寂しさという忙しなさと、言語化というサーフィンと、観念としてのおっぱいの死(下書き 2022/10/03)
下書きに保存してあったものです。
半年前はおっぱい唯物論者になりかけていたらしい。
寂しさってなんだか不思議なもので、一口に寂しいといっても、よくあることのような、前もこんなことがあったような、でも毎回ちょっとずつ何か違うような、そんな気持ちになります。感情なんてそんなものだし、全く同じ経験なんてないことを考えれば当たり前と言えば当たり前だと思いますが、なんとなく不思議でなりません。
人や場面とか、自分の状態とかが違っても、その経験をぎゅっと絞って構成要素を調べてみ