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法芸論(未完成)

0、はじめに_21世紀日本のボードゲーム

  ボードゲームは新しい日本文化になる。その想いで「法芸」という言葉と方法を創った。英語ではRule Artsといえるだろうか。ルールをアートするのだ。ルールの中に意図的に製作者の思想をこめる。これは21世紀人類が取り組むべき方法としての主題になる。

 現代の社会において、AIやロボットの台頭、バイオテクノロジー、資本主義の限界など、命題は解決されることのないまま多様性の森をさまよっており、一通り出揃った命題の解決は既存の方法を用いるだけでは難しいように感じられる。これらに対して文学、映画、音楽、絵画などのような方法自体を新しく開発する必要があるのではないだろうか。そこでここでは既存のボードゲームという概念を借りて「法芸」という方法を考えてみたい。

 ボードゲームはいうまでもなく遊びである。されど遊び。ボードゲームは少なくとも5000年以上の歴史を持つ。デジタルゲームが登場した現代においても、その人気は廃ることなく続いており、もちろんそれ以前の人々の娯楽として大きな役割を占めていた。

 こうしてボードゲームを初めとしヒトが遊んでいる間、人類史的には、ヒトはいくつかの革命を経験してきた。認知革命、農業革命そして科学革命である。その度にヒトは怯え、変化してきた。そして現在直面しているAI革命。はじめてヒトは生物としてのアイデンティティを問われるものになるだろう。遊び研究の泰斗ヨハン・ホイジンガによれば、遊びは文化よりも古い。今ヒトの境目が揺れる中、社会を営んできた人類が持ちうる本質のひとつ、遊びが変化するときではないか。それも日本において。

 ボードゲームが誕生してから何千年という長い歴史の中で、たしかにボードゲームへの教育的観点というものは昔から存在した。その表面的な教育的観点はおそらく、遊びの発生そのものまで起源を遡ることができるだろう。そして今も尚それを継承している。いや、ただ継承しているだけに過ぎないのだ。つまり、命題を解決しうる方法としての「法芸」にあたる解釈がボードゲームに与えられたことは、一度もない。

 日本という国では様々な異国のものをその文化に取り込んできた。日本には、日本らしさと外国らしさというある種矛盾するような概念も統合してしまう方法があり、この「法芸」ではそれが大いに生かされるだろう。また、それは近年直面している複雑性をもって有機的に絡まりあった命題たちを解きほぐしてくれる方法でもある。本論では、ボードゲームに法芸という新しい解釈を与える。日進月歩でデジタル世界の開発が進む中、日本文化としての法芸に着手する案内板を提示したい。そしてこれは法芸を大成するという大きな遊び、ゲームのルールブックでもある。

 法芸論では、はじめにぼく個人の法芸着想を紹介し、遊び及びボードゲームの歴史と現状を軽くさらうことでこのゲームの準備とする。そこから機械とのコントラスト、定数化の能力、新たな感情を伴うメディア、ボードゲームと法芸の相違、そしてなぜ日本なのかという要因を考える。これがこのゲームの大まかな流れである。最後には、法芸が大衆化することをゲームの勝利条件として説明することで、法芸論を明らかにしたい。
それでは、人類ではじめてのルールブックをお楽しみください。


1、内容物_目次

0.はじめに・・・・21世紀日本のボードゲーム
1.内容物・・・・・目次
2.準備・・・・・・ボードゲームの事情
         人生と人生ゲーム
         網膜的遊びの歴史
3.流れ・・・・・・表現媒体としての法芸
         (定数化、感情と記憶、メディア間比較)
         アナログ媒体としての法芸
         (ロボットコントラスト@時代間比較)
         日本文化としての法芸@日本人@国籍間比較
4.勝利条件・・・・(理想)
5.おわりに・・・・(まとめ)

2、準備_ボードゲームの事情

 法芸とはボードゲームから派生させた考えである。ところがそもそもボードゲーム自体あまり詳しく知られていないと思われる。そこで法芸を考えるにはまずボードゲームについて説明する必要がある。本論ではどのようなものをボードゲームと呼んでいるのか、さらに認識と評価のされかたについても明らかにしたい。

 ここではボードゲームを「主に卓上でボード、コマやカードなどのコンポーネントを使ったり動かしたりして行う非電源ゲーム」であると定義する。日本語では盤上遊戯と訳されている。具体的には、将棋、オセロや人生ゲームなど、そしてボードは使わないがポーカーやサイコロゲームもボードゲームに含めて考える。一方、野球やブランコなどの屋外遊び、ごっこ遊びやデジタルゲームなどはボードゲームには含めないとする。さらに本論で使うボードゲームは、特に指定がない限り、いわゆるドイツボードゲームを基準に読み進めてもらえるとありがたい。特徴としては比較的ルールがわかりやすく、大いに運の要素もあり、プレイ時間も長くないといったところが挙げられる。それ以外、例えば完全情報ゲームといわれる、将棋、囲碁、オセロなどの運の要素が全く介入しないゲームや、自由度が高く各プレーヤーがゲームマスターに従ってシナリオを進めるテーブルトークロールプレイングゲームを想像してしまうと、法芸のイメージがつかみにくくなるだろう。

 またボードゲーム分析についても説明しておかなくてはならない。日本においてのボードゲームの認知度やプレーヤー数の増加に伴って、ボードゲーム制作分析が行われようになってきた。その中でボードゲームの要素分解がその前提としてよく言われている。つまりそれはボードゲームをコンポーネント、テーマ、システムの三つに要素を分けられるという考え方である。芸術作品はそれを要素として分解するとまずハードウェアとソフトウェアに分けられ、ソフトウェアはさらに記号表現と記号内容に分けられる。これはアリストテレスや世阿弥が演劇と能を分析したときにも見られた。ボードゲームに話を戻すとコンポーネントとはハードウェアであり、具体的にはコマやボードそのもののことある。テーマは記号表現にあたり、そのボードゲームのストーリーである。人生ゲームでいうならそれは人の世を生きていくという人生そのものである。最後にシステムとは記号内容でありルールにあたるところとなる。同じく人生ゲームにおいては、ルーレットを回してその出目だけコマを進め、たどり着いた指示に従いながらゴールを目指すというものである。これまでシステムが優れていると言われれば、今までにない斬新で美しいジレンマがあるシステムやテーマにあってプレーヤーが楽しいと感じるシステムなどが評価されていた。これは数学的観点か感情的観点によってのみの評価である。本論では法芸をRule Artsと訳したようにルールつまりシステムに着目するが、評価するのは以上の2つとは違った点になるだろう。
本節では、ボードゲームとは何を指しているのか、そしてその中の三つの要素について説明した。やっとこのルールブックを読む準備ができたかと思う。

2、準備_人生ゲームと人生

  ボードゲームと言われてぱっとしない人でも、人生ゲームと言われれば、ああアレかとなる。日本人ならほとんど全員がボードゲームを遊んだことがあるだろう。なぜただのルーレットすごろくがこれほどまでの人気と認知度を誇るのだろう。もちろん要因はひとつではない。先に述べた通りテーマやコンポーネント、さらにはマーケティングなどの外的要因についてもいろいろが考えられる。しかしここではやはりシステムに注目する。そしてこれこそがぼくの初めてのボードゲームに対する考察だった。

 少し個人的な話になってしまうのだが、着想の過程を記していく。ぼくはボードゲームが好きだった。小学生の頃に遊んだ父の学生時代の遺産モノポリーとスコットランドヤードが初めてのボードゲーム記憶として遠くに蘇る。負け越しの中たまにある勝ちが楽しかった。中高生時代になればあの「カタンの開拓者」も手に入れ、友達とよく遊んだ。ボードゲームが遊びの選択肢の一つになっていることが当たり前だった。大学生になると遊ぶ時間もコミュニティも増えた。しかしそこでボードゲームが周知の遊戯でないことを知った。せいぜい遊んでいて人生ゲームくらい。ボードゲームが趣味の欄に該当することを知ったのだ。大学2年生からルームシェアをするようになると、同じようにハマッてくれた同居人自分との棚にボードゲームが増えていった。そして初めてボードゲームについて、ボードゲームとはと思案するようになっていった。

 きっかけは、当然だが勝つために法則を考えたことであった。そしてその正体とは葛藤、ジレンマである。ボードゲームには人生ゲームのように運だけを頼りにするのではなく、戦略も必要とされるものが多い。そこで考えることといえばジレンマであった。今1マス進むのか、あとで3マス進めために力をためるのか、でもそうしていたら先を越されてしまう。時間か金かのような二律背反の分析をプレーヤーは毎行動で行っているのだ。ところがこれはボードゲームに限ったことではない。学校に行く事だって、食事を取る事だって何かしらのジレンマを選択していって人は行動をとる。ここからボードゲームと現実世界との接点を見出していった。日常生活をボードゲームに還元できるなら、すべての経済活動をボードゲームで表現できるのではないかと考えた。逆に言えば、ボードゲームとは現実世界を凝縮し楽しさを膨らました遊びであるということである。例えばモノポリーでいうと、ゲームではサイコロや交渉によって土地を獲得し、発展させ、他プレーヤーから通過料を稼ぎ、所持金を増やしていくのだが、現実社会ではそんなに簡単にお金や土地が動くはずがない。しかし細かな手続きや契約は抜きにして、土地の売買による金銭の移動を楽しむ。ボードゲームでは現実をモデル化して、面白みのある本質的なシステムだけを享受するのである。人生ゲームもあれが人生な訳ではない、しかし我々は人生の岐路を誇張しそれを楽しむのだ。人生ゲームでは受験や確定申告など現実の雑多なことは無視して、人生の大きなイベントだけに一喜一憂できるのだ。誰も2度目の人生は悲劇にしておきたいのだろうか。

 このときぼくは無意識にボードゲームから本質的な価値としてシステムを分離させたのだ。あるシステムだけを抜き取り、ほかのテーマにあてがう。そしてメタファーをもって風刺の要素を入れる。まだ法芸というほどに体系だったものではなかったが、間違いなく法芸の土台となる考察であった。この考えを元にその当時ぼくが考え出したのはリーマンショックが起こるボードゲームだ。文明が進み人が星座を売買するようになったというテーマだった。サブプライムローンからその格付けの仕組みまでを星座で表現してみた。法芸からはまだ遠いと言ったように、このボードゲームはただ社会のあるシステムを組み込んだだけであった。それではここで論じたい法芸とは何が違っているのか。このことに関しては後でまた説明していく。

 実はここから法芸論に至るまではもう少し時間を必要とした。その間、本や映画などから発想と勇気を得て、本論をまとめるまでになった。しかし、その期間で特筆すべきことは海外経験である。この経験がぼくのアイデンティティ、知識やモチベーションに大きく影響を与えた。この2年半でフランス6ヶ月、アフリカ5ヶ月、中東地域2ヶ月滞在した。後に詳しく書いていくが、この経験は抽象的な概念の思考、異文化の理解そして何よりも日本人としての個性の認識が大きく変化するのが見て取れた。これらの旅行が思わずして法芸論の根幹をなすこととなったのだ。

 現在に至る思考の過程を軽くさらってみた。露払いはこれくらにしよう。ここまでではまだ棚からこのゲームを手に取って箱を開けてみただけ過ぎない。次の節でやっとボードの準備が完了するだろう。

2、準備_網膜的遊戯の歴史

 「はじめに」で記したように遊びは文化に先立っているとすると、遊びの歴史はボードゲーム、ひいては法芸を考える上で欠かせないプロセスになる。法芸はこの数万年の系譜の上に成り立つのだ。本章では現在に至るまでのボードゲームと遊びの歴史を軽く振り返ってみたい。

 まずはどのようにボードゲームが遊びから発生したのかを見ていく。

 ヨハン・ホイジンガの後継者ロジェ・カイヨワは松岡正剛のことばを借りると遊学者であった。分野と分野とをつなぎ論を展開していくスタイルで世界を斜めに観察していた。そんな彼が遊びに注目して人類を語ったことは見逃せない。

 著書『遊びと人間』では遊びを内容に基づいて4つに分類した。イリンクス(眩暈)、ミミクリ(模擬)、アレア(運)、アゴン(競争)の4つである。それぞれは現在でいうと、ブランコやジェットコースター(眩暈)・おままごと、演劇(模擬)・さいころ遊び、人生ゲーム(運)・野球、モノポリー(競争)にあたる。さらにこれらを元に人類の歴史をイリンスク・ミミクリの時代とアレア・アゴンの歴史に分類できるともした。前者は神的なものが人の意思決定に大きな影響を持っていた時代、薬草による神の憑依やその模倣が世の中を支配していた時代である。後者はその後文明を手に入れ始めた頃、啓蒙的な概念によって法や競争が世界を支配していた時代である。
前者から後者に時代が移行する途上、おそらく動物の骨や木片などの道具を使いその結果を意思決定に反映させていたと思われる。神のみぞ知る未来を運の観測結果に託し始めたのだ。はじめはその占いも行為者は1人だけであった。それではボードゲームもとい遊びとは呼ぶことはできない。しかし対戦相手として神の代理を人が務めるようになると状況は変わってくる。祈祷や占いとしての賽をふる行為だけが独立し、それ自体を認知するようになる。この瞬間ボードゲームが誕生した。いつの時代でも人を混乱させる手段と目的の入れ替わりである。結果、運を確認する行為に遊びとしての認識を含むことになっていった。

 はじめ人類はボードゲームの発明で神を卓上に再現したかったのかもしれない。しかし遊びの中から神が消えていく。さらに人類は文明を迎え、時間が環状に流れ始めた頃、運だけではなく因果関係による戦略を手にすることになる。他文化との交戦において戦略が重要な役割を占めていく。現在ルールがわかっている最古のボードゲームとされているのが約5000年前のエジプトのセネトである。これはバックギャモンの祖先といわれているが、運をベースにしながら戦略も必要とされるゲームである。アゴンボードゲームの登場である。同様に各文明からも碁やチェスの祖先となるゲームなどが発生した。これらの祖先ゲームたちは、人類の侵略や移動にのって各文明で編集され多様化を果たしていき、現在のボードゲーム事情へとつながっていく。

  法芸を確認するために、今度はプレーヤーに何かを伝えるもの、つまり単純に楽しむことを目的としない、メディアとしてのゲームの歴史を振り返る。ここではこのような遊びを教示的ゲームと呼ぶことにする。法芸も教示的ゲームのひとつだ。今度は遊びの起源まで時をさかのぼろう。
そもそも人が営む活動の中にはどうしても遊びとしか表現の仕様がない活動がある。その発生の起源は増川益一によれば「①自然に対する畏怖や自然のはかりしれない力を鎮めるためか、あるいは啓示を受けるための儀式、②生きていくための体力や知力の教育と鍛錬、③死者や先祖への哀悼と庇護を求める所作」(増川宏一著『遊戯‐その歴史と研究の歩み』)が主であったとしている。対象が自然か後世の人間か死者かは違うが、何かを伝達するための行為であったことがわかる。

 そしてこのころからすでにルール自体に伝達内容が含まれていたことがわかる。例として非常に原始的な遊びである投擲を挙げる。上でいうところの②にあたる、体力の教育と鍛錬が目的でありその在り処を探る。まずコンポーネントはボールなどの投げられるものと競技会場、テーマはものを投げるということになる。肝心のシステムとはボールを1番遠くまで投げられたプレーヤーが勝利を手にするというルールである。 

 ここで重要なのはボールを遠くまで投げること自体なではない。遠くに投げる筋力の鍛錬こそが生活を維持するために必要なことであり目的なのである。これは明らかにシステムに意図が組み込まれた教示的ゲームだ。

 しかし、この導入に恣意性はないだろう。テーマとシステムの酷似性がこれを可能にしている。テーマ自体にも教示的要素が感じられるからだ。むしろ教示的側面をテーマで表現しようとした結果、システムにも反映されたと考えるべきである。このように儀式、教育、所作が遊びに転じた直後は教示的な要素が強くかつ、それがシステムに酷似しているテーマを拠り所にしていることが考えられる。

 その後教示的ゲームを繰り返していくことで遊びとしての遊びを見出していく。その過程で先に書いたとおりボードゲームも登場してくる。

 このように現在までにはルールに思想がこもっているボードゲームはあったが、意図的にこめられたボードゲームは存在しない。教示的ボードゲームはかなりの数を数えるようになった。幼児教育用に開発されたゲームやパズルゲーム。さらには マネジメントゲーム、自己啓発本のボードゲームも社会人の教育用ボードゲームとして開発された。これらは全てコンポーネントとテーマにのみ主となる教示性がこめられている。または偶然的にシステムにまでそれが及ぶということがみとめられる。すくなくとも教育を自称するボードゲームは視機能のみの依存が大きいテーマやコンポーネントに開発の重きがおかれている。マルセルデュシャンの言葉を借りると、現在までのボードゲームを「網膜的遊戯」と表現できるだろう。

 ここで法芸論では反ボードゲームを掲げる。ボードゲームに対して、システムを強調させる様式として法芸を展開させたい。現在解決を希求される問題たちを前にボードゲームがこのまま「網膜的」であるべきではない。それは諸文化と同様、時代に即して変化させていくべき事項である。法芸は網膜的遊戯から昇華された存在となる。次の章では、法芸という様式をとったボードゲームが新しい方法に、そして日本文化となりうる根拠を考えてみたい。


3、流れ_関係は関係のまま

 ある思想を表現し伝えようと思ったとき、またそれを通じてある命題解決を試みるとき人はある方法を用いる。それは、口頭、文章、写真、絵画、踊りなど多くの選択肢が考えられる。テレパシーで思っていることをそのまま相手の脳内に移転させることは現在実現可能ではない。つまり先のような一般にメディアといわれる何かしら解釈された形で伝えるしかない。さらに選択肢の中から目的、時代、能力などを考慮して1つあるいは複数個の方法を使う。長年指摘されているように、問題は主題だけでなく、このような選択肢自体にもある。例えば絵画といった方法を用いる場合、素材や技法、理論などが議論される。これらがもっぱら関心の中心となる。

 ところが本論の内容は主として選択肢の開発にある。法芸を新しいメディアの選択肢として登場させるのである。もちろんこれこそが万能であるはずではない。しかし法芸でしか見られない表現の領域や特徴は認められる。

 法芸とは思想を関係性が保たれたまま表現する手段である。ここで言う関係性とは有機的な繋がりのことである。人は


3、流れ_人はどこまでか

3、流れ_日本が


大切にボードゲームに変換させていただきます。