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好きなみ言葉は何ですか?

こんにちは!
新米クリスチャンのリョウです。

このブログは、全くのノンクリスチャンだったボクが、
クリスチャンとして導かれ、その中で見たもの感じたことなどを
気ままに書き綴っていこうかと思っています。

不定期更新ですので、たまに覗いてみてください。

第十三回目は、シンプルに、ボクの好きな「み言葉(聖句)」についてお話します。

イチバン好きなみ言葉

前回お話したように
聖書を読み始めてからしばらくは、
み言葉の意味やストーリーを追うのに精一杯で、
み言葉を覚えたり、「このみ言葉が好き!」
と言えるようなレベルにはありませんでした。

何より義務感で読んでいた部分が大きいので
このみ言葉によって救われた!
とか
このみ言葉によって励まされた!
というような経験も乏しかったと思います。

しかし
教会に通い、たくさんの説教を聞き
意味は理解しきれなくても聖書を読んでいるうちに
だんだんと、み言葉の力を体験していったような気がします。

今まさに聖書を読み始めた方がいらっしゃったら
ぜひみ言葉の力を体験して欲しいと思います。

さて、今回は証というより
単純にボクの好きなみ言葉の紹介です。

ボクがイチバン好きなみ言葉は、

「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。

ヨブ記 1:21

と、もうひとつ
同じくヨブ記から

「われわれは神から幸をうけるのだから、災をもうけるべきではないか」。

ヨブ記 2:10

の2つです。

ヨブのこの信仰は、
ボク自身が試練を受けた時、本当に心の支えになりました。

心が砕ける様な状況の中、このみ言葉が頭に浮かび
耐え忍ぶことができました。
(その試練については、また別の機会にお話します)

今回好きなみ言葉について書こうと思ったとき
自分が心に響くみ言葉が
似たような傾向にあることに気がつきました。

次もボクが大好きなみ言葉なのですが、
エステルがユダヤ人のピンチを救出するために
モルデカイに伝えた言葉です。

「…そしてわたしは法律にそむくことですが王のもとへ行きます。
わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」。

エステル記 4:16

ヨブとはまた少し違いますが、
なんだか逆境の時に、その杯を飲む覚悟に
心が動かされるんですね。

なんでこういうみ言葉に心が動かされるんだろう?
と少し考えたのですが、高校時代の経験が、影響しているように感じます。

嫌だった思い出が信仰を支えていた

ボクは高校時代
アメリカンフットボール部に入っていました。
(信じられない!とよく言われます。ボクもそう思います笑)

ボクは体も大きくなく、細いので
ハッキリ言って全く向いてませんでした。
自分でも、なんでアメフト部になんか入っちゃったんだろうとずっと後悔していました。

スポーツを頑張っている人には申し訳ないですが、
ボクは一度もアメフトを楽しいと思ったことはありませんでした。
それどころか、小学校、中学校は野球をやっていたのですが、
野球も楽しいと思ったことは一度もありませんでした。

勝負事が好きじゃないんですね。

そんな風に、3年間嫌な思い出しかないアメフト部の経験でしたが、
ひとつだけ、心に刻まれた経験をしました。

それは、アメフトというスポーツは、練習にせよ、試合にせよ
自分の何倍もあるような選手とぶつかり合わなければならない局面があります。

そういう時、当たり前ですが絶対勝てないんです。
絶対勝てないんですが、
それを小手先のテクニックで避けたり
逃げ腰で勝負に出たりすると、勝てないどころか怪我をするんです。

そういうピンチな状況では、
とにかく基本に忠実に思いっきり踏み込むと
勝てないまでも、ほとんど痛みを感じないし、怪我もしないんです。

この体験から、ボクは逆境に立つと
大切なことを確認し、思いっきり踏み込む癖がついたのです。

これは理屈ではなく、体に染みついた癖になりました。

聖書を知り、神様に出会ってからもそれは変わらず、
ピンチの時ほど信仰が燃えるのを感じます。

「なんでこんなひょろひょろのボクが
アメフトなんかやって高校3年間を棒に振ってしまったんだろう」
と思ったこともありましたが、この経験は、信仰生活で
非常に重要な経験になった気がします。

振りかざしたその正義は、誰に向けたもの?

さて、他にもいくつか好きなみ言葉があるのですが、
ちょっと違うテイストのものを紹介します。

このみ言葉を好きなみ言葉として挙げる方は
いるんでしょうか笑?

それは、サムエル記下12章です。
ダビデがバテシバと姦淫をし、夫ウリヤを殺してしまい、その後ナタンに譴責を受けるシーンです。
ナタンがたとえ話をし、
ダビデがそのたとえ話の主人公に対して怒った時に言った言葉です。

ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。…」

サムエル記下 12:7

これは、ボクが他人を批判したくなったり
相手の間違いを、(高慢な心をもって)正してやろうと思ってしまったりする時にいつも思い返す、み言葉です。

あなたがその人です。

ボクはいつも、本当にナタンに譴責されているように感じているのですが、
大抵の場合、他人の欠点を見つけたとき
大きさの違いや、カタチが違うことはあれど
ほとんど自分にも同じ欠点があるんですよね。

これはボクがいつも高慢にならないように
自分に対して戒めているみ言葉です。

最後にもうひとつ
これは有名なみ言葉なので、
好きなみ言葉にしてる方も多いかもしれません

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。
それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、
あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。

エレミヤ書 29:11

このみ言葉は、「神様に全てを委ねる」
ということがなかなか出来ずにいた時に、SOSTVの説教動画の中に出てきたみ言葉で、
全てを委ねるということにどこか恐怖心があって
何か損するんじゃないか?
とか、
幸せは全て捨てなきゃいけないんじゃないか?
と考えてしまって、前に進めなかったボクに
神様の愛を教えてくださったみ言葉です。

挫けそうな時は
何度もこのみ言葉を見返し、祈っています。

好きなみ言葉は他にもたくさんあるのですが、
最近よく反復するみ言葉を中心にご紹介いたしました。

皆さんの好きなみ言葉はなんですか?
今度ぜひ教えてくださいね。


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