東海教区学習会レポート
令和6年1月30日(火)東海教区にて「新しい領解文」の学習会が開催されました。宗派からは公文名総務、満井研究所所長、中井真人統合企画室幹事がご出席でした。はじめに真宗宗歌の唱和はありましたがタイムスケジュールに記載されていた「新しい領解文の唱和」はありませんでした。
その後、満井総合研究所所長から「新しい領解文に学ぶ」と題してに40分の講義がありました。資料は講義のパワーポイントをレジュメ化したもの、『新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)ご消息と解説』の冊子、そして『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』が配布されました。講義で使われたのはパワーポイントが中心で他の資料については一部を紹介する程度でした。
後半の質疑応答は50分の予定でしたが最終的に40分ほど延長しました。教義的な内容や手続論など過去の学習会の質問と重複する内容は省略して、個人的に印象に残ったものを一部抜粋してまとめてご紹介いたします。
唱和推進について
Q 『なぜ「私の煩悩と本来ひとつは本来一つゆえ」なのか』が作られた意図は。
Q では、なぜ誤解を生じやすく危険をはらむものを唱和させるのか。理解を得たうえでするべきであって、理解を得ず誤解を生じさせ危険性があるものを唱和させることに疑問を感じる。どうして100%唱和させる判断がなされたのか。
Q 誤解を生じさせる恐れがあるとわかっているものを100%唱和を先行させて、今もなお修正されないのかと聞いている。
Q 昨年12月に宗会議員として全体会に参加した。その際に学習会を振り返った中間総括の報告で「理解が深まらない等の意見が多くあり、学びを深めるために継続した学習機会の創出が必要である」とあったのに、なぜ理解を深めようとする回答をされないのか。
浄土真宗の救いのよろこびついて
Q 「浄土真宗の救いのよろこび」が抹消された理由、またそれを拝読してはいけないのかを教えてほしい。
安居について
Q 安居の人事が決まってないのはなぜか。宗学を研鑽される方々へ不誠実ではないか。是正をしていただきたい。
ご門主に意見は言えないのか
Q ご法義を守っていくというのが何より大事な事であると思っている。当教区布教団研修会の際も満井和上は何度も誤解を生む危険性があるものだと強調されておられたが、お言葉の内容云々に意見できる領域ではないとおっしゃった。であれば、もしこのお言葉の内容に問題がある場合でもご門主さまのお言葉である以上一切触れらないということなのか。少しもご意見をお伝えすることができないということなのか。もしご門主さまに一切ものを申すことができないのであれば、はたして戦時教学の反省は一体どこへ行ったのか。ご門主も凡夫ではないか。ご門主がこれからもし仮に「戦争万歳」とおっしゃった時にその事に誰ももの申せない宗門なのか。内容云々よりもその事が大きな問題として混乱が起こってるのではないかと懸念している。誤解を生む危険性は満井和上も勧学寮もそう思ってらっしゃる。それでも何も申すことができないのであれば、たとえ領解文の問題がなくなったとしてもまた同じような問題が起きるのではないかと不安を覚えている。満井和上と公文名総務にお聞きしたいことは、この件に関してどのような形でもご門主に対して一言申し上げると言うことは不可能なことのか。
門徒無視
Q 先程マイクのないところでご門徒さんが声をあげておられた。「門徒の立場はないのか、争っとるだけじゃないか」と。今回の問題で欠けてる部分ではないか。そのご門徒さんはご本山から別院一般寺院に参られてるお方でおあさじから御正忌報恩講まで一番前で一番大きな声でお念仏をされてる方のうちのひとりである。そういうご門徒を第一に思うアクションや何か行動を起こして欲しい。先ほど聞こえてきたご門徒の声が、現場の生の声ではないか。それをお含みいただきたい。
最後は恩徳讃で終わりました。
所感
①本学習会にはご門徒さんも参加されていました。名古屋別院では毎朝の勤行で新領解文を唱和しています。そのご門徒らの前で、本件について混乱してるなど危険性があるだの進め方を検討するなど僧侶同士が言い合ってる姿を省みて、そのようなものを唱和させてしまい恥ずかしく申し訳ない気持ちになりました。自坊では拝読する予定もなかったのでどこか他人事でしたが当事者意識が生まれた気がします。そして、総局が唱和について混乱を招いていることを認めたこと。さらに唱和のすすめ方については検討されることを聞いてほんの少しの進展を思いましたが、変わらず各別院や得度や教師、宗門教育機関にて唱和されているので検討ではなくただちに変更願いたい。
②成立に過程に瑕疵があったという疑念は、答弁を重ねるうちに嘘を塗り固めて本当にしてしまった感がある。そこに我々も諦めが生まれている印象だ。あと、最終的には選挙で行動せねばならないのだと思った。政治の決定が教学論や感情論では動かないならば『領解文を考える会』のうねりを選挙に結び付けたい。勧学司教の和上さんが一人でも立候補するならば、またうねりも大きくなるのではないか。所感というより残念だった思いが大きい。『考える会』が提唱するように、過去の質問を精査し、論点を絞って質問に備えることは大事なことだと思った。
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