前世は餃子

僕の前世は餃子です。これは間違いないです。

王将の餃子が僕の前世です。これは確信しています。

夢の中で、僕という餃子が、誰かの知らない人の口にゆっくりと運ばれ、そして僕は消えた。

こうしたイメージが僕はいつからか鮮明に脳裏に焼き付いています。僕はあまり変なことは考えない性格だと思っているのですが、この前世は餃子というのはなぜか信じてしまうのです。

なぜここまで僕は前世が餃子であると信じて疑わないのか。分かりません。ですが、人に僕の前世は餃子ですよと言っているうちに、僕の信仰が強化されてしまったようだ。

僕は確実に前世は餃子だ。まあもし仮にこれが事実とするならば(非常に強い仮定ですが)、色々面白いことが分かります。

まず、人間は前世も人間であるとは限らず、来世も人間であるとは限りません。僕は今、生活の中で色んなことを自分で選択して行動しています。

でも餃子は違います。最初から最後まで人間の手によって勝手に餃子になります。そして、餃子の場合、どの段階で<僕>という餃子が完成するのか分かりません。ラー油に付けられたら僕になるの?4個一皿をひっくるめて僕なの?

何が僕なのか。前世の僕は、僕の定義が曖昧です。でも、現世の僕、人間の僕が何かは分かる気がします。

でも、本当はそれすらわからなくなってきました。
僕の身体的な特徴、例えば顔や身長、足のサイズ、爪の長さ、そういった物理的なもので定義されるのでしょうか。はたまた、社会的な特徴、家族、兄弟、どの学校に通っているか、年収はいくらか、誰と友達か、何を持っているか、そういったモノで決まるのでしょうか。

そんなわけない気がします。<僕>って何だろう。

前世は餃子。現世は人間。でも、僕という<餃子>って何?というとき、それはすごく答えるのが難しくなります。

とりあえず何を言いたいのか分からなくなってきたので、夜ご飯に餃子でも作って、僕の前世に思いをはせてこようと思います。

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