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無知の知という、よく聞くことについて折りに触れ感じれることは良いことだと思ったという話

通常営業になり、4月から、何かとやることが多い。授業を作る、講演の依頼がある、委員の仕事もある。もちろん、副部門長にもなったので、色々とやらなければならないところもあり。目が回るという部分がある。でも充実している(気がする)

一方で、だからこそ、しっかりと腰を据えて学ぶ機会をしっかりと作ろうと思うようになった。(平常時のほうが学べていることに驚く)

先日書いたように、毎日、本や論文を4本以上読むようにしている。

授業のこともあり、ロジカル思考、システム思考、デザイン思考、ラテラル思考、キャリアデザイン、なんてものに、毎日のように関わっている。幸い、テキストが手元に充実しているので、読むのに困ることはない。また、テキストが充実しているので、そのテキストから次から次に読もうとも思うものもどんどん見えているので、停滞しないありがたさが今のところある。

、、、一方で。

学べば学ぶほど知らないことが出てくる。一旦頭で整理しようとしても、言葉で整理しようとしても、図解化しようとしても、しっくりこないことが多々出てくる。こんな本もあるの、こんな研究もあるの、だったら、こういう整理のほうが良いじゃん。というように進んでいく。

無知の知ということの一つの状態なのだろうか。

*無知の知について、調べたら面白い記事を見つけたのでリンクを付けておきます。こういう記事すら知らない。

さて、一方で、実務教育についても興味があるので、新しいもの知るだけではなく、どのように使うかも考えないといけない。それは「実践の理論」ということになるのだろう。

*これは、川山先生@社会構想大学院大学の記事。モデルの整理がこのようにしていただいているのがとてもありがたい。もう一回授業を見直そう。

知ることは何のために知るのか、ということなのだろう。今何に困っているのか、何を成し遂げたいのか、ということを考えていくと、色々と知識が広がる。それはそれで面白いのだが、結局として、目的に戻るべきである。一体何のために求めている知識なのか、また、その知識の抽象度にあわせて、目前の目的を達成するために、一体何をどのように適用すべきなのか、なんてものを考え、実践する必要がある。そういうのを提示したり、プロセスを明らかにするのも仕事になるんだろうと書きながら思った。

まだまだ、知識が足りない。
まだまだ、実践が足りない。
まだまだ、言語化が足りない。

今日も学ぼう。
と思ったという話。

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