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30年かけて点が線になったcafe

Cafe Shozoのカフェには一度行くべき価値がある。

階段を上がると、右と左に部屋が別れている。いくべきは、絶対に右の部屋だ。天井は低く、照明はテーブルの上にあるランプだけ。床は年季の入った細い木が敷き詰められている。昭和の喫茶のイメージを彷彿とさせる空間だ。

Cafe Shozoのはじまりは、菊地省三さんの思いからはじまる。寂れてしまった商店街をどうにかしたいと思っていた。この町に生まれた省三さんは、この地に住み続けることになる。「どうせ住むなら楽しく住みたいと思った。」この諦め、割り切りのような気持ちは、私が暮らす町でカフェをはじめたり朝市を賑やかにする女性たちも同じ言葉を口にする。「こどもができて、家もある。この町に暮らし続けるしかないって気付いたとい、どうせ暮らすなら楽しく暮らしたいと思った。」と言ってた。

Cafe Shozoができたことで、この30年で周辺にはレストラン、雑貨、洋服、古本、山具、ゲストハウスなど16店舗がはじまった。かつ、どれも都会にあってもおかしくないくらい、どれもそこにしかない色を持っている。よく田舎には、東京を真似たようなお店がでてくる。そうではなくて、「またここを覗いてみたい」と思わせる魅力がある。どのお店も圧倒的な質の高さがある。まっすぐにモノ・コトに向かっている姿勢が伝わってくる。

省三さんにどうしてこんなに色のある16店舗が集まったのか聞いてみた。

「私がなにかしたことはない。私はただ”本物”を求めてきた。お金がなかったから、アパートの2階で、あるものではじめたけど、いつでも”本物”を目指して取り組んできた。」

私はコミュニティカフェが好きではない。コミュニティに属する人にとって、カフェは居心地がいいところ。コミュニティに入らないとそこに居場所はない。カフェではあるけど、コーヒーや食べ物のおいしさはよりコミュニティを目指しているから、話題は人やコミュニティの話になる。

よそから友だちがきて、町を案内する。「おいしいコーヒー出すお店ある?」と聞かれる。でも、私はあるとは言えない。彼が私に期待しているのは、「コーヒーに真剣に向かっているお店があるか」だと知っている。”真剣に向かう”ことがどういくことかはわからない。でも、会って話をすればどこかに狂気を感じる人なのかで判断している。

省三さんに話を聞いて思う。決して資金は潤沢ではなかった。それでも、背伸びをしたりチャレンジして本物を求めて取り組み続けてきたのだろう。なにか1つ聞けば、30年取り組んできたカフェへの熱意と、住み続けるしかない諦めと、30年前に田舎カフェなんてなかったときにはじめてしまう勝負師の狂気を感じる。

ちなみに、Cafe Shozoで使っているきいちごは五城目産で、私が売り込んで契約できたことを、これからもずっと自慢し続ける。トニックできいちごを割ったソーダをぜひお試しください。

Cafe Shozo 1988

写真:事業構想より引用


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