愉快ジン#19

時間はお昼時。今日もいかにも仕事をしてるような雰囲気を醸し出しつつPCを見つめている。僕はこの日もいつもの変わらない金曜日を過ごしていた。そう、ありきたりな一日。あっ、でも平凡な毎日でも何か自分のためにならないかなという貪欲さは失わないようにしている。だからなのかよくお客さんを観察している。もちろん「仕事してる風に」また一緒に働くスタッフの仕草や言葉遣いはもちろんのこと、最近は会話している時のブレスの取り方なんかも気になってくるくらいだから、細かいところも見ることができるようになってきたのかななんて思ったりもしている。
 そんなことを考えているとレジカウンターから大きな怒号が聞こえてくる。なんだろう。咄嗟にサボって見ていたファッションサイトをメインメニューに戻す。こうして証拠を隠滅してから目の前に視線を送ってみる。すると、グレーのキャスケットを深く被った小太りのおっちゃんが怒り心頭だ。メガネにマスク姿のおっちゃんの顔はほとんど見えないが眼が血走っているのが確認できる。おまけにマスクがパカパカ動いていることからも呼吸が激しく乱れているのが一目で分かった。とりあえず状況が掴めない。少し観察するとしよう。すると「どうして勝手にポイントを使ったんだ。そんなことしてくれと言ったか?」というようなことを言っている。なるほど。勝手に貯まっていたポイントを利用したから怒っているのか。だとしたら精算を取り消せばいいだけのこと。なぜこんなに怒っているのかな。他に理由があるのかな。気になってもう少し耳を澄ませてみた。しかしここからは耳を澄ませたことを後悔した。悪口ばかりである。目の前のスタッフ2人が何も抵抗できずわひたすら悪口を言われている姿がなんとも見苦しい。よく「お客さまは神様」という言葉があるが、あんなものは時代遅れの悪い風習だと思っている。それは百貨店など敷居の高い店舗でこそ成り立つものである。平凡な店舗だとただお客さんに好き勝手言われて、ペコペコ頭を下げることになってしまう。そう、今の状況みたいに。と、ここでおっちゃんの後ろに並んでいる男性が突然「遅い!」と一際大きな怒号をあげた。みんな怒り始めた。もはやカオスである。ますます目の前のスタッフは涙目になる。入社1ヶ月だというのにひどい仕打ちだ。するとおっちゃんが「早くしてくださいよ、じゃないと後ろの方が大変怒ってるみたいなんで」と後ろの男性にも喧嘩を吹っかける。もちろんすぐに後ろの男性とも口論しはじめた。場が徐々にヒートアップしていく。僕も傍観者でいるわけにはいかない。自分が悪口を浴びせられていなくても怒りが込み上げてくる。すると、おっちゃんの怒りも最高潮に差し掛かる。さらに悪口がエスカレートする。「なんとかしてこのおっちゃんを止めないといけない」うすっぺらい正義感が一気に芽生える。そして隣にいたスタッフに一言「行っていいですか?」と確認を取った。するとそれと同じタイミングで店長がおっちゃんの前に現れる。ようやく収束するかなと思った。しかし、おっちゃんは「おたくのミスなんだから何かサービスしてくださいよ」「謝罪の仕方を勉強してください。土下座ですよ?」と店長を捲し立てる。店長は土下座は拒否したものの言われるがまま頭を下げ続けた。なんて悲しい光景だろうか。これがいわゆる「老害」というものなのだろうか。ああ、周りのスタッフも沸き立ったものが溢れそうだ。そして女性スタッフがおっちゃんにキレてかかろうとする。僕は身を削って静止する。一転してスタッフを宥める側に徹する。どうすればいいのか。いっそのことお互いスッキリするまでやりあったほうがいいのか。
 その時。先ほど「遅い」と怒号を上げた男性がおっちゃんをレジから引き離した。すると人目につかないような場所でなにやら話し合いをしはじめた。しばらくすると、おっちゃんも男性もなんだがスッキリした顔で戻ってきた。こうしてようやく事態は収束した。喧嘩が収まってほっとした一方で「どうやっておっちゃんを宥めたのか」そっちが気になって仕方なかった。後々わかったのだが、実はこの男性の怒号はスタッフに向けたものではなく、おっちゃんに向けたものだったらしい。男性のレジ精算が終わるとしょんぼりしていたスタッフに「あんなの気にしなくていいから。これからもがんばって」と言って去っていった。なんて素敵な人だろうか。僕が女性だったら惚れるかもしれない。いや、何を言っているのだろう。
 そして後回しにしていたおっちゃんの会計がやってきた。するとまるで別人のように大人しく買い物を済ませた。ますますどうやったのか気になった。しかし先程の男性はすでに出ていってしまった。真実は謎のままだ。おっちゃんは最後にボソッと「しばらくしたらまたここに来るんでその時はちゃんとしてくださいね。じゃないとまた怒りますよ」と言って出ていった。「いや、もう来るな」この一言に尽きる。
 そして翌日。一本の電話がかかってきた。何やら別の案件のクレームだという。「もういい加減にしてくれ。これなら平凡な毎日でいい」そう思った僕はまたそっとパソコン画面をメインメニューに戻した。

この記事が参加している募集

私のコレクション

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?