生きているよと主張。#27

バタバタ続きで、毎日の更新がなかなかできない今日この頃。嗚呼、口惜しや。

そんな一日に別れを告げるべく、湯船に浸かってリセットしながら思案にふけっていたところ、そもそもなんで文章を書くことにこだわってるのかなと。

仕事でも結構な割合で文章を書いたり読んだりすることに関わっていて、時には嫌気がさすこともあるくらいなのに、なんで文章を書き続けるのか。

その今の所の答えは「生きているよと主張するためなんだ。」ということに辿り着きました。

読者の立場でこんなことを聞くと、「自己満足のために書いているのかよ。」と思われても仕方ないのですが、今のこんな出すところを出してカラッカラにしても、誰かの何かの足しになるようなことを書けていないわけで、もう「ただの自己満」以外のなんでもないわけです。
(ただ弁明しておくと、先々のもうちょっといろんな知識を自分のものにできた時に、発信するための準備みたいなものにはなっているかなとは思っています。)

でも、なんで「書く」ことが「生きる」ことにつながるのか。
それは、自分にとって生きていることは自分の思うように考えている瞬間をさすからなのです。
例えば、誰かに認めてもらおうと、その人に擦り寄るために考えを巡らせている瞬間は活き活きと生きているわけでなく、ある人に想いの丈を伝えようと、必死に考え込んでいる瞬間は飛躍的に生きているみたいな感じです。
とにかく、ちゃんと自身に主体性がなければあまり生きているとは感じないのです。(あまりにもこの考え方が強いと、色んなところであまり良くない結果を生み出すこともあるので、時と場を選びますが…)

だから、この文章を書いている瞬間は、自分にとって飛躍的に生きている瞬間だといっても過言ではないのです。
もっともっと、この文章を書くことを色んなことに立ち向かう武器にできれば良いのですが、まだまだ自分はスキルレベルがそこまで到達できていません。そのうち「ペンは剣よりも強し」を体現したいところです。

今日も私は生きてます。

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