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#13【夢日記】2画面プロ野球中継スタイル見辛すぎるやろ

・(楽天と日本ハムの優勝決定戦を心待ちにする僕)
・僕「よしプレーボールや!野球見るで!」→(TVポチー)
・(日ハム側と楽天側の映像が二分割で流されている)
・僕「ファ!?」「なんやこれ見辛くてしゃあないやろ!」
・僕「これあかんわ別のにしよ」→(他の中継先を探す)
・僕「おい!今日ココしかやってへんやん!優勝設定戦!」
・僕「画面を任意で選べる機能とか用意されてへんのかな」
・(主音声が日ハム側、副音声が楽天側しか選べない模様)
・僕「万策尽きた。イッツゴーンヌおじさんでええわもう」

内容

夢の世界がなんJ風やったから忠実に再現しといたで

なんJ。懐かしい。大学時代の友人がそうだった。いわゆる、なんJ民。詳しかった。あの界隈に。僕が全くアンテナを張っていないベクトルから野球のことを語ってくれるので、野球談義をするのが楽しかった。

今は元気にやっているんだろうか。そもそも大学を一緒に卒業出来たのかどうかも怪しい。彼のことを考えて思い出すのは、休憩室みたいな場所で、大の字になって居眠りをしていた姿だ。

衆人環視にさらされるのを何らいとわない。他の人には、「何やコイツ共有スペースを私物化しやがって」などと迷惑がられていたかもしれないが、僕にとっては、雄々しくすら見えた。これは真似できないなと。いや、そもそも真似したくなかっただけかもしれないけれど。

失敬、話が逸れた。

なんJってその人経由ぐらいの情報しか知らないんで、ニワカ以下なんだけどね。語尾が大体こんな感じとか、あと、「名言・迷言」を、いくつか知っている程度で。

「お前に言われんでもわかっとる!」

さすが前田智徳さん、名言(迷言?)も、汎用性抜群のモノを残されております。僕も隙あらば使うようにしています。今年も解説を楽しんで聞かせてもらっています。今後ともよろしくお願い致します。

【P.S.】

前田智徳さんの解説で山口翔が出てくると、途端に辛口コメントが目立ったりするのが好きだったんだけどね。戦力外になってしまって残念。熊本の独立リーグで頑張っているみたいなので、藤井皓哉のようにカムバックを密かに期待しています。

※前田智徳と山口翔は熊本工業の先輩・後輩

イッツゴーンヌおじさんは近藤祐司さんって名前らしいで

近藤祐司さん、GAORAの日ハム戦の実況から外されたみたいですね。内情は何にも分からないので何とも言えませんが。そもそも「外された」って表現も不適切かもしれませんが。「分からないことは黙する」ですね。「口は災いの元」とも言いますから。

なのでココでは、「近藤祐司よりもイッツゴーンヌおじさんで有名になった」という観点から、僕なりに考察を深めてみたいと思います。

やっぱねぇ、日ハムファンでもない僕でも、声を聞いた瞬間「あっ、あの人がやってるな」と思わせるだけの自己プロデュース能力が、大変すぐれている方だなって、思うんです。

で、僕が知る限り、彼の実況スタイルを毛嫌いする人も多い。例えば、「メジャーかぶれ」だとか。「自分が目立つ前に選手や解説を立てろ」だとか。

こういう反対意見・否定意見の是非は今回は問いません。

僕はね、こういう「支持しない層の声」が大きくなるのが、また一つ、凄いことなんじゃないかなと。それも実況という立場で。

野球中継を日頃見ている皆さんはどうですか。実況の人で野球を見るかどうか判断しますか。もちろんそういう人も中には居ます。だけど、僕が知る限り、そんな人は圧倒的少数派。

多くの場合、誰が実況でも誰が解説でも、とりあえず野球が見れるならそれで良いよ、と思いながら、気楽に楽しんでいるケースが多い。話に耳を傾ける気がない、ということですね。

で、次に多いのは、解説の好き嫌いで考えるパターン。おそらく僕はこれにあたります。僕の場合、キャッチャー出身の人が解説をやっているのを好んで視聴する傾向があります。なぜなら、野球を一番知っているポジションだと思うから。

こんな風に、気にしない層、解説は気にする層、ココまでは割と居るかなぁと感じるのですが、この番組はあの実況だから見る・見ないっていう声は、ほとんど聞かない。

なのに、「イッツゴーンヌおじさんを聞くためにGAORAで野球を見るか」とか「GAORAは実況がウザいから嫌なんだよね」とか、そんな声を聞くことが多かった。

この時点で、ぶっちゃけ、勝ってますよね。
自己プロデュース成功してるじゃないですか。

“好きの反対は嫌いではなく無関心”

良く言われる言葉。大抵の実況の方は「無関心」に分類される。そんな中、近藤祐司さんは「好き・嫌い」の土俵に立っている。この時点でもう、抜きん出た存在と言えるんじゃないですか?

そんな彼から学ぶべきことは大いにある。

それが分かれば「○○が好き」とか「○○が嫌い」などと、自分の好き嫌いを声明して終わるのではなく「なぜ好きと感じたのか?」「なぜ嫌いと感じたのか?」という風に、深掘りする習慣を持ってみましょう。

それが癖付いてくると「好きこそ物の上手なれ」という言葉を腹落ちすることが出来たり「嫌いを知ることで好きが見えてくる」という感覚を養えるようになると、僕は思っています。

楽天と日本ハムの優勝決定戦を見れる日はいつになるのか

「・・・いや、なんだ、近藤祐司から自己啓発のススメみたいな話を展開してこられたけど、そういうの求めてないんだよ、そんなゴタクはいいからさ、とりあえず俺は、我らが北海道日本ハムファイターズが勝ってる姿が見たいんだよ。なぁビッグボス、改めて、新庄剛志監督さんよぉ!」

そんな日ハムファンの悲痛な叫びが今にも聞こえてきそうです。新球場のエスコンフィールドには既に空席も目立ち始めたという記事を先日、目にしました。

そう。ファンは勝ちに飢えている。もう負ける悔しさをこれ以上味わいたくないと。特に今シーズンは勝利にこだわる姿勢を新庄監督が示し続けた。それだけに、昨年以上に、勝てないイライラ、負けるイライラが募っているのでしょう。

うん・・・。
そうだね・・・。

(なんて言葉を紡ごうか考える)

え〜っと、僕はカープファン、つまりセリーグの試合を見るのがほとんどなので、日本ハムの戦いぶりは、ほぼ結果でしか見れていません。なので、論じるに値しない、と捉えています。

なので、今シーズンの、練習試合〜オープン戦、それらを見て感じたことをもとに、一つ、物を申させてもらいますとね。

“清宮幸太郎に期待大”

「いや、そんなん試合見てなくても言えるやろ!」などといった罵声に近い物言いが飛んできそうなので、なぜそう感じたのかを、僕なりに、簡単にまとめてみます。


練習試合でビーズリーから打ったホームラン

一つ目。阪神戦。ビーズリーが投げたインハイのストレート。これをモノの見事にホームランしたのは、もうホント、ぶったまげましたよ。

えっとね、確か、アウトコース要求で、狙って投げたんじゃなかったかな。いわゆる逆球ですね。だからその分、ボールの威力自体は、多少落ちたとは思うんですよ。

とはいえ、ソコに投げられたら捉えてもファウルにしかならないよね、みたいなボールを、彼の天性のバッティングセンス、インコースを上手く打つ技有りの一打で、スタンドに放り込んでしまった。

それも、パワーピッチャーのストレートをね。力負けしない力強さと、ファウルにならない巧みさ。パワーと技術の合わせ技みたいなホームランに、「やっぱ清宮ってすげぇなぁ・・・」と、僕は驚愕したのです。

オープン戦で堀岡隼人から打ったホームラン

二つ目。巨人戦。堀岡が投げたアウトハイのストレート、これを逆方向にライナー性のホームラン。前述したビーズリーから打った一発と同じぐらい、ぶったまげました。

これね、表現が適切かどうか分からないんですけど「彼らしくないホームランの弾道・方向」だったので、鮮明に覚えています。「こんな打ち方も出来るのか!」っていう。

僕にとっての清宮選手のイメージって、インコースを上手く捌く技術は、一軍のプロ野球でもトップクラスだと思っているのですが、アウトコースの部分は、まだ脆い部分があるのかな、なんて感じることが多かったんですよ。

だけどこれは違った。アウトサイドのボール、コースに逆らわないバッティングで、且つ、外野の間に抜けるどころか、スタンドまで届いてしまった。

堀岡もね、分類で言えばパワーピッチャーのタイプなわけですよ。なかなかの球威で放って来ている。そんな球にも押されない、というのか、逆に力を利用しちゃおう、みたいな巧さも感じられる打ち方で。

あのホームランを見た直後、こう思いましたよね。「『ピンポン玉のように』ってフレーズは、こういう時に使うんだなぁ」って。それぐらい、力感なく振ってるんですよ。だけど打球はピョーンと飛んで行っちゃう。そんな感じ。


・・・とまぁ、当時の記憶そのままに、僕の思うところを書き綴ってみました。

とにもかくにも、2本とも、度肝を抜いたホームランだったのです。とにかくバッティング内容が素晴らしかった。その一言に尽きる。

これらを理由に、僕は「清宮幸太郎の40発宣言は決して大言壮語ではない!」と、事あるごとに、周りに主張しています。

残念ながら、僕の周りは、清宮幸太郎の覚醒を予感している人は、ほとんど居ません。「なんかちょっとハングリー精神に欠けていそう」みたいな声が目立ちます。あとは、それとは正反対で、盲信レベルで「清宮くんが打てば・・・」と、健気に信じ続けている人も、チラホラと。

まあ、周りが何を言うか、どう思うかなんてことは、僕がコントロール出来るもんでもないので、別に知ったこっちゃないんですけど、一つ、マイルールとして、心に誓ってることはあります。

“そこに根拠はあるのか?”

少なくとも、自分が自分に対して「なるほどね」と言ってあげられるだけの根拠を示せる人でありたい。逆に言えば、それだけの根拠を示せない人の意見は、耳を傾ける価値がない。

僕は、そう思います。

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