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江戸バスでの散策と、慈しみについて。

(8/31のブログより転載)

今日は東京都中央区江戸バスのワンデイパス(300円)を利用し
昔色々通った街を散策してきた。

改修中の日銀を眺め、通り挟んだ南館の
貨幣博物館を興味深く観て、またバスに乗り
水天宮、人形町を少し散策。

20年程前に伺った、洋食キラクに再訪。昼食をこちらで。
ポークカツ定食を頂く。
(ポークソテーは高くて断念)

昔は人形町今半にすき焼きを会社の先輩と食べに行ったことぐらいしか
記憶がない街には、色々な史跡、見所があることを知る。
(親子丼の玉ひでには行列が、いつか行きたいと思った)

江戸バスのバス停は停留所間の間隔がそんなに短くはないのだが、要所に停留所が多く、上手く利用すると効率よく回れることを知る。

instagramで知った新富町のCafeでアイスコーヒーを頂き、一日パスをもっと足を伸ばして活用しようか
ガイドマップを広げ、あれこれ画策したが、母親の助言もあり、築地本願寺に最後
足を延ばすことにした。

昨年までかかりつけの病院が築地にあり、家から東京メトロで何度も足を運んだ地だったが
思えば、本願寺は一度も境内に足を踏み入れたことがなかった。

正門から境内へ。

まず、外観から改めて荘厳さに息を飲む。
あれだけ外から眺め(素通りしていたとはいえ)ていたが、相対すると本当に
改めて大きい。そして、精密さも感じる外壁に見惚れる。

本堂の中に入ると、外界とは遮断されたかのような、ひんやりとした空気が堂内にあった。
仏像(本像?)はあまり細かに造作を覚えていない。
とにかく飽くまでも静謐な空間があった。

門衛の方にお参り所作を丁寧に教えて頂き、お焼香をする。
何か、この時感じたのだが、いわゆる人智の超えた存在のようなもの
(別に仏像が偶像と言っている訳ではない)
の気配のような、「気」のようなものを感じ、危うく落涙しそうになった。
その畏怖とも畏敬ともつかない存在ともつかないような、空気に
慈しまれているような気がして、堂内の椅子に腰掛け、何度も込み上げて来て落涙しそうになった。

2000本で出来たドイツ製のパイプオルガンを背後に、椅子に腰掛けて少し、理屈や小難しいことを抜きに、
そう、静謐な空間に「慈しまれて」佇んで、時間を過ごし、お寺を後にした。

上手く言えないが、古刹は古い程価値があるというの自明と言えば自明だが、また違った視点、観点でも神社仏閣を楽しめるようになったのだと思う。

平日のお昼ということもあり観光客が少なかったが、またそれも良かった。

また何かに道迷ったりしたら、行きたいスポットだったことを記して今日の散策の締めくくりににしたい。

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