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学生時代に味わったとてつもなく貴重な貴重な貴重な体験話から今に至るまでのお話

この記事は自分史をみなさんにお伝えしたくて書きました。
ほんとうに今までいろいろありました。
お時間ある時に見ていただければと思います。

オレは、とてもへいぼんな家庭に生まれた。
3人兄弟の次男坊。
小学時代は、友人の誘いもあり、全く興味のなかったソフトボールチームに所属した。
もちろんのこと、興味がなかったうえ、実力もなかった。
代打で出るも結果を出すことができず、どちらかというとベンチを温めることに専念していた。
高学年になるとBチームのレギュラーに定着。
少し楽しくなってきたが、まあ、所詮、Bチーム。
公式戦の出場機会はあるはずもなく、なんとなくソフトボールをやって私の小学時代を終えた。

次のきっかけがいろんな意味で私の人生を左右する。

私は、小学校を卒業後、ソフトボールをかじっていたため野球部に入部することを決める。
そのはずだった、、、その、、、はずだった。。。

だが、これもいろいろな人の誘いがあり入部したのがなぜか

柔道部

だった。
なぜか、、、なぜか?なぜ?
野球部じゃなかったのだろう。
今でも思う。
だが、これがわたしに大きな転機をもたらすことになる。
なぜか柔道が楽しく思えてきたのである。
ソフトボールより。
柔道経験者の顧問の先生がいなかったせいか?
または、初めての地区合同練習にて近隣クラブの女子小学生👩に白帯ながら一本勝ちをおさめることができたからなのか。
なぜか本当に楽しく柔道をすることができた。
次第に力をつけることができ、自然ともっと上を目指したいと思うようになったのだ。
こんなにも向上心を持って何かに取り組むことが今まであったのだろうか。
いや、余裕でなかった。
また、自ら、志願して近隣警察署の機動隊にも出稽古へ行き、警察官相手に投げ技、寝技をひたすら特訓していた。
自然と身体が動き、いつしか大量の汗を流すようになっていった。
今考えてみてもなぜここまで頑張れたのかわからない。

だが、さすがは格闘技。
受け身を失敗、立てないほどに腰を痛め、踵から落ち骨折もしていないのに松葉杖🩼
意味の分からないケガをたくさんした。
楽しさからどんなに苦しい練習にも力を出すことができた。
自分でもわかるほど、どんどん力がついていってるのがわかったから。

頑張れば、結果は後からついてくるということばがあるがまさに結果も徐々についたのだ。

中学2年にあがると地区予選団体で2位🥈で階級別個人戦で2位🥈予選突破をした。
だが、県大会で柔道を始めて初の挫折を味わうことになる。
やはり、上には上がいて、県のレベルの高さを実感したのだ。

そんな最中、柔道以外でも熱を入れてしまうような誘惑と言っていいのか、クラスメイトのことを好きになってしまうのである。

これがまさに、ほんとうに胸が苦しいほど甘酸っぱい恋愛になってしまうとは、、、


次編に続く➡️

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