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讃美歌っている!?

こんにちは!
新米クリスチャンのリョウです。

このブログは、全くのノンクリスチャンだったボクが、
クリスチャンとして導かれ、その中で見たもの感じたことなどを
気ままに書き綴っていこうかと思っています。

不定期更新ですので、たまに覗いてみてください。

第七回目は、
「讃美歌」について
ノンクリスチャンだったボクが感じたことをお話していきます。

ロックが大好きだった頃

以前少しお話ししましたが、
ボクは大学の頃ロックバンドを結成し、活動していました。
なので世俗の音楽は好きな方だと思います。
(とはいえ大学の音楽サークルの先輩方は音楽マニアばっかりだったので、
自分ごときが音楽に詳しいとは言えず、音楽を好きだという気持ちにも自信は持てなくなっていましたが…)

当時は本気でプロを目指していました。
曲を作ってCDを作って、ライブハウスでライブをする日々。
懐かしいですが、今思い返すと
気づくことがたくさんあります。

ライブや、曲作りは楽しかったですし、
バンドメンバーとの青春は忘れがたいものでしたが、
いつも心は満たされませんでした。

この渇きは、成功すれば満たされるはず。
そう思い込んでいました。

お酒もたくさん飲んで、
嫌なことを忘れるために爆音でギターをかき鳴らしていました。

それがロックだ。
それが人生だ。

とすら思っていました。

余談ですが、
ボクらのバンドで一番人気のあった曲のタイトルは
「さよなら友達」
というものでした。
悲しいタイトルですよね(笑)

ボクはバンド活動中に結婚することになったのですが、
当時サークルの仲間たちがボクにサプライズ結婚ライブを開催してくれました。

ボクらのバンドが最後の出番で、最後の曲の手前でサプライズの結婚祝いだというネタバラシになり、
ライブは大盛り上がり。

その時に感謝の心でいっぱいになり、MCでこんな話をしました。

「今日はこんなサプライズをしてくれてありがとう。こんな仲間たちに囲まれて、本当に幸せです。本当にありがとう。それでは最後の曲です、聴いてください。『さよなら友達』」

開場は大ウケでした(笑)

今となっては懐かしい笑い話です。

そんな感じで、音楽に浸りながら
楽しくもどこか虚しい日々を送っていました。

その後音楽の道をあきらめ、
やがて結婚生活がうまくいかなくなり、
今度はビジネスで成功しようと、がむしゃらに働きはじめました。

10年間休まず働いてみたものの、お金も名誉も成功も虚しく感じ、
心身共に疲れ切っていきました。

それでも仕事は待ってくれないので、
好きな音楽を流しながらなんとか奮起をして仕事をしていました。

飲食店をやっていたとき、一人で仕込みをしている時間は
好きな音楽に癒され、勇気づけられる時間でした。

するとあることに気が付きます。

音楽を聴いていると癒されると思っていたのに、
逆にイライラしていることに気が付きました。

あんなにロックが好きだったのに、
うるさいなと思う様になりました。

好きなものも、食べ過ぎれば胃もたれしたり気持ち悪くなると思うのですが、そんな感じに近いかもしれません。

とにかく世俗の音楽を長時間聴くことが辛くなってきました。
(のちにこの仕込みの音楽タイムは、SOSTV聖書の預言シリーズを聴く時間へと変わっていきます。説教をたくさん聴く時間を作ってくださった神様に感謝です。説教を聴いていると、心が平安になっていくのが分かりました)

そんな風に、世俗の音楽に対し
嫌いとまではいかないまでも、信頼を置かなくなっていた頃、
聖書と出会いそして教会に通い始めます。

長い前置きが終わりました。
ようやく本題です。

退屈だった讃美歌の時間

前回「教会の話」で少し触れたのですが、
教会に行くにあたって一番の心理的ハードルは「讃美歌」でした。

よく映画などでクリスチャンが教会に行くと、必ず讃美歌のシーンが出てきます。
なので、教会=讃美歌。
そんなイメージがありました。

ですがボクが教会に行きたかった理由は、信仰の仲間が欲しかったのと、
聖書の学びを深くしたいということでした。

なので、説教と交わりの時間、そして聖書研究の時間があれば
特に讃美歌の時間はいらないと思っていました。

ちなみになぜ讃美歌が心理的なハードルになっていたかというと、
まず讃美歌を一曲も知らないし、
(アメイジング・グレイスくらいは知っていましたが、当時は別に好きな曲ではありませんでした)
世俗の音楽畑出身のボクからすると、讃美歌は退屈で眠くなる音楽でした。

讃美歌を歌う意味も分かりませんし、信仰にどう影響するかも分かっていませんでした。

ボクにとっては、ただの“歌の時間”だったのです。

なので最初は、
「早く讃美歌の時間が終わって、説教始まらないかな」
そんな風に思っていました。

ですが教会員の方々の真剣さや、喜んで賛美歌を歌っている姿に、
「こんな態度じゃいけないな」。
そんな風にも感じるようになりました。

そこで家の家事や移動中などに、讃美歌を流すようにしてみました。

讃美歌を覚えようとか、真剣に向き合おうとか
そういう想いではなく、単にサタンが部屋に入ってこないように“魔除け”みたいな意味合いで、とりあえず流していた感じです。

讃美歌の力を体験

そんな不純な動機で流し始めた讃美歌ですが、
ある日、気が付くと讃美歌を口ずさんでる自分に気がつきました。

そして今度は、仕事や友人たちの交わりの中で、
悪口など聴きたくない話題になると、
頭の中で讃美歌が流れ、神様を思い出させてくれるようになりました。

讃美歌の歌詞も全然覚えてはいないのですが、
少し心が疲れた時、
ふと讃美歌の歌詞を思い出し、勇気づけられたりしました。

そこまでくると、ボクの心はもう観念しました。
讃美歌の持つ力の凄さについてです。
全く心なく讃美歌をとりあえず流していただけでこれだけの力があるのに、
心から神様に賛美を捧げたとき、どれだけ神様の恵みにあずかれるか分かりません。

それから讃美歌礼拝の時間は、ボクにとって神聖な時間となりました。
今では教会での讃美歌の時間は大好きな時間になりました。

神様に讃美を捧げながら、様々なことを瞑想し、
心から感謝します。

辛くて聖書が開けない時も、讃美歌で涙があふれ、神様の愛を再確認したこともあります。

もともとクリスチャンだった方には、讃美歌礼拝は当たり前なのかもしれませんが、ノンクリスチャンのボクにとっては、その様な葛藤と経験が必要でした。

讃美歌の素晴らしさを教えてくださった聖霊様と、
いつも心ある讃美歌を聴かせてくれた
みことば教会に感謝します。

最後に、
「好きな讃美歌は何ですか?」と聞かれると結構困ってしまいます。

何でも好きなので(笑)

でも一番聴いているのは、『聖なる都』だと思います。
素晴らしい讃美歌なので、是非皆さまも聴いてみてください。

聖なる都はコチラで聴けます!
↓↓↓


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