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メモ

あの時は私から拒まれていたと、女は時々に私に言う。だが、その言葉を聞いて私は何を考えればいいのだろうか。当時、女には、家庭があり、夫がいる。話を聞くとそこまで仲が悪いわけでもない。旅行もする、会話もある。性行為はなかったみたいだが、体を用いた愛情表現はある。いわば、世間一般が抱く平均値に近いであろう家庭だったはずだ。その中にいる人は、もっと複雑な要因を抱えており、そんなに単純ではないと言う。そんなことは知っている。きっと現実が予測から外れていたのである。それは実にこうである。「結婚当初、出会った当初、漠然として描いていた幸福とは違うの。もっと私は幸福になるべきなの。けれど、どこに進んでいいのか分からないの。私が幸せになるために助けて欲しい」いわば、複雑で難解な現実から目を背けた先に、現実より簡易な理想に私がいたわけだ。その私は、女の手垢まみれで構成されている肉体であり、女の情念と日常を共にしていた。だからこそ、わかるものがある。男の美醜は別個体として分離をされているが、女の美醜とはそれが一つとして完結しているのである。女の美の裏には必ずと言っていいほど、醜さがヘドロのように張り付いている。その醜さを認め同居し、懐柔できるものこそが女としての美しさを勝ち得るのである。そして、主語を自分で捉えている女は決して私の幸福を考えておらず、万が一考えていたとしてもそれは詭弁であり、己の慈善活動のために私を丁度よく扱っていること。私は違う!という思考こそが、我儘な既婚者な女の独善的な戯言なのである。

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