『悪鬼』に見る生と死

「死が遠くにある時、人は死を望むが
 死がいざ目前に迫ると、生を乞い願う」
            ーーーりょも

いやいやいや~なんとなくそう感じましてね。

この記事、去年の年末に下書きに入れてたのですが、年末に公開する話題でもないのかなと思ってそのままにしてました。
放送大学の試験も終わったので、続きを書いて公開します。

さて、Disney+で韓国ドラマ『悪鬼』を観ました。

ネタバレにはならないと思うのですが、万が一にもヒントも目にしたくない、と思われる方はここから先は読まずにお戻りください。





では、始めます。

『悪鬼』のあらすじとしては、

家が貧しく学生時代から苦学生を強いられ、受験準備中だったク・サニョン。ある日、死んだと聞かされていた父が実は生きていて、最近不可解な死を遂げたと知らされる。祖母から父の遺品を受け取ると、なぜか周りの人が次々と死んでいく…。ある時、悪鬼の姿を見ることができる男、ヨム・へサンと出会い、自分を呪っている存在を知ることに。真相をともに暴くべく協力することになった2人が、呪いを解くために奮闘するオカルトミステリースリラー

オリコンニュースより


という感じなのですが、私いつものように悪鬼側に感情移入してしまいまして。。
すごい泣きました。

サニョンが悪鬼を退治すべく向き合った時に、悪鬼が言ったセリフがずっと頭から離れません。

「あの頃、私たちは生きるためならなんだってした。木の皮さえ食べた。(略)そうまでして生きたかった。それなのに今、この世界に生きているお前らは何だ。ちょっと嫌なこと、ちょっと苦しいことがあるとすぐ死にたい死にたいって。お前もそうだっただろう?そういう奴らの人生を私が生きて何が悪い?」

そうだよね、もっともっと生きたかったよね…(泣)

『悪鬼』は韓国のお話ですが、日本も同じですよね…。
昔、祖父母と暮らすのが当たり前だった頃は、人は大体家で亡くなっていたし、身近な人の死に触れる機会もみんなあったことでしょう。
しかし現代の日本では病気になれば病院に容れられ、祖父母と暮らす家庭も減り、死が遠すぎて、特に都会に暮らしてると「自分もいつかは死ぬ」なんて当たり前のことを忘れがちな人が多いような気がします。

私は、自分より寿命の短い犬や猫たちを何頭か看取ってきたので、生と死は表裏一体、生きていればみんないつか死ぬ、自分も明日死んでもおかしくない、という思いが強いのですが、死を悪いものとして遠ざけ、怖がり、時に死に恋い焦がれる現代人のこの心境は、どうしたものなのかなと感じることがあります。

問題は、死が遠くなりすぎたことだと思うのです。

SNSを見ていると、希死念慮に襲われるとか、死にたいとか、安楽死を早く認めてくれだとか、そういう言葉を目にする機会も少なからずあるのですが、そういうものを見ると私は「みんな死が目前に迫ってないのだろうな」と思ってしまいます。
死が、どこか遠くにあるから、死を願ってみたくなるのでは、と。

これは私の話なんでがね。
去年の夏、酒さ様皮膚炎がひどかった頃、もういやだ、いつまで続くのか、本当に良くなるのか、いっそ死んだら楽になるのでは、なんて毎日思っていました。
そして皮膚炎が良くなってきた頃、ふとお腹が痛くなったんです。
その時思いました「まだ死ねない、死にたくない」

人間は無い物ねだりをする生き物なのだなと感じます。

生きていれば死にたくなる、死にそうになったら生きたくなる。
でもそれって、生きている「今」を本当には生きてないってことなのかもしれません。

犬や猫のように、今この瞬間を、今しかないって感じで懸命に生きていかなくては。

そう思います。

そしてこんな記事を書いていたら、漫画家さんの死のニュース。。

やりきれません。。

死にたくなったら『悪鬼』を観てください

生きていればみんないつか死ぬ。
だから無理して今死ななくてもいいんじゃないかなって思います。






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