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私をここから、連れ出して。


留年2525boyです、こんばんは。3記事目になります。
最近研究調査のために実家の神奈川県に帰省していて、京都に戻ってきたのですが…


え、寒すぎじゃね??秋はどこに行ったの??金木犀の香り漂う京都は??あれれ??
京都に住み始めて8年半も経ちますが、京都のこの寒さにはほんとうに慣れません。

東京から湘南に引っ越してきた両親がよく、湘南は気候がとにかく安定していて住みやすいと言っていたのですが、そのたびに私は「東京のほうが便利だし絶対住みやすいだろ。気候とかどうでも良くね?なに言ってんだ」と思っていました。でもいまなら、その意味がよくわかります。気候はマジで大事。

ところで、湘南とはいったいどんな場所なのか、知らない方が多いと思います。実は湘南と名前のつく自治体は存在せず、神奈川県海岸沿いの鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市辺りのことを湘南と一般的に呼びます(所説あり)。

多くの人は湘南というと「ヤンキー」、「パリピ」、「暴走族」、「治安悪い」といったイメージを持っているのではないのでしょうか。そのイメージとは裏腹に、明治時代の文豪や政治家などが別荘地・保養地としていた場所です。特に海側の地域は高級住宅街で、国勢調査のデータによると、海側地域の世帯の平均年収は1,000万円を超えています。一方で、JR東海道線を挟んだ山側の地域になると…。割と別世界ですね。


さて今回は、そんな湘南にある偏差値30代の公立最下位の内情を書いていきます。記事にある画像は母校の門です(特定されないよう修正済)。

わたしは中学時代の成績が9科目×5段階評価でだいたい18~20/45で、先生から行ける公立高校がないと言われるなかで、地元の塾に通いなんとか高校に合格しました。塾に通っていた生徒の中で、うちの高校に合格したのはおれだけ。すごいでしょ。レベルが低すぎて誰も受けないからですね。わはは。

迎えた高校の入学式で、ぼくは異変を感じます。なんだこの茶髪・金髪率は…。さらには入学式に来ている保護者のかたも、なんか怖そうな見た目の方が多い。もしかして、地元で一番荒れていた中学よりも、ここはやばいのではないか。入学初日から生きていけるか不安になりました。


入学してから1週間後に、外部から講師を招き講習を受けることになりました。その講習の内容とは性病に関するもので、正しい予防法を教えてくれる「コンドームマスター」なる方が講師としてやってきました。高1にとってはあまりにも強烈すぎるキャラクターでした。コンドームでできたネクタイとかつけて大ウケされてた。

講習の内容が内容なだけに、ヤンチャな生徒からは「どうやったらAV男優みたいになれんの?笑」、「経験人数何人っすか?笑」、「こいつ今日彼女とヤるらしいからゴムあげてよ笑」などの質問で大盛り上がり。全校生徒の前でそういう質問ができるメンタルの強さエグすぎるなあと思いつつも、どうしてこういう講習をやったんだろう?ほかの学校でもやっているのかな?と思い、他校の友人に聞くと「さすが〇〇高、妊娠して退学するやつが多いからやってんじゃないの?」と言われました。
うちの学校は入学時には10クラスあったのが、卒業時には8クラスまでに減りました。退学者約100人のうち、妊娠を理由に去っていった生徒もいたので、これは事実でした。

そのあたりから、自分の高校が他の高校と比べてぜんぜん違うんじゃないかと感じ始めました。高校生なのに、1ページのうち7割がイラストで占められている英語の教科書、be動詞の説明から始まる授業、アルファベットの書き取りテスト…。もしかしておれは中学校に再入学しちゃったのか??教科書買う必要なくね??

数学はもっとやばかった。いまでも忘れもしない数学Iの定期テスト。
教師からテストが返却される際にクラス全体に言われたこととは…

「えー、このクラスの最高得点は30点です。そして平均点は10点です。クラス全員赤点です。このままだと全員留年です。でもみんな数学できないでしょ?だから、今回のテスト範囲の教科書をそっくりそのまま書き写してくれたら合格にしてあげる。」

数学のテストなのに書き写し??数学っていったい??
そんなことよりなんだこの先生神かよ、やべえな。でも、もっとやべえのはおれらの頭の悪さだな。ははは。さすが〇高。そんな感じで大盛り上がりだった。最高得点の30点だったやつが「おまえ30点も取れたのかよ、天才だな!笑」と褒められてた。皮肉じゃなくマジで。中学のときに賢い子がテスト全然できなかったと嘆いてて、点数聞いたら90点とか言ってた人いたけど、その子がこんなこと言われたら卒倒するんじゃないか。

他の高校ではどうやら1年生のときに数学IA、2年生で数学ⅡBが必修らしいけど、うちの学校では2年で文系を選択すると数学はIだけ。数学Aは自由選択科目で取りたい人が取るだけ。ちなみに自由選択科目は水曜日の5.6限にあったんだけど、選択しないと4限で終わるので正直だれも取ってなかった。意味ある?笑 理系クラスに行っても数学Bをやるのは高校3年生で、数学ⅢCなんて科目はそもそもなかった。もしあったとしても、留年続出だっただろうなあ。ちなみにうちの年は理系クラスは人数少なすぎてクラスが成立してなかった。文系科目も、今でこそ日本史は必修だけど当時は選択制で、高3になるまで日本史の授業が受けられなかった。


このときに、どうやら自分の学校とほかの学校はやっている勉強の内容やら進度がまったく違うということに気がついた。当たり前のことなんだけど、当時はわからなかった。もし大学進学なんてしようものなら、学校の勉強だけじゃ絶対に行けないんじゃないか?でもそもそも、うちの学校から大学進学するなんて少数派。最新年度の進路状況をみたら、大学短大の進学者は15%で、ほとんどが就職と専門。その大学短大の進学者のほとんどが指定校推薦での進学で、一般受験で大学受験する人は年に1人いるかいないか。ちなみに自分の代で一般受験したのは自分含め2人だけ。当時の進路の手引きには一般受験はおすすめしないと書かれ、進路担当の先生からも大学は推薦で行くものですと言われてた。まあ、そりゃそうだよな。

この高校から大学進学するには指定校推薦が一般的なのは分かった。じゃあどんな大学から推薦が来ているんだろうか?一番レベルの高い大学が神奈川大学で、枠が1名、評定が4.5/5必要でした。この高校でトップクラスになっても行けるのは神奈川大学か…、と正直思ってしまいました。その他の大学は東海大学、関東学院大学、湘南工科大学、文教大学といった地元の大学で、これらの大学に行くのもうちの高校では上位でした。神奈川ローカルすぎる。


そんな高校の環境にも慣れつつも、1年生の冬にある事件をきっかけに高校が大嫌いになりました。それはネズミ花火事件です。みなさん、ネズミ花火って知ってますか?火をつけるとネズミのように地面を走り回り破裂する花火です。花火って普通は外でやるもんですよね?疑う余地なくぼくもそう思っていました。

けど、朝学校に登校すると、廊下でネズミ花火を何匹も放ち、遊んでいる人たちがいました。なんだこれは…。あまりにも常識外すぎて固まってしまいました。別にネズミ花火にあたっても大したことはないんだけど、そのときは身の危険を感じてしまいました。

それまでは、授業中に鏡と道具を出して化粧しようが、私語がうるさすぎて授業が聞こえなかろうが(誰も喋らずシーンとしてる授業なんてなかった)、先生から私語を注意され逆上し先生に殴りかかろうが、毎日非常ベルが鳴ったり誰かの靴や財布が盗まれようが、定期的に窓ガラスが割れようが、自転車が2回盗難されようが、ヤンキーたちが廊下でたむろしてたばこを吸ってたばこ臭かろうが、その廊下に噛んだガムが捨てられまくってようが、文化祭の出し物で段ボールを近くのスーパーでもらおうとしたら「〇高には協力したくない」と拒否されようが、バイトの面接で「〇高生は頭悪いから雇えない」と言われようが、課外授業で地域のごみ拾中に逆にポイ捨てしまくって地域の人から「お前らがやると余計汚くなる」と言われようが、学校すぐ近くの公園で爆音でバイクをふかしまくって子連れの親子を帰らせようが、東大卒の教師に「エリートは苦労を知らない甘ちゃん」と言い外で掃除している中で大量の紙吹雪を撒いたりしようが、窓の外の通行人に向かってチョークを投げようが…、まだ、耐えることができました。

でも、今回のネズミ花火事件をきっかけに、自分の中で我慢の限界のようなものを迎えました。「このままこの学校の環境に馴染んでいったらやばい!とにかく、ここから逃げないと!」そう、強く思わせるきっかけになりました。

一方で偏差値60代くらいの高校に通っている友人の話を聞くと、授業中は静かで部活動も活発、指定校推薦も早慶やMARCH、日東駒専があり、高校生活がめちゃくちゃ楽しいとよく言っていました。そこの文化祭に行ったとき、雰囲気が明るくみんな楽しそうで本気でうらやましいなと思いました。自分の高校の文化祭はと言うと、みんなやる気ないから雰囲気が暗い、教室で洋楽やらEXILEの曲を爆音で流す、外から誰も遊びに来ないと真逆の世界のようだった。全然関係ないんですが、授業中やら休み時間、さらには文化祭でも洋楽やらEXILEの曲をひたすら流しまくってたせいか、いまでもそれらの曲を聴くと当時の情景が完全に蘇ってしまう。EXILEのATSUSHIさんとか好きなのに。つらぽ。


高校から逃げ出したいと強く思ったぼくですが、具体的にどうしようか、高校再受験や編入はありえないしなあ。いっそのこと、完全にこの高校の文化に染まるか?いやいや無理無理。

そこで思いついたのが「〇高の人が誰も行かないような進路先に行こう!」ということでした。当時は専門学校の体験入学に何校か行ってたこともあり、専門学校に行くつもりでした。でも専門学校だと、うちの高校みたいなところからいっぱい来るよなあ…。ということは、うちの高校から行く人がいない大学に行くしかない、それもレベルが高いところ。そこで学校生活を楽しめば良いんだ!それはつまり、一般受験で難関と称される大学に行くということでした。過去の難関大学の進学先を教師に聞いたところ、10年前に1人だけ法政大学に合格したこと、30年以上前の創設期には早稲田や横浜国立大、MARCHが多少いたとのことでした。これだ、これしかない。自分もその過去の偉人のうちの1人に絶対なってやるんだ。しかし、そんなことができるのは例外中の例外で、あまりにも非現実的だということも、わかりきっていたことでした。

いままでの人生でまともに椅子にも座れないくらい、大嫌いだった勉強に取り組むことになるわけですが、底辺高校から大学受験をするのがいかに困難だったかということを、次回書いていこうと思います。


Twitter:@go_go_ryuunen

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