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ものおもうアホウドリ

つい先日、職務経歴書を書くことになった。職務経歴書なんてものは長らく書いておらず、どのようなフォーマットで作成すればよいのかをネットで調べるところから始まった。職務経歴書の見本をもとに作成を進めるが、見本の経歴のレベルが高すぎて眩い。転職を繰り返し、正社員で働いたこともない私には眩しすぎる経歴なのだ。自分の経歴を棚卸ししていくうちに、何に対してなのか申し訳なさが募る。

見本の人物の経歴によると、具体的な数字を用いて実績を書いたほうがよいという。具体的な数字がわかるような、すぐに思い浮かぶ実績がない。人様に自信をもって言える実績などない。
仮にあるとすれば、だ。営業・受付の仕事をしていたときに、なぜだか知らないが会社と仲が悪かった取引先との信頼関係を少しは前進させたことだろうか。いや、そんなことに具体的な数字は伴っていない。事実、取引先と私個人との間での信頼関係がマシになっただけで、会社側との仲が回復したわけではない。いくら振り返ってみても、具体的な数字がわかる実績が私にはない。もういい。実績を書くのはやめておこう。少しはミステリアスな部分があってもいいだろう。人間関係においても、お互いにほんの少しの秘密があるほうが色気を感じる。むしろそのほうが魅力的な職務経歴書になる可能性もある。経歴は表形式でわかりやすく作成したし、いい感じだ。

次にやってきたハードルは、自己PR。仕事とは全く関係のない自己PRばかり浮かんでしまう。「長時間の運転が苦ではありません」「夜行性です」「晴れ女です」。職務経歴書では意味をなさない自己PRだ。書くことが思い浮かばず、ついには30代の職務経歴書にはあるまじき「コミュニケーション能力が高いです」などと安い自己PR文を仕上げようとしている。しかも嘘である。コミュニケーション能力など高くない。職務経歴書における自己PRがわからない。私は応募先が喜びそうな自己PRを提示できるのだろうか。見本の人物の自己PRと私の能力の差に、自信がどんどん削がれている。

実績もない、自己PRもスラスラと書けない私だが、興味が向いた物事への集中力は凄まじい。それこそ、寝食を忘れるくらいだ。何か考えたいこともあれば、自分のなかである程度納得がいくまでずっと、しつこく考え続ける傾向がある。ただし、嫌いなものや興味のないものに集中力の高さは活かされない。全力を出し切るための集中力が高いとはいえ、社会ではあまり役に立たなそうなのも考えものだ。仕事では70〜80%の安定的な遂行力と成果が最も必要とされるなかで、100%を追求する力に長けていたとしても職務経歴書の自己PRにわざわざ書く気にもなれなかった。こうして私は自らの手で自己PRという難攻不落と化した城を築きあげてしまったのだ。万事休す。ところが、私と同じような性質をもちながら気高く生きている鳥がいる。アホウドリだ。

『ナマケモノは、なぜ怠けるのか? ――生き物の個性と進化のふしぎ』(ちくまプリマー新書)によると、アホウドリは鳥の中でも高い飛翔能力をもつらしい。それはそれは遠くまで美しく飛ぶ。飛翔能力の高い鳥なのに「アホウ」という言葉が名前につけられてしまった背景には、飛ぶこと以外は苦手といった理由がある。アホウドリは飛翔能力が高いものの、うまく着陸できず地面に墜落するように降りるそうだ。上手に地面の上を歩くことすらできないので、すばやく逃げられない。そのために人間たちから捕まえられやすくなってしまい、「アホウ」と名がついたとのこと。

たぶん、私も職務経歴書から見ればアホウだ。興味が向くものへの集中力はかなり高く想像以上の力を発揮するが、「毎日の通勤が苦手」「朝が苦手」「財布や携帯電話を忘れやすい」「自宅の鍵をかけ忘れることがある」「普通自動車運転免許のほかに資格はほとんどない」「Excelの表計算はちんぷんかんぷん」「二桁以上の引き算と足し算ができない」「シングルタスク型」など、さまざまな現実が次々と私に覆い被さる。しかし社会には、アホウなりの視点が役立つこともあるだろうし、アホウが輝ける場所だってあるはずだ。職務経歴書からしたら単なるアホウかもしれないが、もっと大きな枠組みから見たらきっと私は立派な気分屋の「ものおもうアホウドリ」である。

「私はアホウドリです」。
この一文を自己PRに書くだけで「なんと深みのある人間か。どのようなアホウドリなのか。我が社に必要な人材にちがいない。この人間を逃してしまうことこそ我が社の損じゃ。絶対に逃してはならんぞ。そこの君、すぐにこの応募者と連絡をとりたまえ」と選考が進んでくれたらどんなにいいだろう。そんな妄想ばかりをしていたら、自己PRを陥落できないまま2週間が過ぎようとしている。


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