愉快ジン#23

前髪がなんだかうっとうしい。
そう感じた僕はスマホを取り出すと通話履歴から行きつけのヘアサロンに電話をかける。いつも「今から行けますか?」といった具合に突発的だ。そして予約を確保する。髪の長さでモチベーションが大きく変わることを自分で知っている。だから月一回必ず髪をカットすることで嫌な流れを断ち切れる気がしている。そして毎回カットの担当が決まっている。高校生の時からお世話になっている人なのでもう10年程経つ。さすがに坊主の時は自分でバリカン当ててたけども。
 担当の女性美容師は身長が170cmあり、シュッとした顔つきが特徴である。とにかく色白で黒髪がよく映える。そしてなんだか男勝りな顔立ちに反して中身は乙女なところがギャップ萌えする。年齢は気になるが、女性の方だからむやみに年齢を聞くことはできない。高校生の時から約10年経ったから自分が18歳から30歳になったように、この方も歳を重ねている。ということは、だいたい40歳くらいかな?仮に40歳だとしたらとんでもなくエネルギッシュで魅力的だな。色んなことをここ数年考えていたが、最近隣のお客さんと会話していたところを盗み聞きしたところ、この方が34歳だと知った。「え、4歳しか変わらないじゃん」と思った僕は急に親近感を覚え、40歳のお姉さまからお姉ちゃんの感覚に変化した。おっと、こんなこと聞かれたら僕の命はもうないだろうな。
 髪型のイメージは写真を見せることがしばしばあるが、イメージが固まってない時は基本的にお任せにしている。いつも髪は切りすぎず絶妙なところは10年の信頼関係の結果である。
 そしてシャンプー台に案内された。シャンプー台に横たわると身長のせいで台が足りない。よって、横になるのもバランスを取るために色んなところに力が入っている。そんなことも知らず顔にガーゼをかけられる。「お首苦しくないですか?」そう言われたので苦しいけど「苦しくないです」と答えた。
そしてシャンプーがはじまった。「かゆいところないですか?」と聞かれたので「かゆくないです」と答えた。「気持ち悪いところないですか?」と聞かれたので「気持ち悪くないです」と答えた。「お耳のなかに水入ってないですか?」と聞かれたので「入ってないです」と答えた。僕も嫌ではないのだがシャンプーの時は質問がやたら多い気がする。それも思いやりがあっての確認なのだと思っている。
 ふと「他人のシャンプーしている時ってどんな感情なのだろうか?」と気になった。もちろん髪を洗われている側としてはヘッドスパのような心地よさから眠気を誘われる。しかし、髪を洗ってる側にはその心地良さが生まれるわけもない。楽しいのかな?嬉しいのかな?それとも仕事だから機械的にシャンプーしてるのかな?とにかく気になった僕は少し目を開くと、薄いガーゼから微かに見える美容師の顔を覗くように見上げた。すると、何か考え事をするかのようにシャンプーしている顔が目の前に現れた。決して手を抜いているわけではないが、気持ちが遠くにいってるような顔つきである。なんとなく「そりゃあそうだよな」と納得した。すると、ここでふとガーゼが顔から外れた。僕は咄嗟にあたかも目を瞑って眠っていたかのような表情を取り繕った。なんともわかりやすい演技である。しかし、気持ちここにあらずだった女性の反応が緩やかだったため、なんとかやり過ごすことができた。
「おつかれさまでした〜」
普段の低い声から想像もつかない高い声だ。おそらく地声だと暗いイメージを与えちゃうからゆえの配慮だろう。そしてそれからもとにかく会話が続く。カット中は会話していないと落ち着かない僕と美容師さんの相性は抜群で、会話が途切れることはない。くだらない事でも周りに人がいても大きな声でゲラゲラ笑う。これが僕のリフレッシュににもつながっている。でも、自分がどうしても髪を切られすぎたくないところはあえて黙って集中してもらっている。そしてこの時の空気感を咄嗟に察知して丁寧に切り始める。こういった言葉のない部分での会話ができるのも素敵なところだ。
 最後に店を出る時に「今日もありがとうございました〜」と言われた。鼻から抜けるような高い声だった。僕からひとつ注文をつけるとしたら、10年経ったのだから苗字呼びは堅い気がする。今度話す機会があったら「さん付け」をやめてほしい。まだまだ伸び代のある関係性だなと思った。次の予約を取るのが楽しみである。

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