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久々にニューシネマパラダイスを観て号泣した

映画を観て泣くという行為が好きだ。いいストレス発散になる。ただそれはせいぜい目を麗しながら鼻をかむという行為に過ぎない。殊、ニューシネマパラダイスを観た時だけは違う。咽び泣いてしまう。なぜかわからないが、ニューシネマパラダイスだけは自分の心の柔らかい部分を突いてくる。
なぜこうも泣けるのかはわからないし、ただ泣けるというだけでもいい。ただなんとなくその理由を知ることで何か得られる気もしたので、色々と考えてみた。

本作を観たことがない人もいるかと思うので簡単にあらすじを書いておくと、主人公のトト(サルヴァトーレ)が若き日にお世話になっていたアルフレードとの思い出を回想するという物語だ。(このぐらいざっくりと書いておかないと、作品の冒涜ともなりかねないようなチープすぎるあらすじを書くことになりかねないので、詳しく記載はできない。)
アルフレードの訃報を聞くシーンから始まり、その後幼少期の回想、青年期の回想、現代でのアルフレードの葬式と物語が進んでいく。個人的には幼少期と葬式への参列からラストシーンまでの部分が泣きポイントである。

父が戦死してしまった家庭で育つトトは、町の唯一の娯楽施設の映画館が大好きだった。冒頭の時点ではまだ完全にトトの父親が戦死したとは語られず、トトの母親もおそらく戦死したであろう夫の死を信じられずにいた。そのためかトトの母親はナーバスで余裕のないように見える。そんな家庭だからトトは映画という外の娯楽に居場所を求めたのか。その可能性も考えられるが、どうであろうとトトは映画が大好きで、それがトトの本質だったのだと思う。

そんなトトであるが、大好きな映画館に入り浸り、映写室に忍び込んでは、アルフレードに怒られてしまう。アルフレードの怒り方は時代的にも結構なもので、殴るぞとか舌を引っこ抜いてやるぞとか、幼い子供に言っていたりする。だが言葉とは裏腹に、彼には愛が満ちていることがすぐにわかる。開始早々の泣きポイントとして、トトが母親から怒られて叩かれるシーンがある。それをみたアルフレードはすぐに止めにかかり、トトが怒られないようにうまく丸めてくれる。実はどれだけアルフレードが口悪くトトに怒っても実際に手を上げるシーンはなく、それどころかトトを庇護しようとするシーンが多く描かれている。(そして冒頭では怒ってばかりだったアルフレードの隠れた愛はラストの上映シーンに凝縮されている。)だからこそトトはアルフレードが大好きで、大好きな映画とアルフレードと共に育ったからまっすぐに育った。

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青年期になると、トトはエレナという女性に恋をする。視界に入れば目で追ってしまい、何か話したいと思えば話すことなんてないけど話に行こうとする、そういうトトの素直な恋愛観が見えてくる。エレナに一目ぼれをして、アプローチするが、あなたのことを愛していないのと言われるところからスタートする。しかしトトは愛されることを待つと言い放ち、実際に待ち続け、ついにはエレナとの愛を成就する。しかし恋は長くは続かなかった。彼女の父親からの反対や、徴兵という障壁により、トトの恋愛はノスタルジーの世界のものとなってしまう。恋愛が終わったと思えば、アルフレードからは、トトの可能性を潰さないように、村から出て行けと言われる。そしてトトはアルフレードの言う通り村から出ていく。個人的に、このパートのおいて大事なのはトト本来の恋愛観と、ノスタルジーからの決別をすることになったことである。

そして時代が流れ、アルフレードの葬式に参列することになるのだが、その際に母親から「あなたに電話を掛けた時に出てくる女性の声は毎回違っていて、毎回あなたのことを愛していない声をしている」という風に言われる。本来的にトトは好きなものとだけ触れておけばそれで幸せで、逆に好きなもの以外では満足を生み出せない。
決して満足な家庭状況ではなかったと思うが、彼は映画とアルフレードと関わるだけで幸せそのものだった。そして恋を知り、愛を知り、知ってしまったが故にまた愛を求めるが、彼が満足することはなかった。そういう孤独にも慣れてしまい、それを心が強くなったと思い込んでいたが、30年ぶりに故郷に帰った際に何も変わっていなかったと悟る。トトは映画が好きで、アルフリードが好きで、本気で愛することができる女性を求めているという、あの日のままなのではなかろうか。
アルフレードはトトの固執性を見抜き、トトがノスタルジーに浸り歩みを止めるのを危惧したのかもしれない。もしトトがエレナに固執して村を出ずに待ち続けていたら、ローマで映画の名監督になる未来はなかっただろう。

人間誰もが実はそんなに多くのものを求めていないのかもしれない。求める少しを追求することで深みのあるものができるのかもしれない。トトは映画を追求し、それで人々の心を動かした。同時にその少しに固執してしまい、歩みが止まってしまうこともある。映画ではなく、アルフレードといることに固執したり、エレナを待つことに固執していれば話が違ってくる。トトは映画の道を究める選択を取ったが、これはトト自身の心の強さだけでとれた選択肢ではないはずだ。トトは旅立ってもアルフレードの言葉を胸に留めていた。トトの心に確かな信頼があったのは、アルフレードの深い愛情があったからに違いない。

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トトがどんな選択をするにしても、アルフレードが肯定をしてくれていた。だからこそノスタルジーという幻に惑わされずに前に進めた。

自分がどうしてもこの作品で泣いてしまうのは、アルフレードの強く綺麗な愛情をひしひしと感じることができるからだろう。あまり知覚しにくい、他者からの全肯定の愛。それを本当に奇麗に描いている最高の作品です。

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