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城田涼子のお城旅「安祥城」

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 皆様御存知のように、竹千代(後の徳川家康)は、織田信秀(織田信長の父)の人質となっていました。

※詳しくは『伊束法師物語』「岡崎与駿府一味之事」
https://note.mu/ryouko/n/n9ecfaceb47e2

 奪われた竹千代を取り戻そうとして、「黒衣の宰相」こと太原雪斎が考えたのは、

 ──人質交換

でした。
 安祥城(愛知県安城市安城町)を攻め、城主・織田信広(織田信秀の長男)を生け捕りにし、竹千代と交換しようというのです。(普通は、城を攻めると、城主は「生き恥を晒したくない」と切腹してしまうので、難しい作戦だと思います。)

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安祥城は、現在、
・本丸→大乗寺
・二の丸→八幡社
・三の丸→安城市歴史博物館
になっています。

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※「安祥城址」と彫られた石碑を撮ろうとすると、背景に大乗寺の山門が入ってカッコいい!
※二の丸と本丸とは20mほど離れていて、しかも周囲は切岸なので、二の丸と本丸との連携がとれない気がしますが・・・連携する時は橋を架けるのでしょうか?
※三の丸は安城市歴史博物館になっています。学芸員さんが非常に優秀なのか、単に私と気が合うだけなのか(多分前者)、素晴らしい特別展や無料講演会が開かますので、要チェックですぞ! 売店の商品も充実してます!
 と、宣伝したところで、来年の3/31まで改修工事で休館ですよね?
※安城市歴史博物館 https://ansyobunka.jp/

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小豆坂之合戦之明の年、今河殿より説斎ちゃうろ[雪斎長老]を名代として、駿河、遠江、三河、三ヶ国の人数を促(もよをし)て、押して出で、西三河の案祥[安祥]え、即(すなはち)、取り詰めけり。案祥の城には、小田[織田]の三郎五郎殿、移らせ給ひて御所(をわします)に、四方より責め寄せて、鐘、太鼓を鳴らし、四方より矢、鉄砲を放し、天地を響かせ、鯨波の声を上げ、持つ立て、掻い立て、井楼を上げ、矢蔵[櫓]を上げ、竹束を付けて、昼夜、(一)時の間も油断無く、新手を入れ替え、入れ替え、責め入れば、早、二、三の丸を責め取りて、本丸斗(ばかり)に成りて、あつかいを懸けて、二の丸え下ろして、即、堄(ししがき、鹿垣)を結て押し込みて、籠(かご)の内の鳥、網代(あぢろ)の内の魚の如くにして置く。其れよりして、小田[織田]の弾正の中え、説斎ちゃうろ[雪斎長老]より、申し遣わしけるは、「三郎五郎殿をば、二の丸え押し下ろし、即、堄を結て押し入れて置く。然るとは云へども、松平竹千代殿と人質替えにも成られ候はんや。其の儀に違いては、尤も也。然らずんば是にて御腹を切らせ申さん」と申し遣はしければ、平手と林両人より返事に、「仰せ越され候儀、尤もに存知候。さらば、取り替へ申さん」とて、其の時、相互ひに相替へにならせられ給ひしより、竹千代様は、駿河の国え御下りに成られ、駿府の少将之宮町に御年七歳より十九の御年まで、御気遣いを成され候御事、云ふにはからず。
※出典:大久保彦左衛門『三河物語』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992777/60


さて、安祥合戦の今川軍の陣形は、次のようなものでした。

 第一陣(三河衆)─第二陣(遠江衆)─第三陣(駿河衆)

 駿河衆が最後尾・・・ずるいとは思いますが、今回は三河国内の戦いですし、竹千代を取り返すための戦いですから、三河衆(岡崎衆)から先陣を希望したようです。

※第一陣:岡崎衆
※第二陣:松井宗信(二俣城主)、朝比奈泰能(掛川城主)
※第三陣:太原長老(太原崇孚、雪斎)

【実際の戦い】

①織田軍が安祥城から出撃する。
②第一陣最先端の岡崎衆が弓を射る。
③矢が尽きて、三河衆と織田軍の白兵戦になる。
④斬ったり、斬られたりの惨劇。互いに疲れる。
⑤「三河衆は横にどけ」と命令して、新手(第二陣)の遠江衆が一斉に鉄砲を撃つと、織田軍は、その音の大きさにビビった。
⑥第二陣が盾や竹束の陰から出て、突撃する。
⑦(命令は無かったが、自己判断で)横にいた第一陣が横槍を入れる。
⑧第三陣が弓を射た。その命中率は高く、織田軍が城へ退却を始めた。
⑨総攻撃して、二の丸、三の丸を落とし、本丸のみが残る。
⑩太原和尚は、織田信広に、負けを認めてニの丸に移るように指示する。
⑪織田信広を二の丸に監禁し、織田信秀に人質交換の手紙を出す。
⑫織田家家老の平手政秀、林秀貞連名で「承知」と返事が来る。
⑬尾張国笠寺で人質を交換する。(人質交換は、相手国に少し入った場所でするのが常識です。後に鵜殿父子と瀬名姫母子の人質交換が吉田で行われました。詳しい場所は知りませんが、位置的に、大井川河口の吉田ではなく、三河国に少し入った豊橋市でしょう。)

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 安城市には「歴史の散歩道」と呼ばれるコースが複数あります。時間があれば「安祥城址と古戦場めぐりコース」を歩いてみてはいかがでしょうか?(詳細な地図は安城市歴史博物館にあります。もちろん、無料ですよ!)

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