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文理の分離の分類について

ダジャレですが、パターンが分けられるかもしれない、と思いましたので何かメモを書いておきます。

一つは共同研究。文系の先生と理系の先生が、お互いの知らないことを補いあって進めていく。これは文理「融合」から距離感がある。

今はAI技術などを人文系に持ち込んで研究することが流行していて、それをやる研究者本人の背景は人文系からスタートしていたり、テクニカルなほうからスタートしていたり、両方のパターンがある。いわゆるデジタルヒューマニティーDHの人々。DHの意味合いは広い。

もっと深い文理の融合感を感じるピンポイントの仕事が、昔からある理系作家。いわゆるSFであってもなくても。これは文学を職業として実践しながら、科学の研究者としても論文を書く。カールセーガンをイメージ。視点がサイエンスにあるのでわかりやすい。

さらにもっと融合感を感じるのは、文学でも理学でも、どちらでも実験を惜しまず、研究論文を書いていく人。寺田寅彦をイメージ。文学と理学の両方の達人になった際に、どういう視点を持って世界を見つめることになるのだろう、という世界観の深さや、わからなさに憧れる。

両刀の達人である世界のオータニさんを見て、すくすく育っている子供たちも、大人になる頃に文理両刀の世界観に到達している、ということが、昔ほど困難ではない時代のはず。AIの脅威の時代は、そんな豊かな知の時代にもなっていますように。

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