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Kiss from the darkness(小説)-Episode 1-

<Episode1 대한민국 만세(大韓民国万歳)>

よく聞け、怖気づくな。

「怖気づくのは老化の始まり、挑戦しないのは保身の始まり、嫉妬は自己嫌悪の始まりだ」


「私たちは国家と正義の為に生きている。世界は私たちロシアの属国になる。悲鳴が上がり、煙が出ても構いやしない。安心しろ。本当の標的は君じゃない。安心しろ。『韓』という女はとっくにロシアを出て日本に飛んだそうだ。恐らく、君の家の近くにも来たのだろう。きっと、自ずとまたやって来る。韓国の本物の狙いは、日本や中国のマーケットだ。我が国は韓国と平等かつ友人だ、捕獲したらそう伝えろ。任務達成後、君には大統領英雄勲章を与え、一生の生活保証と免責特権、容姿端麗な独身の秘書五名を与える。これは、秘密裏だ。良いか、厄介者はみな、捕虜収容所で馬糞と一緒に踏みつけろ」


「最高指揮官として、改めて言う」

落ち着き払った声で、大統領は続けた。

「これは、ロシア連邦大統領令だ。」


一瞬、肩が震えた。悪寒のようだった。

妙に静まり返っている。呼吸が段々荒くなっていくのが分かり、無性に振り返りたくなかった。職員も全員帰りがらんとした局長室の、扉の前に誰か立っている気がしてならなかったのだ。


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小鳥の鳴き声も、いや自分の足音すら耳障りな朝だった。バスローブを羽織ったまま、大統領公邸の廊下を無表情で歩くロシア連邦大統領ビスコ・ステルコヴィッチは内心不機嫌だった。 彼の日課は、昼過ぎ起きてジムへ行き、その後シャワーをしてから朝食兼昼食を摂りながら日次報告を受けると決まっている。大統領就任以来一年間、ずっとそのルーティーンを意地を張るかのごとく守ってきた。国内情勢が悪化しようが、要人とのパーティーがあろうが、昨日の味方は今日の敵というこの国を率いるには、表情から体型に至るまで常に整然と完璧を保つことが重要だった。また、それを察するかのように、周囲も彼の今後に期待する意味でも配慮に努めた。


だが、急遽思わぬ形で、ルーティーンは破られた。

 

「大統領、お休みのところ、恐縮ですが」

ベッド横にある黒電話が激しく鳴り続け、何十回もコールさせたのち布団に入ったまま手を伸ばした。

 「なんだ」

「申し訳ございません、大統領」

 大統領秘書官のセグレッティだった。

「セグレッティ君」

「私がどんな心情か、分かるかね」

セグレッティは黙った。

「第三次世界大戦でも起こったか?」

ステルコヴィッチは続けて言った。

 「い、いえ、申し訳ございません、手短に」

「ああ、昨日、どうも寝付けなくてな」

「はあ。今朝なんですが、連邦保安局局長が自宅で首を吊って発見され、今病院で延命治療を」


セグレッティは年齢こそ三十歳前後と若い。レニングラード大学法学部を首席で卒業し弁護士試験に合格、ステルコヴィッチの大統領選で影の法律顧問として、また外交面でも北朝鮮や中国との裏経済のパイプラインを築き暗躍した。 口は堅く性格は堅実、身体テストや心理テストに優秀な成績で通った。かなり頭は切れるものの友人もおらず人望もなく、扱いやすいが政治家には不向きと見込んだステルコヴィッチが、下級官僚から大統領秘書官に一本釣りした。


 「何だと」

 「韓国の国家情報院経由で情報が入りました。局長の処遇、いや遺体ですが、いかがなさいますか」 

「ちょっと待て」

「はい、大統領」

「何故、韓国が今、そんな事を言って来たんだ」 

セグレッティはまたも黙った。


韓国は大統領選真っ最中で、しかもアジア通貨危機の煽りをモロに食らい経済は冷え切っていた。政府中枢からの命令など今更感があった。誰かが殺害しようとしたのか。ありえない。つい昨日、完全なる身の保証をした上で自殺も考えにくい。

「詳細は何も、分かっておりません」 

「とにかく調べろ」

かしこまりました、セグレッティは電話を切る素振りだった。

「それとだ、局長は死んだわけじゃないだろう」


局長との電話が終わり、寝付いたのは朝方だった。気付いたら、窓から見える警備兵の交代時間になっていた。局長いわく、韓国のしかもスパイの入出国記録は最近聞いたことも見たこともないので外交面でハレーションが起きる、勲章は要らないが秘書と免責特権、そして政府の役職は欲しい。誰かに言わされるように、ウクライナ訛りの決して綺麗とは言えないロシア語でそう言った。


受話器を置き急いで自室を出たが、足取りが重かった。超大国を扱う厳しさを日夜ひしひし感じていたものの、ひとつひとつ問題を粛々と整理してきた。だが、ひとつ終わればまたひとつ、潰しても潰してもまた問題が持ち上がるのがロシアの特徴だった。


階段の下、3人のSPがインカムで連絡し揃って顎をステルコヴィッチに向けた。玄関に停まる黒塗りのメルセデスの扉が開けられ、ゆっくり乗り込み自ら扉を閉めると重厚な音と一緒に嗅ぎ慣れない香水の匂いをかすかに感じた。


「出してくれ」

ステルコヴィッチはそう手で合図した。

「大統領、秘書官からです」

運転手は携帯電話を持ちながら振り返って言い、スピーカーホンのスイッチを入れボリュームを上げ、先導車の準備が出来るとゆっくりアクセルを踏んでいった。


「ああ、私だ」

「大統領、韓国政府は知らないと言っています。大統領選で忙しいそうです。からかうなら新大統領が決まってからにしてくれ、と」 


「で、いかが、なさいますか」

「君に任せる。君にはパイプがあるだろう」

 「かしこま、」

ステルコヴィッチは雑に電話を切った。


スモークガラスの遥か向こう、モスクワ・シティを眺めた。 ロシア経済の全てが集中する、薄暗い空向かって反り立って見える高層ビル群が目に入った。


大統領就任数年前にデフォルトした国と微塵も思えない程、ロシア経済は急激な発展を遂げた。 憲法を改正、法整備して財閥経営者を脱税で軒並み逮捕した。中央集権体制、年金制度も確立し、失業率が大幅に低下、低賃金労働者の収入が何倍にも増えた。


原油や天然ガス以外の新たな産業創出を行う必要はあったが、最大の原油輸出国である中国が世界随一の経済大国になり国家財政は回復。その為、エネルギー頼みのそれも決して喫緊の課題では無かった。 

そんな時、たかだか政府高官一人死んだ事が表ざたになれば「脇の甘い国」とレッテルを貼られかねない。


韓国には米軍が駐留している、NATOが拡大戦略を取り、ロシア包囲網を敷いた。緩衝地帯が減ることはロシアの外交戦略にとって、最も痛手であり国家課題だった。アメリカと敵対し力を誇示することによってのみ、プライドの高いロシア国民のメンタリティーは保たれて来た。財政破綻の時にまるで箸の上げ下げまでIMFから指示されていた時の弱者の屈辱を巧妙に利用し、愛国心を鼓舞する必要があった。弱い、甘い、 これは他国にのみ使える言葉なのだ。


大統領専用車のバンパーから出すブルーライトを見て、皆こぞって車を急停車させていった。大統領専用車は緊急車両同様の扱いで、停止義務が法整備されている。 公邸内の走行と違い恐ろしい程の速さで進む先導車に続き、大統領専用車がくっつく様に走んでいく。公邸からクレムリンへは、道路中央を通る専用レーンによって20分で到着するのだ。 


「君、どうすれば正しいと思う?」 

鼻で笑いながら、誰に話しかけるでもなくステルコヴィッチはクレムリンの赤い外壁を眺めながら言った。


防弾ボードの先から直ぐ様半身になり、

「はっ、大統領は国家の為、命を捧げて居られます。それは私たちも同様です。国家の為、国民の為、国益の為、これまで同様、正しく、誠実な判断をすべきと考えます」

興奮した口ぶりで言うと、ボードに唾がついた。


「いかにも官僚的だな、君らの個人的な意見を聞いている」 バックミラー越しに運転手と目が合った。


「私がもし大統領であるとするならば、悩むと思います」 

「どう悩むんだね。君らは確か、大学で社会史を専攻した2人だったね。学問的にどうかね」 

「そう、ですね」 

運転手はニコリと頬を緩ませ、 

「割って入る様で恐縮で御座いますが、歴史上の話で言えばですが、かのロシア皇帝閣下であれば、厳しく対処されたかと思います」 

「厳しく?具体的には何だ」 

「目には目を、かと」


車内に笑い声が揃った。


 「そうか、それは、貴重な意見だありがとう」

 「そうですね」 

「誰だと思う、君らは。知ってるんだろう」  


「韓国が何か、知っているかと」

 「スパイだと思うか?」 

「何が、でしょうか」

怖気づいたように運転手は言った。

 「セグレッティはスパイだと思うか、と聞いているんだ」 


「大衆小説的には、そう思います」

と神妙に言った。

 「統計的にどうだ」 

「半々と言ったところかと」 

「何故そう思う」

 「直接手を下したかどうかまでは疑問です」

 「そう、か」 

彼らは何も知らない。そう確信した。

「大統領、執務室でしょうか」 

「いや、まずトレーニングだ」

ステルコヴィッチは安堵したような、呆れるようなどこか面倒臭い気持ちになってため息が漏れた。


大統領公邸と違い、市街地にあるクレムリンは厚く高すぎる壁で覆われている。それはあまりに広大な領土と反米意識が育み続けて今に至った、ロシアという国家のいわば虚勢を現しているかの様だった。 


原油や天然ガスがどれだけ売れても、大統領就任演説で世界中へ言い放った「ルーブルをハードカレンシーにするのだ」という目標が達成される気配は微塵も無かった。実質国営化したメディアは大統領を賛美する記事ばかり書いていた。 せいぜいロシアが出来るのは、ドルやユーロなど外貨をせっせとゴールドに換えたり、ドルでユーロを買ったりして、見かけ上はアメリカ支配を否定しながら蓄え続け位しか出来ずにいるのに、外貨準備高が世界最大規模になったとメディアは功績を称えた。 見掛け倒しのその弱さがため息のように消えることは決してない。


アメリカと敵対し世界の二大大国を保って共産圏のリーダーとして偉そうに君臨するロシアは今かろうじて潤っていても、結局アメリカが存在しなければパワーバランスが成り立たない。それを何より悔しく思っていたし、誰よりも深く本質を知っている。

親米国が起こしたであろうつまらない事件が起きるなど、世界の笑い者である。例えそうはならなくても、ロシア国民のプライドが黙ってはいない。 


見慣れない午前中のクレムリンの頂に悠然と靡くロシア連邦国旗を見ながら、ステルコヴィッチは窓の外に吹く生温い風を思った。半袖の将校が、大統領専用車向かって敬意を表すのを確認してから目線を前へ移すと、大統領府の玄関にひとり立っているセグレッティの姿が見えた。

リムジンがギリギリ通過出来る門をくぐり、助手席のSPがマイクで、 

「三十秒後にご到着です」 と言った。

「大統領、セグレッティ秘書官がお待ちです」

運転手は前をしっかり見ながら、震えるようにも聞こえる声で言った。


ステルコヴィッチはふいに目を瞑った。無表情なまま、セグレッティが車に一歩二歩と近付いた。真っ黒なガラスの向こう、睨むような目つきでこちらを見ていた。

 「大統領、おはようございます」 

ステルコヴィッチは握手を求められたが、無視して歩き始めた。すると、後ろから急いで追いかけてきた。


「大統領、早朝から申し訳ございませんでした」 「挨拶は良い、シャワーだ」 

「かしこまりました」 

「シャワーに入っている間に、KGBに連絡を取ってくれ。情報提供者に韓国人が居ないか探すんだ」

 「情報提供者、でしょうか」 

ステルコヴィッチの足がふいに止まった。

「韓基(カン・キイ)だ。調べてくれ」


これでもかと言う程の熱いシャワーで皮膚がヒリヒリしてきたが、ステルコヴィッチはこの感覚が好きだった。自分の勘が間違っているはずがない。ステルコヴィッチは明らかに確信犯だ。だが、悟られれば自分の命すら危うい。普段通り、平静を保つ必要があった。いつものように、ものの五分でシャワーを浴び終え、セグレッティから新しいバスローブを受け取った。

「セグレッティ君、二重スパイは見つかったかね」

と言った。

「只今、連絡中で、ございます」 

「もう後でいい、新聞を読んでくれ」

セグレッティの後方に、何人ものSPが立っている。それを見て内心怯みそうになった。こいつらは、味方か敵か見当がつかない。ステルコヴィッチは、核のアッシュケースを持つSPにアイコンタクトを取った。


 「耳よりなニュースはあるかね」


髪を拭きながら執務室までの長い廊下を歩いた。セグレッティに高級新聞二紙の要点だけ読ませたが、朗読のように落ち着き払った口調の彼に、もしかしたら勘違いかも知れない、その疑念が生まれ歩調が狭くなった。


切りが良い所で適当に頷いていると、

 「もう宜しい、でしょうか」 

 「いや、まだ読んでくれ」 

「承知しました。先ず、本日のドルとユーロですが変わらず安定した価格を保っており、我が国としましては、エネルギー需要が高まっている本日も、原油や天然ガスの単価を吊り上げて輸出を続けております。これも大統領の外交力と内政方針が隅々に、いえ、世界中の属国に行き届いている証明です」

ちょうど応接ロビーを抜ける所で、ステルコヴィッチは足が止まった。


 「大統領、あの、先程の、件なのですが」

 「何も分からないのか」

 「日本は今、夜中でして、先程、在日本ロシア大使館に連絡を取りましたが繋がりません」

 「一体何の話しかね」

 「防犯カメラは全て、破壊されている様です。局長ですが、いかがなさいますか、大統領」


 「君は、何を知っている」 

ステルコヴィッチは顔を近づけた。公邸を出る時に嗅いだ同じ香水の匂いが漂っている。

「知っている、とは」

セグレッティの目が一瞬微笑んだ。


 「君は、何か知っているのか?」

 「何を、でしょうか」 

沈黙が流れた。大理石で出来たロビーにまるで二人しかいないようだった。古い時計の針が動くようにSPの誰かが引き金を抜く音が、耳の奥に残って消えない。ステルコヴィッチがじっと睨み付けた。水が流れていく音と、生温い湯気が香水の匂いと共に立ち込めた。


グレーのスーツを着ているセグレッティの股間がびしょ濡れになっている。 

「二重スパイはどうなった」 

セグレッティに耳打ちをし、そのままゆっくりと、膨らんでいる左の胸ポケットに手を差し入れた。

背広の中で、ステルコヴィッチは銃口を彼の心臓に向けた。ステルコヴィッチは一歩も動かずに小便を漏らし続けている。


 「セグレッティ君、ロシアは親米国にサイバー攻撃をしかけている事は知っているな。KGBによると、大韓民国国家情報院の情報提供者コードに君の名があったそうだ。先程、韓国にアメリカと日本の機密情報を提供する代わりに君の身柄を頂いてきた。さて、君が死ぬ前に聞いておきたい事がある。君は何を提供した。祖国を愛さない者は処刑することになるぞ?」

ステルコヴィッチはつぶやくように言い、銃口を肋骨と肋骨の間にゆっくり深く沈ませていった。


かすかな身体の震えを銃を通じて感じる。ただ、それはセグレッティも同様だった。後悔などしていない。自分は韓国を愛したのだ。いや、違う。韓基という女を愛してしまったのだと言い聞かせた。天国に昇っていくような、自らが神と一体になっていくような安心感があった。膝が折れたのが分かったが、ステルコヴィッチは更に銃口を強く突きつけた。腹の底から足の先まで、滝に打たれてずぶ濡れになっていく感覚があった。


「セグレッティ、お前の糞はキムチの匂いがする」 

「대한민국 만세(大韓民国万歳)!」 


ロビーに甲高い銃声がセグレッティの叫び声と共に風のように抜けた。身体と身体、ステルコヴィッチとセグレッティは重なり合った。肩先に温かい感覚がある。しゃっくりをしながら弱い息と共に赤色の吐瀉物を吹くセグレッティをSPが離し、羽交い締めにして後頭部に頭突きをした。首が垂れ下がり、床にピタピタと吐瀉物の垂れていく音がする。


「なんと言ったんだ」

ステルコヴィッチはSPに聞いた。

 「とても、汚い言葉です」 

SPがもう一度頭突きをした。

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※Character introduction is the last※

・韓基(カン-キイ)

大韓民国国家情報院所属の女性諜報員。蠍座。

ハニトラを得意とする。

韓国語の他、ロシア語、日本語、英語を理解。


・湖島龍(コジマ-リュウ)

経済特区に選ばれた某地方都市の警察官(警部補)。天秤座。

生活相談課課長。

地元ヤクザ、繁華街など街の裏事情に精通。


・ビスコ-ステルコヴィッチ

ロシア連邦大統領。天秤座。

元ロシア連邦保安局の官僚。

愛国者だが、冷酷な一面を持つ。


・セグレッティ

ロシア連邦大統領府所属の大統領首席秘書官。

下級官僚だったが一本釣りで秘書官に抜擢。

韓基とは一夜を共にした過去がある。

※この作品のいかなる権利も「実咲龍」および実咲龍の管理運営事務所である「リ・クリエイション」に所属します。どうぞ、ご理解下さいませ※

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