発達障害天才説ってほんとう?

 発達障害のことを調べていると、「発達障害は天才」というような記事を見かける。得意と不得意の凹凸が激しいので、得意な部分が天才的だと周囲には感じさせるんだろう。
 だが、私を含めて大半の当事者は別に天才でも何でもないことが多い。むしろ、凹の不得意部分ばかりが目立ってしまって、とても辛い思いをしている人が多いのではないかと思う。「発達障害は天才」というのは事実というよりも、「アインシュタインやエジソンもそうだったらしいし、落ち込むなよ」といった当事者への慰めに近い言葉ではないだろうか。
 もし仮に、発達障害の得意分野(つまり凸)が神から与えられた才能であり、その代償として苦手分野(つまり凹)が与えられたのなら、神様は全ての当事者に活躍の場が与えられるような能力だけを伸ばし、そうでない部分だけを苦手にさせ、当事者は皆自分らしさを生かして楽しく生きているはずだ。

 正直なところ私が思うに発達障害の凹凸というのは、先に苦手分野(凹)があってから、その代償として得意分野(凸)が与えられたものではないかと考えている。事実発達障害ではないが、生まれながらに目が見えない人というのは、視覚の代わりに聴覚を以上に発達させて、耳が物凄く良いことが多い。これは、失った視覚の代償として聴覚を物凄く発達させたという一種の凹凸であるわけだ。
 これまで書いてきた私の発達障害克服シリーズを読んでいただいた方はお分かりだと思うが、発達障害の原因は先天的なストレスによる脳へのダメージや神経の未発達によるものと考えている。つまり神の思し召しでもなく、単なる先天的なストレスにより脳がダメージを受け、それにより機能低下・不得意領域が生まれる。そして、その機能低下を何とかしようと今度は代償として何かを強く発達させることにより凸凹が生まれるのではないだろうか。故に、何が得意になるかはガチャガチャのような運試し状態になるので、不得意だけがやたら目立つといった悲惨な当事者が生まれるのではないだろうか。
 発達障害の成功者などはたまたまその得意領域が偶然にも社会のニーズとマッチしたか、周囲の大人が当事者の才能に早めに気づきその芽を潰さなかったなどの幸運に恵まれだけなのだと思う。

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