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学ぶべきことを考えてみた

勉強するとき、一体どのようなことを勉強するでしょうか。
大人の場合、おそらく仕事関係のことが多いのではないでしょうか?
たとえば薬剤師の私は薬のことについて勉強します。
学生の頃からかれこれ9年はたちますが、勉強は続けています。

勉強するときはつねに最新の知識を取り入れるようにしています。
それは本を読んだり専門のサイトを見たりといろいろです。
そうして薬剤師業界の一般的な知識を身につけていきます。

ほかの職種でも同じでしょう。
私は学生のころに飲食店で働いたことがあります。
そのときは調理係でしたので、ちょっとした料理の基礎知識が必要でした。
なのでしぶしぶネットで調べて、基本的なことを学びました。

この世で生きていくためにも勉強しなくてはなりません。
たとえば人と接することでコミュニケーション力の基礎を学ぶことができます。
また車の運転の仕方や買い物の方法までさまざまです。
子供の頃からそのような学びを大人になってからも続けます。

ですが時代によっては学ぶべきことは違うと思います。
極端ですが古代ならば生きるためには、どうやって食料を確保するか学ぶ必要がありました。
しかし現代では食料などすぐに手に入るため、食料の確保の仕方なんていちいち学びません。
時代によって人が学ぶべきことも変わってきます。

このように時代の枠組みによって必要な知識は変わります。
時代の共通の知識とも言えることです。
このような知識をエピステーメーというようです。

エピステーメーはある時代のある集団のなかでの共通の知識のようなものです。
たとえば現代の日本で例えると義務教育を受けることや会社の利益になることを学ぶことでしょう。
最初にふれた仕事についての話も同じです。
時代の枠組みに中で必要な知識を我々は自然と学んでいることになります。

したがってこのエピステーメーから外れたことを学ぶ場合、異端者とか変わり者と言われるわけです。
学んでいる本人はそのつもりがなくても、周りの人間から見るとかなりの変わり者に見えるのです。

たしかに普通の人が学ぶべきこと以外のことを学ぶのはちょっとおかしいのかもしれません。
これまた極端ですが道路を運転するために車の運転を練習して学ぶとします。
一方で運転の練習はなにもせず、いきなり路上で運転したとします。なぜならば路上で運転することが最終目的なためです。最短ルートをいくというわけです。

ほかにもいろいろ例はありますが、やはり時代の共通知から離れると、やっぱり変わり者と判断されてしまう可能性があります。
そして周りから排斥されてしまいます。
それは本当によいことなのでしょうか?
私はあまり良くないと思います。

世間や社会はたしかに我々の周りを取り巻いていますが、自分の学びたいことまで口をだす権利はないでしょう。(自動車を路上で仮免なしで運転すれば捕まりますが……)
ですから自分が心からやりたいと思ったことをやるべきだと思います。
そのやりたいことが、時代の枠組みから外れていてもです。

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