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リーダーに恵まれていたら誰かの部下で終わっていた _feat.チンギス・カン<上司編#2/4>

歴史上で輝く偉人たちも、部下の視点で見るとほぼクソ上司だった。

そんな話を前回しました。
前回はコチラ▷▷▷ 歴史のカリスマリーダーは99%クソ上司! _feat.織田信長、始皇帝 <上司編#1/4>

自分の上司だけがクソではなくて、上司に恵まれないのは再現性の高い当然の現象。だから我慢しましょう、ということを言いたいわけではまったくないんです。

「上司なんてだいたいクソ」と気づいたうえで伝えたいのは、自分のやるべきことを考えること上司に振り回されるんじゃなくて、どんな上司の下でも困らないような自分をつくっていくことが大切だと思うんです。

部下ではあるものの、その上司の上司として逆にマネジメントする感覚といいますか。評価される側ではなく、”評価させる側”としての立場を取る。実際のところ、そういったマインドを歴史上で出世している人たちのほとんどが持っていました。

その好例が、モンゴル帝国を統一した初代皇帝チンギス・カンです。

350年ぶりに統一したチンギス・カン

チンギス・カンは、ユーラシア大陸の3分の2という人類至上最大規模の世界帝国を築いた、世界史上でもまれに見る功績を残した人物です。

モンゴル軍という圧倒的に強い騎馬兵を従えたチンギスは、様々な部族や中華の国々が牽制しながら覇を競い合い、350年もの間出ていなかった統一国家をモンゴル高原でつくりました

彼が作った帝国はのちの代に、いまのヨーロッパのブルガリアやポーランドのあたりまでを支配する最大版図(下地図:うす緑色の領域)。そのあともものすごく先進的な方法で統治をして帝国の礎をつくります。

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【出典:『世界の歴史まっぷ』モンゴル帝国最大領域地図】

超絶ピラミッド体制で最強国運営

組織の運営体制は日本人が想像する統治体制と全然違うんですが(詳しく知りたい方は『コテンラジオ』のチンギスの回を聴いて下さい)、わかりやすく日本史の江戸時代にたとえてみます。

大名みたいな人がいて、その大名をまとめる征夷大将軍としてチンギスがいる、という体系です。大名にあたるのはそれまで滅ぼしてきた部族や国のトップで、「千戸制(せんこせい)」というピラミッド型の行政・軍事組織を敷きます。

千戸制とは、全国の遊牧民を100近い千戸(※「戦死者を1000人出せる集団」。実際はおそらく3000人~400人)の集団に分け、さらにそれを百戸・十戸に区分してそれぞれにリーダーを置いたというもの。

数千の兵をまとめる千人隊長がいて、隊は入れ子構造になっています。千人隊長の中には数百人の兵をまとめる百人隊長がいて、百人隊長の中には十人隊長が数十人いるというわけ。それぞれの集団は、行政集団としても軍事集団としても機能しました。

このピラミッドシステムの上下関係と責任の重さは非常に厳しく、たとえば十人隊から逃亡者が1人出たらその隊の10人全員が死刑というものでした。厳重ルールによる超トップダウン体制で、見事に統率のとれた最強の軍事大国を組織したわけです。

チンギスに世界統一の野望はなかった

そんな世界帝国の覇者に上り詰めたわけですが、彼自身は一般的にイメージされるような野望に燃えた残忍な人物像とはちょっと違ったようです。世界帝国を築こうという野望を持っていたかどうか。研究者の本を読んでいてもどうやらそうでもないみたいです。

チンギスが守りたかったのは、ただ遊牧民である家族と自分の部族。そして、戦いながら遊牧生活を続けていくなかで必要不可欠な鉄資源(武器や武具、馬具になる資源)。その必要性に応じて降りかかってくる敵を倒して滅ぼしていっていただけ、というのがチンギスの人生の背景にありました。

出世レースでは最下位ぐらいの血統

チンギス・カンの、カンというのは遊牧民社会では「部族長」を表す言葉です。生まれたときのチンギスは、「テムジン」という名前でした。長男として生まれたテムジンの父はキヤト族のイェスゲイ・バアトルという人で、10人程度しか部下がいませんでした。弱小チームの息子としてこの世に誕生したわけです。

一方で、テムジンの祖父はモンゴル族を民族として統一したカブル・カンです。なのでカン(部族長)の孫ではあるので血筋としては悪いわけではありません。

カンになる資格は持っているけれども出世レースの最下位くらい」というのが、チンギス・カンの出自でした。

幼少期をどう過ごしたかの資料はほとんど残っていないのですが、父・イェスゲイはチンギスが13歳のときに敵対する部族に毒殺されてしまいます。父親を失い部族の中で権力をほぼ持たない状態ながら、チンギスは母親に育てられつつも長男として家族を養っていく立場になりました。

同時に、チンギスはカンになる権利があるリーダーの血筋ですから、その命を狙って攻撃してくるほかの部族はたくさんいました。

身を守る術はサラリーマンになること

何のパワーも持たない少年ながら敵がめちゃくちゃ多かったチンギスは、かつて父がその人物をカンに押し上げて恩を売ってあった部族「ケレイト」にいた「トオリル・カン」に助けを求めます。

具体的には、ケレイトという部族のトップであるトオリル・カンの臣下となり、その先鋒隊のような形で戦うことになります。ケレイトの中のトップであるトオリルの配下として雇われ、サラリーマンになったのです。

トオリルの後ろ盾を得たことでチンギスは活躍しました。その活躍は出身部族であるキヤトを再びまとめることにもなり、自分の部下も少しずつ増えていきます。デキる部下・チンギスの押し上げもあってトオリルも一定の地位を築きます。トオリルもチンギスも、所属していた大派閥のなかで一緒に出世していったわけです。

立場を脅かす存在として上司が討ってきた

それがあるときからトオリルは、チンギスの功績を自分のものにしたり、報酬や資源を配分することを止めたり、チンギスに対して酷い仕打ちをします。チンギスが優秀だったため、自分を超えそうで怖くもなったのでしょう。

迫害されはじめたチンギスがどういう気持ちになったのかはわかりませんが、トオリルはチンギスを殺そうと行動に移してきました。

恩義を与えてきたはずの上司が討ってきた。仕方なくチンギスは逆襲し、トオリルを返り討ちにします。

もともとのチンギスは、トオリルを殺そうとは考えていなかったはずです。でも、身を守る必然として上司を殺しました。

この経験をしたことでチンギスは、トオリル軍の部隊を丸ごと手に入れます。自分の軍と2倍以上になった部隊を得たことで、親組織である大派閥も潰して飲み込んでしまいます。こうしてチンギスはモンゴル高原全域を手に入れます

「裏切られ⇒返り討ち」で力を大きくする

チンギスは、ほんとうに少しずつ力をつけていきました。ちょっと力をつけると力をつけたチンギスを誰かが潰しにくる。そいつをチンギスは返り討ちにする。そして力を大きくする。するとまた誰かが討ちにくるから返り討ちにする。

「潰しに来られる→返り討ちにする」という構図が何度かありました。

そのあとも、自分と部隊の命が脅かされるから中国の「金(きん)」を頼り、さらに西遼派だった部族ジャムカとも戦い勝って……と身を守るための戦いを続けます。僕が想像するに、心穏やかに眠れる夜はほとんどともなかったことでしょう。

巨大スケールでクソ上司を倒していった結果、40歳を過ぎてから急激に広大な領土を治めるモンゴル帝国を出現させました。

クソ上司に当たろうが自分次第

超絶成り上がったチンギス。「クソ上司だったことが幸運だった」ともいえるわけですよね。

もしも、少年だったチンギスが自分と家族・部族を守るために配下となったトオリルがすごくいい上司だったら、おそらく覇者になっていなかったでしょう。トオリルの良き右腕として人生を全うしていたかもしれません。

現代で言い換えると、上司がクソだったからこそ、悩み、考え、新しい活路を生み出していったわけです。現代で言い換えると転職なのか、仕事のやり方を根本から変えたことになるのか。いまの僕も似たような流れです。最初に就職した大企業の上司が良かったらそもそも起業しようなんて考えは起こりませんでした。


チンギスはなぜトップを望まれたのか?

おもしろいのは、僕が思うにチンギスは自らがリーダーになることを強く望んだというより、周りに望まれたのではないか? ということ。遊牧民は独立心の強い者たちの集団です。なにせ定住しない民族ですから上から降りてくるリターンが不満なら別の場所へ馬で移ります。

そんななかでも、「この人がリーダーになったほうが諸事いいだろう(自分たちを食わせてくれるだろう)」とみんなが思った。戦闘指揮はそこそこうまく、部下たちへの配分もうまかった。いろんな巡り合わせもあったでしょうが、戦力でいえばもっと強い人間はいました。

にもかかわらず、なぜチンギスだったのか?

僕は、40代までめちゃくちゃ苦労したことが大きかったと思っています。父を若くして失い何の権力も持たないながら、彼は家族を引っ張らなければいけませんでした。ライバルにはなかったであろう長年にわたる「普通の遊牧民」としての経験もありました。その生活は小さな声をも拾う力を自然と育てたはずです。

遊牧民にとって40代というのはいつ絶命してもおかしくない年齢です。大器晩成の超大物は、人格的アドバンテージがあった。僕はそう思うんですよね。

■半沢直樹も霞む巨大スケール! モンゴル最強伝説はここからはじまった!


このnoteでは、歴史を学ぶことで得られる「遠さと近さで見る視点」であれこれを語っていきます。

3000年という長い時間軸で物事をとらえる視点は、猛スピードで変化している今の時代においてどんどん重要になってきます。何千年も長い時間軸で歴史を学ぶと、自分も含めた「今とここ」を、相対化して理解できるようになります。世の中で起きている経済や社会ニュースとその流れから、ビジネスシーンでのコミュニケーションや組織づくり、日常で直面する悩みや課題まで、解決できると僕は信じています。

人間そのものを理解できたり、ストーリーとしての歴史のおもしろさを伝えたくて、歴史好きの男子3人で『COTEN RADIO(コテンラジオ)』も配信しています。PodcastYouTubeとあわせて聴いてもらえたらうれしいです。

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(おわり/偉人伝上司編)
3/4話目となる次週は、1%のいい上司=世界史上でも稀にみる名君だった人物についてお届けします。

編集・構成協力/コルクラボギルド(平山ゆりの、イラスト・いずいず

株式会社COTEN 代表取締役。人文学・歴史が好き。複数社のベンチャー・スタートアップの経営補佐をしながら、3,500年分の世界史情報を好きな形で取り出せるデータベースを設計中。