見出し画像

【夢日記】オムニバス-深海調査・肝試し・塊魂-

【はしがき】

今日は比較的短い内容の夢を3つ見た。

実は、こういうことは結構ある。多い時は4つも5つも見たり。ただ、大抵、その場合は、1つ当たりの内容が断片的過ぎて、とてもじゃないが言語化出来ず、1つも夢を見なかったのと同じような感じになるし、睡眠の質も比例して落ちて、何も良いことが無かったりする。

出来れば、1つの夢をじっくりと見て、夢日記に書きしたためていく中で、今日見た夢は自分にどんな気付きを与えようとしたのだろうか、などと思いを巡らせたいのだけど、見る夢をコントロールすることが出来ないのもまた、夢の醍醐味だったりもするので、その点も含めて、夢の面白いところなのかな、とも思う。

以上のことから、毎日、夢日記を書いているわけだが、(前後半に分かれたりする兼ね合いもあるけれど)自分が見た夢を全て日記形式で書き記しているわけではなく、これは一つの記事にならないかな、これは出来れば記事にしたいけど優先順位は少し下がるかな、などなど、内々で調整していたりもする。

そして、今回は、初の試み、単独だと一つの記事にならなさそうだけどオムニバス形式でサクッとまとめたらどうなるのか、ということで、3つの夢物語を書き記してみたい。

なお、しれっと「目次」も使ってみることにした。今回のように内容が複数に分かれるのなら有効そうだけど、1つの夢を取り上げるだけだと、どうだろう。そこは、やりながら、考えて行こうと思う。


【深海調査】

僕は、リュウグウノツカイを自分の目で見るために、深海調査班の一員として、海にまでやって来ていた。

おそらく、水深が深い、こう書くと「頭痛が痛い」みたいな表現になるのだけど、水深がある、と書けば良いのだろうか、なんだか良く分からないな。改めて文字にしてみたら。まぁ意味が伝わればそれで良い。そんな海に来ていた。

僕は、深海にもかかわらず、まるでプールに入るかの如く、生身でダイブして、ザブーンと、海に潜り始めた。それも、到底、人間が泳ぐ速さではないスピードで、グングン、奥深くへと潜り始めた。それこそ、止まったら死ぬと言われている魚、マグロのように。

イメージ的には「ドラえもんの深海クリーム」と言うのが最も夢の内容に即しているのだけれど、ピンと来ない方はスルー推奨。

ちなみに、僕は、ニンテンドー64のドラえもんのゲームで、深海クリームというひみつ道具の存在を知った。

当時、子どもながらに「塗り残しがあったらどうなるんだろうか・・・。」と思案顔になったものだが、良い子のみんなは、そんなことをいちいち気にしないように。将来、僕みたいな大人になっちゃうよ。(反面教師)

注釈

程なくして、お目当ての生物、リュウグウノツカイを発見することが出来た。

これも深海を生身で泳ぐのと同じぐらいおかしなことだ。僕の知識が正しければ、リュウグウノツカイは、滅多にお目にかかれない、レアな深海生物だったはずだ。にもかかわらず、あっさりと見つかった。「調査」なんて書いているけど、探している感じも無く、深く潜ったらウヨウヨ居るかの如く、優雅に泳いでいたのだ。

僕は、念願の邂逅、「邂逅」という言葉を当てるには、些(いささ)か、出会い方がイージーモード過ぎたのだが、それはともかくとして、邂逅を果たすことが出来たことに興奮し、歓喜し、もっと近くで見たいと思って、リュウグウノツカイ目掛けて、やはり、マグロのような猛スピードで泳いで行ったのだが、ココで誤算が生じた。

速すぎたのだ。僕の泳ぐスピードが。

電車と電車が行き交うように、と例えれば、イメージしやすいだろうか。僕は近付きに行ったのだが、リュウグウノツカイは、僕とは逆の進行方向を泳いでいて、尚且つ、お互い、泳ぐスピードが速いために、あっという間に通り過ぎてしまったのだ。

ただ、僕は、泳ぎながらではあったが、至近距離で交差することが出来たのも、これはこれで貴重な体験じゃないかと思えたし、やっぱりリュウグウノツカイって、煌びやかというのか、なんとも形容しがたい趣きを感じる生き物だなぁと、感慨深い気持ちになり、より一層、好きになったのだった。


【肝試し】

大学生の頃の夢。

僕は、バスケットサークルの同期の女子、MとHと、肝試しと題して、とあるマンションへと来ていた。

そのマンションは10階立てで、住民の多くはエレベーターを利用している。階段を使ったとしても、せいぜい、2階に住んでいる人がたまに使っているかも、という感じらしかった。

だが、その階段を、1階から10階まで上がって行くと、最上階に辿り着く頃になっても、まだ階段は続いて、それを更に上がって行くと、”無限階段地獄”、のような状態に陥り、これはマズいと引き返すが、どれだけ降りても階段は続き、やがて、心身が疲弊して動けなくなると、”人外の生物”、に「タチサレ・・・」と耳元で囁かれ、下界(元々居た場所)に戻される・・・。

そんな言い伝えを耳にしたMが「一回行ってみようよ!」と発起人となり、それに呼応する形で、Hも「そういうの一度やってみたかったんだよね!」と言い、僕は「まぁ命に別条がなければ・・・。」と、渋々ではあったが、参加を表明した。

これがもし、男性二人に誘われていたら、まず間違いなく「いや、俺、そういうの興味無いから。お前らだけで行けよ」と言って、断っていたはずだ。

女の子に誘われたら、大抵の場合、断れない。後悔するハメになっても、やっぱり安請け合いして、結局、あとで困ってたりする。ちっとも学ばない。女の頼みと、女の涙と、女の笑顔には、滅法弱い男なのだ。

注釈

結果から言ってしまえば、何も起きなかった。1階から10階まで階段をダーッと登ってみたのだけれど、10階まで来ると、先に階段が繋がっている感じではあったが、一般人は立ち入り禁止のような状態になっていて、入ることが出来なかったのだ。

MとHは拍子抜けといった様子でテンションが下がっていたので、僕は「もしかしたら条件があるのかもしれないね」「例えば『〇月△日の◇時に行なうと』とかさ」「ほら、『13日の金曜日』とか言ったりするじゃない」などと言い、なんとか話を繋げて、沈んだ空気を元通りにしようと試みた。

Mは、僕の話を、まぁ一理あるのかな、と言いたげな表情を浮かべながら聞いた後、「うーん。じゃあ、もっかい、ちゃんと聞いとくよ!」と言って、今回はこれでおしまい、ということになった。

僕は、「仮に条件設定があったのならば、今度は本当に、怪奇現象が起きるのかなぁ・・・。」とか「『タチサレ』って言葉を耳元で囁かれたら、類似した状況に身を置いた時、何度も何度もフラッシュバックしそうで、嫌なんだけど・・・。」などと思い煩い、どうかデマ情報でありますようにと、密かに願った。


【塊魂】

僕は、現在お付き合いしている恋人、Aと同棲生活を送っていた。

Aは、これまでの人生で、ほとんどゲームに触れて来なかった。それとは反対に、僕は、物心が付く前からゲームに慣れ親しんでいたのもあり、協力プレイが可能なゲームを持ち出して「一緒にやらない?」と声を掛けてみたりしたのだが、やはり興味が湧かないらしく「別に良い」と断られてばかりだった。

ところが、ゲーム好きの僕に感化されたのか、あるいは、ゲームに囲まれた部屋で生活していたからか、理由は分からないにせよ、同棲の日々を重ねる中で、Aは、自発的にゲームをプレイするようになっていったのだ。

Aは『塊魂』にハマったらしい。そのハマりっぷりは異常だった。どれぐらい異常かと言えば、僕が眠りに付こうとした時にもプレイしていたのに、僕が起きてもプレイしたままだった、そんなことがザラにあるぐらいには、ドハマりしていたのだ。

さすがに僕は心配になって「俺が寝てから起きるまでずっとやっていたの?」と問い掛けてみると、Aは「仮眠を挟みながらプレイしている」「長時間プレイすると集中力も途切れるし手と目も疲れるからちゃんと休んでいる」と、ややぶっきらぼうな口調で返してきた。僕は「なら良し」とだけ返して、そっとしておくことにした。

Aは、元来、凝り性なところがあり、ゲームに限らず、一度火が付いたら止まらない面があったりもするので、僕は、周りから制限されたり強制されるよりも、自分が納得するまで思う存分プレイした方が良いよな、と思い、そっとしておくことにしたのである。

ここら辺の境界線って難しい。言語化するならば「見放す」ことと「見守る」ことの違いというのか。はたから見れば「見放した」ように感じられる物言いかもしれないが、僕としては「そっと見守る」ニュアンスで「なら良し」と返したのだ。

この感覚は、僕とAの関係性であれば伝わっているはず、と思いがちなのだが、これも過信してはいけず、ハッキリ言わないと伝わらないもんなんだな、と思わされる出来事が起きたりもするから、やはり難しい。

ちなみに僕は、何となく察しが付く方もおられるかもしれないが「『~だろう』で済まさずに、ちゃんと言葉にして伝え合おうね」という言葉自体を伝えるのが億劫でなかなか言えない、自分でも情けなくなるぐらい、不器用な人間なのである。

注釈

【あとがき】

「物は試し」というわけで、オムニバス形式で書き記してみたが、はかったように、良い分量におさめることが出来た。

文字数に換算すれば、ここまでで3800文字程度。これなら前後半に分けなくて済みそうだ。仕様上、1記事で完結出来た方が良いよなぁ、と思っていたので、これもまた良かった。「3部作」で正解だったらしい。

今後も「今日は短編物の夢を3つ見たなぁ」という日があった時は、今日のような形式で書いてみることにしよう。

僕自身、書いていて、ポンポンとテンポ良く話が進む感じがして、普段に無い心地良さを覚えることが出来た。読み手的にはどうなんだろう。人によるとしか言えないのかな。やっぱり。

とはいえ、1つの夢を細かく描写するスタイルも、それはそれで僕らしいと思っているし、心地良さは感じられずとも、自分の内面を深掘り出来る感覚は、個人的に好きだったりもするんだけどね。

ここら辺も言語化するのがちょっと難しい。楽しくない、と言うと、そんなこと毎日やってるんですか、と驚かれそうだけど、見たくない部分に直視せざるを得ない場面も結構あるんだけど、そういう面も含めて、自分なんだよな、自分を形作る上で欠かせない要素なんだよな、と思ったりするタイプなんで・・・。

一言でいえば「自己理解・自己分析」が好きなタチなんでしょう。

【P.S.】

「オムニバスだとカバー画像に迷うなぁ」と思ったんだけど、一番映えそうっていうことで、リュウグウノツカイに。なんか、一緒にうつってる男の子も、眠っている風に見えるし。ちょうど良いでしょ(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?