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Yielding Embodiment®︎セッション練習会備忘録

昨日、Yielding Embodiment®︎ワークショップの同期の方2名と練習会を開催しました。
感じたことを備忘録として記していきます。

3人なのでプラクティショナー、クライアント、オブザーバーになって練習開始。

ぼくは最初はクライアント役。

印象的だったのは、仙骨を中心に下肢の動き、左肩の動きが結構あったのだが、あるところに触れられたら「すぅ〜っ」とまとまる感じが脊椎から下肢まで抜けていって、動きが静かになった。
もう一つは、膝を立てた後に足裏に触れられた時。
思わず声が出てしまいそうな気持ち良さがあった。
ぴったりのタイミングでぴったりの圧でぴったりの場所にキターッという感じ。
この感覚は初めてだった。
眼精疲労があったが事前に伝えるのを忘れていた。
イールドが進んで全体がゆるんできたら、眼の奥に圧力がかかる感じが続いた。
疲れていた箇所が浮かび上がってきた感じ。
疲れていることを気づかせてくれたのかもしれない。
普段、疲れていてもその感覚をシャットダウンしがち。
それも生きていくための戦略なのかもしれないが、度を過ぎたらパンクしてしまうこともある。

続いてプラクティショナー役。
うつ伏せで開始するシリーズ2。
クライアントの胸郭の動きと同期している感じ。
徐々に呼吸が深くなっていく。
「そろそろ仰向けに、、、」と言おうとしたその時にクライアントから「首の向きを変えていいか?」という提案があり、仰向けになってもらうタイミングを逃した感があった。
経験がないときは自分の感覚に自信がなくて言い出せなくてタイミングを逃す。
今度は経験を少し積んだことにより、動こうかなという体感があっても少し待ってみると本人の内発的な動きでプロセスが進むことを知り、動くタイミングを逃す。
タイミングを逃すと、全体の流れが悪くなる感じがする。
以前待ってみたら良かったから今回も待ってみようは頭の仕業。
成功体験を再現しようとしてしまう。
成功体験に執着してしまう。
Yielding Embodiment®︎のセッションに限らずあることだが、Yielding Embodiment®︎では如実に現れる。

落ち着いていたが顔の向きを変えたことで、またプロセスが始まり一山終わるまで過ごす。
残り時間が気になり、仰向けになってもらったと同時に膝を立ててもらう。
この提案は感覚からというより、頭からの要請だった。
クライアント本人は嫌な感じはなかったらしいが、その後一度膝を伸ばす流れになり時間短縮にもならず、、、
仰向けになる声がけを逃した影響で発生したズレを、そのまま抱えている感覚。
悪くはないがふわふわしている時間が続く。
そこでクライアントがぼくの立ち位置の変更を提案してくれる。
その位置に移動すると、ふわふわしていた空気がハッキリしてきた。
それと同時にクライアントの輪郭もハッキリしてきた。

クライアントが提案しやすい雰囲気を作れていたのは◎
素直に移動できたのも◎
まさにセッション。
もちろんイニシアチブはプラクティショナーにあるが、自分のプレゼンスを大切にその場に居続ける。

声がけのタイミングを逃してセッション中に取り返そうとして焦ってしまったかもしれない。
でも、大きな視点でみたらそれも含めてのセッションだったのかもしれない。
誠実に、でも気負い過ぎず。

Yielding Embodiment®︎ってほんと不思議。非日常な時間かと思われるかもしれないが、実は日常生活とまったく離れていない。
自分の生き方のクセが浮かび上がってくる。
自分に毎瞬毎瞬集中する。


Yielding Embodiment®︎セッション受付中
ごきげんラボ 流生


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