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学生が「卒業論文」を書く意味

最近は、わりと必死になって卒業論文を書いている。本来ならば2万字以上もあれば卒業要件には事足りるのだが、教授からのフィードバックを貰い貰ってしまうお陰で、3万5千字に達しつつある。

文系大学生は、たいした専門知識も身に着けずにサラリーマンへと足を進めていく。そのような中で、卒業論文を書く意義とはどこにあるのだろうか。

来年度から我々は会社員になるわけである。いままでの学問的生活にさよならを告げて、資本主義社会の荒波にもまれていく。それなら、サラリーマン養成所でも創設して、サラリーマンになるための準備をした方がよほど身のためではないか。そのように考えることがある。

実に無駄な時間を過ごしているし、速く終わってほしい。そのようなことを考えながら研究を続けて来た。しかしながら、研究を進めていくにつれて思うところが出てきたのだ。

「今この研究内容で、世界で最も進んだ視点を持っているのは、何を隠そう僕なのである」

このようなことを考えてしまった。僕は「笑いの発生メカニズム」という卒業論文を1年にわたって執筆し続けており、お笑い番組の「笑点」を分析している。

はたから見れば、実にくだらない研究である。くだらない研究であるのだが、今この研究をしているのは、世界中で僕一人である。

そんなくだらないことが、素晴らしく嬉しかった。ただそれだけであるが。

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