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光秀本3冊読了!!!

私の読書スピードは、小説1冊2日、解説本1冊3日だから、
『伊束法師物語』を訳しながら、この早さは異例。
褒めて(笑)。

『小説集 明智光秀』は面白い。
http://www.sakuhinsha.com/japan/27716.html
編集部員が面白いと思った小説だけ載せてるので、
面白くないわけがない。

単行本だから1800円+税と高いが、
文庫本なら安い。
『光秀』(PHP文芸文庫)
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-76955-4
『小説・明智光秀』(宝島社文庫)

明智憲三郎『歴史捜査 明智光秀と織田信長』
この本は明智憲三郎氏が書かれたのでしょうか?
いつものような熱さがない。
宝島編集部『明智憲三郎ガイドブック』
って感じのさらっとした本です。

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乃至政彦『信長を操り、見限った男 光秀』
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309227849/

①いいところ:ページ配分
②悪いところ:私の読解力

この「明智光秀伝」は、他の方の「明智光秀伝」とページ配分が異なる。
・織田信長に出会うまで数ページ
・織田信長と明智光秀が約半分
・本能寺の変の謎解きが約半分
・本能寺の変後が数ページ
がよくある「明智光秀伝」であるが、この『信長を操り、見限った男 光秀』は、他の人物の人物伝と同じページ配分なのがいい。本能寺の変も、何の謎もないとして数ページの扱いである。(私も「てへぺろ説」の支持者です。)

悪いのは、「織田信長と明智光秀」の部分。タイトルからは、作者は「明智光秀は、織田信長を操り、天下をとらせた」(名将の陰に名軍師有り)と言おうとしていることが伺われるが、私の読解力では、「世の中、織田信長は反足利幕府で、明智光秀は足利幕府の復権のために織田信長を討ったという風潮で満ち溢れているが、織田信長ほど足利幕府の復権を願った人はいない」と書いてあるように読み取った。つまり、読んでいて、主語が明智光秀から織田信長に変わるように思われた。

面白かったのは、
(1)明智光秀の母と妻の話
私が聞いていたのは、
①母は小浜の人で、近くのお寺で修行し、その寺の住職が称念寺の住職になったので、明智光秀も、住職を頼って称念寺の前に住んだ。
②妻木氏の妻は継室で、前室(正室)は佐和山城主の娘
でも、この本を読んで「佐和山城」は「宇佐山城」の聞き間違えではないかと思えてきた。
(2)安土城は誰のための城か?
例の石を拝む時、確か拝む人と石の延長上に天主があり、石を拝むと、同時に天主を拝んだことになるんですよね?

他に面白かったのは、
・「随分衆」の「随分」の定義の変遷
・可児市の明智城も、明智光秀の肖像画も怪しい。(クロミツにCGで彩色したらどうなるのかと気になった。)
・「瓦礫沈淪」は明智光秀のことではない。
・最初は「惟任」ではなかった。→自筆本を見る必要性
(織田信長が名乗らせたといえば、天野信景『塩尻』に「美濃国明智郷からの使者・御門重兵衛を織田信長が気に入り、明智十兵衛と名乗らせ、仕えさせた」とあるそうですが・・・帝国書院の上下2冊と『日本随筆大成』の6冊(塩尻1-4、塩尻拾遺1-2)を図書館で見たけど、探し方が悪いのか載っていませんでした。『塩尻』には、桶狭間の絵図や、桶狭間の戦いの解説(『尾張国名所図会』に掲載)も載っているとのことですが、それも見つけられませんでした。そもそも『塩尻』は、全1000巻で、出回っているのは100巻本とのことですから・・・。)

これは違うと思ったのは、
・「一僕の者=従者が1人だけの武士」という解釈
・織田信長の花押は「麒麟」→主要参考文献に『政秀寺古記』がない。
・細川ガラシャの母は前室

「明智光秀の子に年齢差があるのは、正室が産後の肥立ちが悪くて早世すると、子供を預けて全国武者修行(6年~10年)に出て、帰ってきてから再婚して子を儲けたから」と説明するのが一般的ですよね?
 細川ガラシャの母親と生まれた場所については諸説あるけど、通説の通り、「母は継室であり、細川ガラシャは越前国(現在、明智神社になっている明智屋敷)で生まれた」でいいと思います。

それはそうと、11月は光秀本の発行ラッシュですね。
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