見出し画像

お盆に思う

(過去ブログの転載です)

2019.8.18
 
お盆はなんだか気ぜわしくて
毎年どっと疲れてしまう。


一人で念入りに掃除をして
一人でお仏壇を飾って
一人でお墓参りをして
一人で迎え火を焚く。


兄たちは帰ってこない。
父は何もしない。
だから一人でやる。


迎え火が終わると
本当に家の中に
たくさんの人たち(ご先祖)が
いるかのような空気感になるから不思議。

昔は、祖父にお世話になった、と
いう人や親戚たちが
たくさん来ていた。
年々、皆さんお年を召して
来訪者は年々、一人減り二人減り…
今は誰も来ない。
なのにたくさんの人が
家の中のそこかしこにいるかのよう。


私は子孫としては不出来で
お墓参りに行くといつも
申し訳ない気持ちになる。
何も成し遂げてなくてごめんなさい。
私の下の代を産み出さなくてごめんなさい。
そういった感情もあってか、
お盆期間中は
気疲れしてしまう。
何をしていても
誰かに見られているようで。
誰にいつ見られてもいいような生活はしているけれど、なんとなく疲れる。


16日に送り火を焚くと
家の中にあれだけあった
人の気配はすっかりなくなる。
気持ちの問題なのか
儀式の力なのか
本当に誰かが来ていたのか…。


昔はお盆に飾っていた
果物や野菜などを
大きな葉っぱで作った舟に入れて
16日の朝、川に流していたけど
時代も変わり
そういったことも
あまりできなくなった。
今は飾っておいた花の葉っぱの一枚などを
舟に見立てて川に流しに行っている。


儀式とか季節の行事とか
楽しめたらいいのだけど
私には昔からどうも重荷で
家族の中でなぜか昔から
私一人でやっていたこともあり
少し前までは
「どうして私がやらなきゃいけないんだろう」
という気持ちが強かった。


昔はなんだかんだ
「女の子なんだから」
(お前がやりなさい)
と言われてやっていたけど
長年の習慣になってしまうと
やらないと気持ち悪いものになる。


ここ数年は
だいぶ簡素化されて (して)
自分が負担に感じないように
できるようになった。
お仏壇に並んでいるご先祖たちの中で
私が直接会っているのは祖父だけなので
ご先祖、という大きい括りではなく
「おじいちゃんが帰ってくる」
という気持ちだけでいいのかもしれないな、なんて今年は思った。
 
おじいちゃん、またお盆に。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?