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【夢日記】道場破りゲームセンター・昼這いおばさん

【道場破りゲームセンター】

僕は全国各地のゲームセンターを転々としては特定のレースゲームを延々とプレイし、タイムアタックランキングのトップ10を自分の記録で総ナメしたら満足して店を後にする、ということを生き甲斐にして暮らしていた。それが生業(なりわい)になっていたかどうかは定かではないが、お金に困っている様子は無かった。むしろ、全国のゲームセンターに出向いていることを考慮すれば、裕福な暮らしと言っても良いのかもしれない。

今回、僕が目をつけたのは京都にあるこじんまりとしたゲームセンター。大規模展開しているチェーン店や、大型のゲームセンターに目をつけることはほとんど無い。小規模だが、それゆえに周辺の人々から愛され、憩いの場となっている、そんなゲームセンターに「道場破り」と題して、おもむろにレースゲームを始める。そのことに僕はやり甲斐を感じていた。

こじんまりとしたゲームセンターでは、他人がゲームをプレイしている様子を眺める文化が未だに根強く残っている。特に、ゲームが上手い人のプレイは、自然とギャラリーが集まるようになっている。それが新参者なら尚更だ。何処の馬の骨とも知れない輩(やから)が突然やってきて、一心不乱にレースゲームに興じる。それもメチャクチャ上手い。足繁く通っているゲーム好きの人々が気にしないわけがない。食い入るような視線。この状況を「エクスタシー」と呼ばずして何と言えようか。

僕は、内心ではいそいそしながらも、決して顔や仕草には出さぬよう、淡々と、レースゲームをプレイしていた、周りのギャラリーからは、頭文字Dの高橋涼介ばりに、冷静沈着なドライビング、正確無比なテクニックにうつったことだろう。しかし、僕の中では、頭文字Dの秋山渉ばりに「オレのモチベーションめちゃめちゃ高ぇぜ‼︎」「アドレナリンどっぱどぱだ‼︎」と心の中で叫んでいた。目も「(くわっ)」という擬音語をつけるに相応しいぐらいには見開いていたことだろう。

僕は「心は熱く、頭は冷静に」の状態を終始保ち、何の危なげもなく、タイムアタックランキングのトップ10を自分の記録で総ナメする目的を完遂させた。何から何まで完璧だった。自分の記録を自分で塗り替え続ける。瞬く間に「R.H」のイニシャルでランキングが埋め尽くされる。僕以外のタイムアタック記録に阻まれて「圏外」になることは一度たりとも無かった。

ゆえに、10周走っただけで僕は目的を完遂させることが出来た。時間に換算してみれば1時間強ぐらいか。長尺になり過ぎず、非の打ち所がないプレイングを披露することが出来たためか、最初から最後まで熱視線を送ってくれた人も居た。ギャラリーは増えていく一方だった。それが何より嬉しかった。けれど僕は、広島東洋カープの野村謙二郎ばりに「普通のことをやったまでです」と言わんばかりに平静を装っていた。

その状態のまま、レースゲームの座席から立ち上がり、ゲームセンターを後にしようとしたのだが、想像以上の人だかりが出来ていたことに、内心、驚いてしまった。あの時ばかりは、さすがに、ドヤ顔になっていたかもしれない。我ながら恥ずかしい、と思ったものの、超人的なドライビングテクニックを見せ付けられたギャラリーの人からすると「ドヤ顔」というよりも「威風堂々」にうつったかもしれない、と思い直し、再び、野村謙二郎を意識して、ついでに「華麗さ・優麗さ」も意識して、店を後にした。

僕は、店外に出ても、その勢いのまま、スタスタと歩き続けた。しばらく経った後、キョロキョロと辺りを見回し、ギャラリーの存在はどこにも居ないことを念入りに確認した上で、ダイヤのAの沢村栄純ばりに「おしおしおーし!」と叫んでいた。

【昼這いおばさん】

僕は自分の部屋で寝ていた。僕のベッドは窓際に設置されている。そのため、窓越しから、僕の寝顔が覗けるようになっている。もちろん、普段は、就寝時に窓の鍵は閉めているし、カーテンも閉めているのだけれども、なぜか、カーテンは開いたままで、窓の鍵も開いたままだったらしい。

僕が目を開けると、そこには見知らぬおばさんが立っていた。「おばさん」と形容した後に具体名を出すのは失礼に当たるかもしれないが、第一印象をありのままに話すと、あき竹城を彷彿とさせる女性だった。人懐っこい目でこっちを眺めていた。個人的な女性の好みとしては、ややふくよか過ぎるかな、と感じたのだが、それもおばさんの愛嬌に繋がっていると思えば、あまり嫌な感じはしなかった。

僕と、あき竹城似のおばさんは、お互いに無言で目を合わせる状態が続いていたのだが、沈黙を破るように「坊や、添い寝してあげようか?」と相手から声を掛けられた。それに対して、どう返すのが正解なのか瞬時に判断出来なかった僕は、黙ったままになってしまった。何も言えなかったのは、寝起きで頭がボンヤリしていたせいもあるだろうが、たとえ覚醒状態にあったとしても、やはり黙ってしまうかもしれない、とも思われた。

僕の肯定も否定もしない仕草を「OKサイン」と捉えたのか、あき竹城似のおばさんは、唐突に僕の部屋の中に入って来た。それも、ドアから入って来るのではなく、窓から入って来たのだ。確かに、あまり高いところに設置されているわけではないので、不可能ではないだろうが、ちょっと普通では考えにくい。ましてや、これも失礼に当たるかもしれないが、あき竹城さんぐらいの年齢と体型を考慮すれば、想像の範疇を優に超えるほどの機敏さだった。

僕はむしろ、窓から入って来たことに驚くよりも、気が付いたら僕と同じベッドで横たわっていることに驚いていた。あき竹城似のおばさんは、僕が唖然としているのを知ってか知らずか、突然、身体をまさぐり始めて来た。「有無も言わさず」とはまさにこのことであろう、と思われるほどに、一連の動作が、とにかく俊敏だった。

僕は、緊急事態であるにもかかわらず「人間というのは『驚きの連続』になると一切リアクションを取ることが出来ないんだなぁ」などと、悠長に考えていた。完全にされるがままだった。「蹂躙(じゅうりん)」という表現がしっくり来るぐらい、あき竹城似のおばさんの愛撫は、激しかった。僕は、抵抗してもどうせ無駄だろうと思って、おばさんに身を預けていた。

とうとう、あき竹城似のおばさんまで、服を脱ぎ始めた。僕はもうおばさんの手によってスッポンポンの状態にされていた。僕は「いよいよ『本番』が始まるのか」と身構えていた。それでもやっぱり抵抗はしない。イヤイヤをしたところで、おばさんの嗜虐心を煽るだけに過ぎないことは、既に分かっているのだから。

お互い生まれたままの状態になって熱い抱擁を交わした。おばさんの豊満な肉体がダイレクトに伝わってくる。けれども、不思議と嫌な心持ちではなかった。恋人同士のイチャイチャした感じは無かったが、親が子どもをヨシヨシしている感じではあった。ゆえに、性的興奮は覚えていなかったが、心理的安全性のようなものを感じていた、それは疑いのようのない事実なのである。

僕は、身も心も、あき竹城似のおばさんに預けるように、ベッドに横たわっていた。いわゆる「マグロ」と呼ばれる状態になっていた。おばさんは、本番直前の状況になっても、鼻息を荒くする素振りは見せなかった。まるで赤ん坊をあやすかのように、僕に濃密なスキンシップを行なっている。大きなものに包み込まれている感覚。それが不思議と心地良かった。

僕は、最初に感じた「違和感・警戒心・恐怖」といった類いは、一切合切忘れてしまって、あき竹城似のおばさんとのベッドタイムを、心ゆくまで楽しもうという気になっていた。いつまでもこうしていたい・・・。まさに、赤ん坊がゆりかごで眠っているような状態になっていた。この状況を「エクスタシー」と呼ばずして何と言えようか。

精神的快楽(≠肉体的快楽)が極点に達した直後、僕は目を覚ました。

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