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藤村龍至インタビュー・座談会まとめ2008-2015

ネットで発表され公開されている私へのインタビュー記事で、テキストで読めるものを集めてみました。

2008
ネットにインタビューが載り始めたのは2008年頃(31歳)でした。2007年3月にプリズミック・ギャラリーで個展を開催し、フリーペーパー『ROUNDABOUT JOURNAL』を配布する活動を始め、2008年7月号で「BUILDING K」が『新建築』で表紙になった頃でした。

2009
2009年2月に若手建築家32組へのインタビュー集『1995年以後』を発表、5月に『思想地図』で論考「グーグル的建築家像を目指して」を発表し、若手論客として認知され始め現在は「ツバメ・アーキテクツ」を主宰する山道拓人さんたちのグループ「g86」による「space journal」など、学生にインタビューを受けるようになります。

2010
『10+1』で三浦展さんと対談させて頂きました。「新所沢パルコ」出店(1983)に合わせて増田通二が展開した「第四の山手」論などについて議論しています。その後のまちづくり領域での活動の萌芽が見られます。

2011
東日本大震災が発生。社会全体が将来の方向性を模索するようになり、建築家のあり方も揺さぶられます。

2012

2013
3月にNHK「日本のジレンマ」に出演し、徐々に建築家の職能についての解説者的なポジションにシフトしていきます。

2014

2015
お正月戦後70周年を記念した企画としてNHK「建築は知っている」の放映があり、建築家に対する解説者ポジションがいよいよ固まる。ASIAN KUNG-FU GENERATION後藤正文さんの「THE FUTURE TIMES」で対談させて頂きました。他方で新国立競技場ザバ・ハディド案の是非をめぐって建築プロジェクトへの社会の関心が高まります。「ハフィントン・ポスト」でザハ案について解説したことをきっかけにテレビ等への出演もたくさんありました。

217[nie - ichi - nana] 第30回のゲストに呼んでいただきました。

日本のこれから、建築家のこれからについてなど、ロングスパンらかつテーマを絞ったインタビューを多く頂きましたが、多くの建築家に取材されている渕上正幸さんに拙論や拙作についてロングインタビューして頂き、ようやく建築家のラインナップに加えて頂くことができたのかなと感じました。39歳の終わり頃のことでした。

2016-2022へ続く


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