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変わっている

自己分析。

やればやるほど嫌になる。

自分ってこんな人間だったのか。

その度に強く感じる。

「あ、俺って変わってるんだな」って。



物心ついた時から、その感覚はあった。
どこか周りと違う。違和感。

考え方、価値観、ものの見方・切り口

ミーティングとかディスカッションをするともう如実。

今までなんとなく気付いてはいたけど、大学生になって、20代になって、その意識がとても色濃くなってきた。


もし自分にスーパーな才能があったなら(芸術とか)、「周りと違う」ことが正当に評価されていたのかもしれない。ある種の特別扱い。
でも、自分には才能なんて何もなくてただの凡人だったから、「変わっている」が目に見える形でなかったから、誰からも気付かれず、周りの人間と同じように評価されてここまできた。

でも、それが自分には苦痛だった。
周りと違う分、相対評価だとどうしてもやりづらくて。

パッと線を引いて、正しい正しくない、合ってる間違ってる理論で裁かれると、どうしても自分は弾かれてしまう。外れ値。エラー。

今まで生きてきて、「生きづらいな」と感じることは少なくなかった。

大学3年生のこの時期になっても”就職”に乗り気になれない理由は、おそらくそこにある。


他の人と感覚が違うので、周りが感じないことや気にしないことにまで意識がいってしまうことがある。気付けてしまうことがある。
思った以上に繊細な人間。

周りは「気にするな」って言ってくるけど、これが実に難しいし、このアドバイスが自分には全く刺さらない。

周りと全然違う分、共感してもらえることが少なくて苦労してきた。
普段からずっと一緒にいてよく喋るような間柄の人でも、自分の「変わっている」ことへの理解が意外となかったり。
喋る機会が多いからこそ心が通じ合っているような感覚を勝手に持っていたけど、心の底から、全てを分かってくれていたわけではなかったり。

だからこそ、自分と同じような価値観を持っていたり、自分と同じような生き方をしている人(勝手にそう思っている時もある)と出会えた時の嬉しさ。
刺さるアドバイスをしてくれる人と出会えた時の感動。

この感覚はハンパないです。



変わり者の繊細人間だからこその悩み。

自分の不用意な発言で、余計な一言で、
誰かを傷つけてしまったり、誰かの感情を逆撫でしてしまったり、誰かに迷惑をかけたり。
自分の言動が、自分の意図するものとは全く違うように捉えられてしまって、勘違いされる。

こんなのは日常茶飯事だ。

受け取り手にも問題はあるのかもしれないけど、1番の原因は結局のところ自分。
これに変わりはない。

でも、自分は他の人と感覚が違うから、自分の些細な言動で誰かが怒るのを見て、「そんなに問題なのかな…?」って思うことは少なくない。
(もちろんその逆も然りで、自分も普段意味わからないポイントでキレたりすることはあると思いますが)

無意識的に、何も考えずに反射的に言葉が出て、瞬間的に「あ、今の発言まずかったな」って思うことはもちろんあるし、それは大反省なんだけど。
こちらとしても考えて、意図的に、工夫して、の上での言動だったのに予期せぬ反応が返ってきた時が1番悩んでしまう。

これを「不器用」という言葉で全て片付けようとは思わないけど。



もっと楽をして生きたかった、とはいつも思う。
どうしてこんな人間に成長してしまったのだろう、と。

でも、こんな人間だからこそ、感じられるものや見えてくるものがあるわけで。
それを必要としてくれる人も中にはいるんだと。


この生き方を選択した以上、うまくいかないことの方が圧倒的に多いはず。
「変わっている」をもっとポジティブに、プラスに捉えられるような環境で、真っ直ぐ生きていきたい。





こんなことを書いている暇があるならもっと他のことやれよ!って言われそうですね。
ごめんなさい、切り替えます。

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