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自由でいたい。でもその心は

心は相反する2つのエナジー。外向きと内向き。本音と建前。嘘とホント。

会話をする時に気をつけていることがある。それを一言で言えば、答えを決めないこと。すなわち、相手の出方を見るということだ。

相手を100%理解できない以上、こちらは相手の出方を伺いつつ話しかけるしかない。人によってはある程度決めつけて話しかけて上手くいく人もいる。しかしそれでは短期的には話が盛り上がったように見えても、長期的には話がどこかで続かなくなる。破綻してしまう。会話は2人の信頼関係が一番大切なので、どこかで1度破綻してしまうとスタート地点に戻ってしまう。いくら長い時間をかけた所でそれが0になるのだ。それなら、ゆっくりでも牛歩のようなスピードであっても、着実に信頼感を積み上げていった方が得策である。わたしはそう思う。

話が盛り上がってきた時こそ注意が必要だ。特に自分らしさが強く出てしまう場面では相手が引いてしまうこともある。それだけは避けたい。だからなるべく聞き役に徹するのだが、何が好き?どこへ行きたい?などと質問責めしてしまっては逆効果だ。もちろん質問しなければ会話は続かなくなる。なので時折疑問をぶつけてみるのは正しい。難しいのは、話題の変化のタイミングである。基本的にわたしは話題の変化はこちらかは振りはいれるものの、スイッチを切り替えることはしない。なるべく向こうから話が転がるようにしていくことがコツである。そのためには話の腰を折るような場面転換は極力避けるべきだろう。

私が言う会話とは究極的には会話を終わらせないためのものである。なぜ終わらせないようにするか?大きくふたつの理由がある。ひとつは相手を知ること。もうひとつは相手をこちらのペースに巻き込むこと。究極的には相手をコントロールすることを目的とする。回りくどいとわかりにくい?端的に言えば、それは相手を説得することだ。恋愛関係になるために。またはそれはこちらが売りたいものを買ってもらうために。この2つである。

販売目的における会話術は主にセールストークと呼ばれる。セールストークは悪用しようとすればいくらでも悪用できてしまう。洗脳に近いことすらできてしまう。セールストークは手段である。問題はどんな目的で使うか?ということであり、セールストークが悪という訳では無い。この話をすると長くなるのでこれで割愛する。わたしが話題にしたい内容はセールストークではない。もちろん恋愛関係のそれ。前者だ。

相手との距離を詰め、相手をよく理解するように努めていく。この作業をめんどくさいと思う人はいるだろうか。嫌いな人にそれをせよというのならそれは苦痛だろう。だが、すきなひとに対するそれは夢のような時間ではないだろうか?どんなに話し下手であっても、相手を理解するために言葉を選び、会話を重ねる時間は至福のときである。個人的に言えば、合コンのようなグループでの会話よりも、2人っきりの方がぐいぐい聞けるから盛り上がれるけれど。恋愛関係に至ってはいないふたりだとしても、お互いに好意を持っていてお互いを知ろうとするふたりというのはわたしは見ていて微笑ましいし、とても人間らしくて素敵だなと思っている。

Tinderなどのマッチングアプリでそれをしている人もいるだろう。だがわたしはそれをやったことがない。やるつもりも無い。なぜならマッチした時点でお互いの目的がはっきりしている状態でスタートするのは、なんだか楽しくないと感じるからだ。さあ、口説いてくださいと言われて、目の前の人を口説ける人はいるだろうか。わたしは無理である。

つまりどういうことかと言うと、口説いていないのか?という質問には、もちろん口説いていると答えよう。しかし、イニシアチブはあくまでこちらが握りたい。相手がそれを分かっているのか分かっていないのかあやふやな感じで聞いてくれたらそんなに嬉しいことはない。もちろん、相手に既に恋人がいて、しかもそれを隠している場合は嫌だけれど……。ましてや、そのことを隠す素振りもせずに私の恋人は〜などと話されてしまえば、もはや興ざめも甚だしい。その時点で試合終了のゴングを鳴らしたくなるほどに。

わたしは何の話しをしている?口説き方?いやいや、わたしは人を口説いたことなど滅多にない。……いや、ずるいなこの言い方は。口説いたことは、ない。話がしたいなと思って話し続けていたことは何度もある。それはその人のことを興味があって話しかけて、その相手がわたしにも少なからず興味を持って接してくれたときである。その暗黙の了承が得られた時、わたしのボルテージは最高潮に達するのだ。その瞬間こそ、わたしが求めて止まない、最高の瞬間である。

人間愛という理想を掲げるつもりは無い。単純な好奇心であると私個人は思っている。その人がどんな人でどんなことが好きで、私との共通点はどこにあるのか?を知りたい。もっと知りたい。沢山話したい。それは相手を知りたいという欲そのものだ。その先に恋愛関係になりたい、とか、結婚したいとかそういう目的があるときもあれば、そうでないときもある。強いて言うなら、もしも今私がフリーであればその楽しいやり取りの先に恋愛関係になれたらそんなに嬉しいことは無いだろう。だがもしも既婚であれば?わたしは知りたい欲のみで先行している時である。それは友達が欲しくて仕方がない子どもを想像してもらえるとうれしい。つまり、恋愛関係や結婚したいという「その先」を求めていない。にも関わらずその人に興味を持っているという状態だ。これが同性だろうと異性だろうとあまり気にしていない。ただ、同性だと嫌がられることが多い。異性だと?勘違いされてしまう危険性がある。勘違いくらいならまだ可愛いものだ。だが中にはわたしの知りたい欲が先行していることを性的に興味があると思われてしまい、恋愛関係をチラつかされてしまう危険性がある。それはあまりいいことでは無い……。その人のことを大切に思う気持ちはある。仲良くしたい。けれど恋人になりたいわけでも結婚したいわけでもない。これはずるい考えだろうか……。好きにさせておいてあなただけその気がないだなんて、生殺しもいいところだと激高されるかもしれない。だが、これが紛れもなくわたしの本心である。わたしはそういう対象をパートナーにと求めているが、同時に偶然出会ったあなたにも求めているのである。もしかすると、ソウルメイトになれるかもしれないという可能性を。

ソウルメイト。この言葉は卑怯だろうか。恋人でもなく、伴侶でもなく、心と心が結びつくパートナー。わたしはそういう意味でこの言葉を認識している。できれば、そこには性的関係は含まれて欲しくない。なぜなら、それが入るともはやわたしはその関係を正当化できないからだ。正当化というか、どちらかを選ばないといけなくなる。それは私が求める状況ではない。

モテるからそういうのだ?いや、わたしはモテたことはないわけではないが、大昔のことだ。それも学生の頃。モテているという自覚はあったが誰とも付き合わなかった。そのことをモテる人の論理と思うだろうか?いや、わたしは結局のところ、選べなかったのだ。誰もが等しく私に興味があるという状況は悪い気はしないけれど同時にこちらの行動をものすごく制限するからだ。つまり誰を選ぶのか?という強烈な視線である。

だから、という訳ではないが、わたしは本当に偶然に弱い。不意に現れたその人との不思議な縁を感じてしまうとわたしはその人を知りたくなってしまう。どういう縁なのか?これはどういう運命なのか?この出会いはどんな意味があるのか?という疑問が次々に湧いてしまう。つまり偶然にこそわくわくは潜んでいると思っている。

そろそろ結論。わたしは一人の人を深く知りたい。知り尽くしてどうする?知らないことを知りたくなる興奮は抑えられない。それはまるで宇宙の神秘を解き明かす天文学者のそれと同じかもしれない。あなたという未知の惑星を探索させて欲しい。それは性的な意味ではなく、心の奥底を覗いてしまいたいという知識欲のそれがなせる業の深い行動であるのだから……。わたしは観察したい。あなたの考えを。あなたの存在を。できれば永く。深く。私の癖だ。

MUSICAでした...♪*゚

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