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花を捨てにいく

去年の夏の終わりから、自宅用に花を買う習慣ができた。

1、2週間に一度、近所の花屋に出向いて花を買う。店先で気になった花を指差して「これは何の花ですか?」と尋ねる。その後、スマホでその花を調べて、花言葉に何かを感じたりして。大抵、気に入った二種類の花を組み合わせて購入する。

花屋から自宅までの帰り道は東西に真っ直ぐ伸びていて、毎日綺麗な夕陽が見える。店には夕方ごろ寄ることが多いから、陽に照らされた花を手にしながら帰る様子を撮影して、インスタのストーリーにアップする。そこには、その時感じた気持ちを少しだけ文章として添えている。

数ヶ月経って、プロフィールの下に並んだハイライトの「💐」には自分が選んで購入した花たちの姿が、小さな歴史のように記録されている。

初めの頃は花瓶も持っていなかったから、大型モニターやスピーカーが設置されているだけだった無機質なデスク環境の隅、その窓際に空いたペットボトルを置いて、花を挿していた。

そんな些細な景色でも、眺めれば部屋の中に何か生き物というか、変化していくものがあるのはいいなと、以前よりも部屋の景色を居心地よく感じるようになった。一輪挿しの花だって、水を換えるくらいの世話は必要で、それが儀式のようで好きだと思ったし、時間が経てばちゃんと枯れていってくれることも、自分にとっては何か落ち着く事実として受け取ることができた。

まだ地元の福島で暮らしていた中高生の頃は、同じ毎日を過ごすことが心底嫌いだったことを思い出す。毎日に何か特別なことが起きて欲しい、昨日と今日は絶対に違う方がいい。毎日に何か特別な、…というか、毎日が非日常であって欲しいと願っていた。繰り返しでない日々、劇的に変化し、展開していく人生を心から欲していた。

バンド活動に精を出したり、学生団体で海外研修を企画したり。苛立ちを抱えながら、必死に自分が生きるべき物語をそこに生み出そうとしていた。

25歳になった今も、そういった自分の性質は変わっていないとも言えるのだけど。それでも昔よりは毎日の繰り返しを楽しみ、愛せるようになっている。

電車で1時間ほどかかる大学に行って、帰ってきたら自宅のパソコンで仕事をする。それが終われば歌を書いたり、その時々に興味を持った本を読む。1週間に一度は夜勤の仕事にもいく。繰り返しの中に自分なりの生活のリズムを見つける。

そこに"しるし"を打つような行為が、今の自分にとって花を買いにいくことなのだと思う。

実際、人生のステージが変わるような変化はそうそう起こらないものだけど、窓際に飾られた花の景色が変わると、日々が刻一刻と過ぎて、ほんの少しだけ自分が変化をしていることを感じることができる。


去年の9月、数年ぶりに最寄りの駅前にある花屋に行った。その時「もうすぐ終わっちゃうので、ぜひ」と店主に言われて買った一輪のひまわり。

思いの外、花のある生活が気に入ったから、花が枯れたら、また同じ店に新しい花を買いに通うようになった。

セルリア、カーネーション、デルフィニウム、ブルースター、トルコキキョウ、

知らなかった花の名前と意味を知る。

何本もの花が枯れて、その度に夜の公園に花を捨てにいく。

枯れた花は燃えるゴミに出した方がいいのだろうけど。それだと花の命の繋がりを途絶えさせてしまうようで、胸のあたりがウッと気持ち悪くなる。だから、人目の少ない夜に、枯れた花をこっそり公園の生垣の土に捨てにいく。

大抵1週間もすれば、その場所に花が捨てられた形跡は消えている。

そんな生活を繰り返しながら、だんだん花屋の店主とも打ち解けて、仕事や大学の話をしたり、恋人を紹介したりもするようになった。先週は店に来る前に買った花瓶(やっと心から気に入るものを見つけられた)を見せながら、店主とあーでもない、こーでもないと一緒に花瓶に合う花を選んだりもした。

こうして人を知ってしまうと、もうそろそろ引っ越そうかなと思っていた最寄駅に今更、愛着が湧いてしまう。街を好きになる時のほとんどは、自分にとって、その街の人と出会ってしまった時だと思う。

でもこの駅に住むのは、あと1年くらいだと決めている。今通っている大学を卒業したら、19歳の時に住み始めたこの街を出て、生活を新しい舞台に移したい。

愛せるようになってきた、繰り返しの生活のリズム。その中で、何かを確かめるように花を買って、そしてまた捨てにいく。

自分のために、小さな歴史を積み重ねる。

この街で過ごす最後の1年。
ささやかに繰り返す生活を愛しながら、確かに前に進んでいけますように。


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