでいてちゃんと仕事もできている。(私もこんな女性になれるのかなぁ)そんなふうにぼんやりと考えていた。
「とりあえずこれで使えるようになったわ。あとは使ってるうちに感覚的にわかるようになるから」
「はい、ありがとうございます」
「あとね、困ったことがあったら連絡してくれればいいわ。電話帳に番号入れておいたから。私は町田咲良まちださくらっていうの」
「咲良さんて素敵な名前ですね」
「本当はひらがなで〝さくら〟が良かったかな。ほのかちゃんもかわいい名前だよ」
 私は自分の名前がパパによって付けられたことを告げた。とても気に入っているし、この名前で良かったと思っている。大好きなパパに付けてもらったから、名前に傷をつけないようにしなきゃっていつも思っている。
 
「ほのか、もう終わったのか?」
 社長さんとの話が一段落ついたのか、それとも私と咲良さんとの話が気になったのか、パパがこちらに歩みを寄せてくる。
 私は手にしたスマートフォンをパパに見せながら、「コレにしたわ。最新モデルらしいの」と、得意げに言った。パパは書類に書かれた金額を確かめたあとで、私の顔を見ながら苦笑いで言った。
「またママに怒られそうだな。いつもほのかに甘いって言われてるからな」
「大丈夫よ。私はいつだってパパの味方だから。ママに何か言われたら私が戦ってあげるから心配しなくていいよ」
 パパは嬉しそうに笑みを浮かべながら、咲良さんと支払いの話を始めていた。咲良さんもテーブルの向こうで笑っていた。
 私はスマートフォンを触りながらあれこれと設定の変更をして、友だちから言われていたメッセージアプリのインストールにも成功した。すると『キンコン』という音とともに『町田咲良さんが友だちになりました』と表示された。
 咲良さんはパパと契約に関するいろんな話をしていて、一通り話が終わったあとで、
「安田さん、さっきほのかさんとお仕事の話もしていたんですよ。もしも就職が困難な時は言ってください。私が社長にほのかさんの採用をプッシュしますから」
 と、私の就職についても話していた。まだ三年生になったばかりで何も考えてはいないけれど、そんなふうに心配してくれるのはやっぱり嬉しい。パパは咲良さんの心遣いに恐縮している様子だったが、そのあとで小さな声で社長はどんな人なのかと、探るように問いかけたりもしていた。咲良さんは、そんなパパに向かって笑いながら言い放った。
「ただの禿げたオヤジですよ」


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