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古代ギリシア宗教に地域色はあるのか?:Regionality and Greek Ritual Norms

古代ギリシア宗教と言えば、ギリシア神話の壮麗な物語よりも何よりもまず、血生臭い動物犠牲がその中核によく挙げられます。これは過去の記事「Greek and Roman Animal Sacrifice: Ancient Victims, Modern Observers」にも書いた通り、昨今の動物犠牲中心主義の産物でもあるのですが、確かに動物犠牲は、崇拝する神々と直接的なコミュニケーションを取ろうとする点では、重要な祭儀であることに違いはありません。動物犠牲以外では、神官制度やお清めが、ギリシア宗教においては普遍的に見られる現象(どちらも、世界中の宗教でも共通のことではありますが)だと思われます。

では、このような古代ギリシア宗教の中核要素である犠牲・神官・お清めの規範は、ギリシア中で均一的だったのでしょうか?あるいは、地域色が色濃く出ており、各地域で独自の発展を遂げていったのでしょうか?

上記の疑問に取り組んだのが、古代ギリシア宗教学者で圧倒的な実績を誇るRobert Parkerの"Regionality and Greek Ritual Norms" (2018)という論文です。取り扱う分野の史料的制約が非常に厳しい中、僅かに残された宗教規範碑文を主な史料として、地域色があったのかどうかを論じていきます。

結論から言えば、「実際の儀礼実践のレベルにおいては、実質的で規則的な地域差は現れない」としています。つまり、地域差は確認されず、古代ギリシア宗教はどの地域においても同様の儀礼規範を有している、ということですね。

なるほど、とも思うのですが、考古学的証拠が非常に乏しいこともあり、少々疑問が無いこともありません。実際、碑文上では地域による差異が確認されています。例えば、碑文が比較的豊富に残存しているアテネ・ミレトス・キオスという3地域だけでも、神官の受ける特典の内訳が異なっていたり、エーゲ海東部の島々や小アジアでは神官になる権利を売買する習慣(ギリシア本土では確認されていません)がありました。しかし、当たり前ですが、Parkerはこれらも十分に承知した上で、上記の結論を出しています。つまり、碑文上に残る違いは、宗教儀礼自体の差異ではなく、あくまでも「碑文の書き方」の差異であり、実際的には変わりがない、という主張です。

例えば、アテナイでは、犠牲式における神官の特典(γέρα)として臓物(σπλάγχνα)を挙げることはありませんが、ミレトスやキオスでは頻繁に臓物が列挙されています。基本的には、臓物は神官だけではなく、参加者の内輪で食すことに使われます。単純に読めば、アテナイと東部ポリスでは犠牲式における臓物の取り扱いが異なり、東部ポリスは臓物が神官に独占されているので、地域的な差異がある、という理解になります。

しかし、ParkerはCarbonの論文を援用し、これは単なる碑文上の書き方の違いだと指摘しています。東部ポリスの神官が特典として貰っていた臓物は、全てではなくその一部(4分の1)であり、アテナイもそのように臓物の一部が神官の特典であったに違いない(碑文上に明記されていないが、それを否定する根拠もない)、と。アテナイでは神官の特典は「最良のものを初めに(best first)」記述する方式なのに対して、東部ポリスは屠殺解体順(the process of butchery)に記述する方式だと主張します。

We can suppose that the σπλάγχνα assigned to the priest in the Milesian texts are not all the σπλάγχνα but the customary portion of them: in texts from Iasos and Halicarnassus, the priest in fact gets a quarter share, τεταρτημορίς, of σπλάγχνα, which would leave a respectable amount for general consumption. Equally, no text proves that where communal consumption by the συσπλαγχνεοντες took place, all the σπλάγχνα were so treated; some might have remained for the priest even in Attica (though admittedly not so mentioned). If so, Carbon’s argument can stand that what differs is the convention for listing the γέρα, not, much more drastically, the actual sacrificial practice.

Robert Parker, "Regionality and Greek Ritual Norms" (2018)

これらを論拠として、冒頭の結論に至ります。少なくとも残存する史料においては、碑文を刻む習慣には違いがあるが、実際の儀礼においては地域色は見られない(お清めや神官も同様)、というわけですね。尚、神官職の売買については明確な違いと言えますが、「これは儀礼の規範ではない」として、対象にカウントすることを否定しています。

史料が乏しい中でも、非常に理論的な結論だと思います。決定打となる証拠が無いのは、その研究の性質上仕方のないことでしょう。とはいえ、私はもう少し慎重に結論を下すべきだと考えています。ヘロドトスがギリシア人の条件に「神々を祀る場所と祭式」を加えている以上、ある程度の均質さはあったと思いますが、上記論拠だけで地域的な区別が無かったと言えるのでしょうか?

特に、Parkerは神官職の売買をあっさりと対象から除外していますが、これは極めて重要な違いだと私は考えています。アテナイだけでも、神官をどのように選定するかは祭祀によってバラつき(ゲノスか、オルゲネスか、市民抽選か)があり、その基準は単なる便宜だけではなく、その儀礼の中核となる伝統やイデオロギー(どの人物が最も神のご機嫌を取れるのか)を表しています。この密接な関係性を鑑みるに、神官職売買は、誰であれ購買力のある市民が神にとって最も適切な人物だとする、ギリシア本土では類を見ない考え方であり、これもある種の規範とカウントして然るべきなんじゃないかと思います。祭祀にとって重要な神官の選び方に様々な差異が生じている以上、それ以外の慣習や規範にも地域色が出ていても不思議ではありません。

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